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Tempalay Tour 2024 “((ika))”(愛知公演)の日記

最近、日記を書いていて気付いたことがある。私は静けさに対する言及が多い。賑やかなところと、静かなところだったら、静かな方が好きだ。
じゃあ全く人がいないようなところに住みたいのかというと、そういうわけではない。生まれ育ったところと環境が違いすぎて、住む前から合わない気がしてしまう。

凪良ゆう先生の『流浪の月』に、すごく好きな描写がある。

「みんな、それぞれ、ひとりで、好きなことしよう。同じ部屋で」

凪良ゆう『流浪の月』236頁

それぞれが、それぞれのひとりの世界を認め合っている感じがする。ひとりの世界に対する敬意というか。私もそうありたい。

音量ではなく心の平穏を静けさと表しているのかもしれない。その静けさが何なのか、日記を書きながらずっと探している気がする。

※下記要素が含まれます。
・ライブで演奏した曲についての感想
・自作ぬい及びぬい撮り

今回行ったライブ

・5/29(水) Tempalay Tour 2024 “((ika))”@Zepp Nagoya(愛知)

ライブ前の日記

名古屋駅に着いて早々、「味仙」で台湾ラーメンを食べた。以前しまうまさんに「みせんべい」をいただき、ラーメンはどんな味がするのか気になっていたのだ。

味仙の台湾ラーメン

私がおいしく食べられる辛さの限界かもしれない!想像していたより辛かったけれど、おいしかった。

この日のライブは19時開演で、かなり時間に余裕があった。
今週はまだ働かなければならないし(辛い)、文喫に行ってゆっくり本を読もうかなと思っていたら、地図上で良さそうな建物を見付けてしまった。行くしかない。

文化のみち橦木館

「文化のみち橦木館」は、名古屋駅から電車かバスで30分くらいの場所にある。輸出陶磁器商を営んでいた井元為三郎によって建てられたらしい。

2階娯楽室

トランプ模様のステンドグラスや、廻り縁の意匠など見所がたくさんある。

記念撮影

ステンドグラスで仕切られている奥の間が良いな。

ここで本を読みたい

旧・井元為三郎邸は、洋館の隣に日本家屋が建てられている。HPによると和館建築後の大正15年から、洋館の建築が始まったそうだ。

台所の隣の部屋

和室の写真を撮り忘れた。
橦木館は、各部屋を展示やイベント等に貸し出しているらしい。HPを見たら無料の時間帯もあった。高くても庭園の一日2,800円とか……安すぎでは!?

ガラスのお皿

和室ではガラスのお皿や、水彩画の展示が行われていた。
道路を挟んだ向かい側に小学校があるので、時折子ども達の賑やかな声が聞こえてくる。いい環境だ。

倉の横

自然のつくる明暗と、建物のひっそりとした空気が良い。
谷崎潤一郎に『陰翳礼讃』ならぬ『静謐礼賛』を書いてもらいたい。「静謐」ではなく「ひっそり」とか「ひそやか」でも良い。ひっそり礼賛←かわいい。

橦木館の入館料は大人200円と、これまた安い。入館料を支払う際、近くに「文化のみち二葉館」があると教えていただいた。行くしかない。共通券320円を支払った。

文化のみち二葉館

外観から優勝している。
「文化のみち二葉館」は、日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴と、電力王と言われた福沢桃介が共に暮らした家だそうだ。

大広間

入ってすぐの大広間に圧巻された。すごい。特に色鮮やかなステンドグラスに目を引かれる。
ここに住んでいたとは?こうして入れるのだから、後の時代に生まれて良かったと思う。

大広間のソファ

このエリアがとても良い(1つ前の写真の右奥の部分)。
東京にある旧・朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)にも、壁が弧を描いている部屋があった。

旧・朝香宮邸 2階 殿下書斎

旧・朝香宮邸の場合、正方形の部屋の隅に飾り棚を設置することにより室内を円形に仕上げているらしい。
旧・川上貞奴邸の場合は、どうなっているのだろう。建築好きが見たら分かるのかな。

螺旋階段

大広間から2階へ続く螺旋階段。
子どもの頃、螺旋階段に妙な憧れを抱いていたことを思い出した。私の中にも螺旋があるし(DNA)、惹かれちゃうのかな。
重力があるから上下という言葉が存在するように、身体のあり方が世界に反映されるような考え方が好きだ。

宮城公演の日記に書いた伊坂幸太郎先生の『重力ピエロ』という小説は遺伝子が重要なモチーフとして登場する。香川公演の日記でも言及してたわ。
はじめて読んだのは随分前だけれど、自分に響いた本はずっと残り続けるな。

螺旋階段を上ったところ

子どもだったら一日中かくれんぼや鬼ごっこをして遊びたい。絶対に楽しい。

城山三郎先生の書斎(再現)

2階の展示室の一角では小説家・城山三郎先生の書斎が再現されていた。
『わたしの情報日記』の「わが書斎」というエッセイがすごく良かったので引用したい。

旅先で本を読むのも、旅のたのしみのひとつである。とくに、その土地に関するものがあれば、興味深い。そして、旅先であることも忘れて、せっせと買いこみ、買物ぎらい荷物ぎらいのはずなのに、重い荷を持って帰る破目になる。
新刊にせよ、古書にせよ、本は見つけたとき買っておかないと、ふたたびめぐり合えないことが多い。強迫感にかられて、せっせと買う。買っておけば、必らずいいことがある気がして買う。買っておかねば、いつか、きっと心貧しい思いをする日が来るような気がして、買う。

城山三郎『わたしの情報日記』より

読書好きは思ったに違いない。「私が書いたのか」と。これは私だ(違う)。

城山三郎先生の書斎の写真

写真のように足の踏み場がなくなる程、本や雑誌だらけ……ということはない。
でも旅先なのに重たい本を買ってしまうことや(京都旅行で図鑑を買ったことがある)、今買わなかったら再び巡り会えないかもしれないから買う気持ちなど、すごく分かるなと思った。

二葉館を後にして、徒歩圏内にある名古屋市市政資料館へ向かった。

名古屋市市政資料館

名古屋市市政資料館は、国の重要文化財に指定されているそうだ。元々は名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として使われていたらしい。

第参號法廷

当時のルームプレートがそのまま残っていて良い。

橦木館や二葉館同様、市政資料館も市民に部屋を貸し出している。展示室は一日1,000円から借りられるらしい。ここで読書会をしたい。

会議室

いつも会社の狭い会議室で打ち合わせしているので、こんな広いところで打ち合わせしたら、色んなことがどうでもよくなってしまう気がした。
例えば開けた野原で会議した方が、既成概念に捕らわれない広々とした意見が出たりするのかな。

廊下

観光客や市民の方がいたから、どこにいても話し声は聞こえたのに、時折、人気のない雰囲気がして良かった。

色々巡って歩き疲れたので、隣の栄町駅にある文喫へ向かうことにした。

東大手駅

平日の昼間だからか、駅に全然人がいない。

文喫は、東京の六本木にもある有料の本屋さんだ。栄店は2024年4月23日にオープンしたばかりなので気になっていた。
入場料を払って本を読もうと思っていたのだけれど、平日の割に人が多かったので本だけ買ってホテルへ戻ることにした。オープンしたばかりだからかな。今度また六本木店に行こうかな。

佐藤友亮『身体知性』

ホテルへチェックインする前に、「cafe rest フラワー」さんで小倉トーストを食べた。パンがデニッシュ生地でおいしかった。

cafe rest フラワーさん

ライブの日記

『預言者』で「ペンで吐いてとってつけたような歌詞だろ」と歌っている。自分の歌詞について言っているわけではないかもしれないけれど、「そんなこと言わないで」と、思ってしまう。しかし、ここの歌い方がとても大好きだ。

何回聴いても、どの曲も良い。本当は「良い」しか言えない。言葉を書き連ねても無駄な気がしてしまうくらい本当に良い。

「馬鹿なことって分かるけれど 気持ちよくおくり出してよ」の後の加速してゆくような演奏がすごく良いなと思った。
ライブの翌日、音源を聴き返してみた。ライブで聴く方が焦燥に駆られるような、何かしていないと不安になるような、そんな感じが伝わってくる。

焦っているとき、緊張しているとき、走っているとき、鼓動が早まる。加速してゆく演奏に焦燥感を覚えるのは、そうした身体反応とリンクするからなのだろうか?

透明人間になりたい。なんでだろう。犯罪に利用したいわけじゃない。誰にも認識されたくないときがある。自分の身体が嫌いなのもある。
透明人間は、四肢や胴体を感じるのか気になる。透明"人間"だから、透明で肉体を持たないように見えても(見えない)、形は人間と同じなのだろうか。

「ぼくは透明人間だ」で始まるのは、柞刈湯葉先生の『No Reaction』だ。東京事変の『透明人間』は「僕は透明人間さ」で始まる。少し似てる。
主人公は、生まれながらの透明人間だ。「年月とともに体が成長していることがわかった」(239頁)と言っているから、透明でも肉体を感じるらしい。
更に彼は(主人公は中学生男子だ)歩いたり、汗をかいたり、時には交通事故に遭ったりと、不透明人間の私達の生活とそんなに変わらないように見える(見えない)。

透明だろうと肉体を持つ彼は、上下という概念や、テンポの速い曲を聴いて走り出したくなったりする感覚を理解できそうだ。
もし透明な肉体を持たなかったら、きっと色んなことが理解できないだろう。

グッズのクリアポーチとアクキーが透明でかわいい

Chat GPTに質問すると、まるで人間が書いたのではないかと思うくらい流暢な言葉で返事をしてくれる。
AIは言葉を理解しているのだろうか?そうではない。AIの中では単語一つ一つが身体感覚に根差していない、「接地」していない状態にある。本当は理解していないのに、理解しているように振る舞っている、とも言える。
『言語の本質』で、こうした「記号接地問題」を知った。身体を持っていることって、想像以上に意味のあることらしい。

この日、『湧きあがる湧きあがる、それはもう』を聴いて、足の裏からドラムとベースの小刻みな振動を感じた。
ライブを観るとき、視覚と聴覚に神経を集中させる。あまり身体感覚を意識することはない(周囲の人にぶつからないように、とかはあるけれど)。
だから演奏を聴きながら振動を感じたのが自分でも意外で、かなり新鮮だった。
最近ライブ終わりにメモを書くのやめていたんだけど、これは記録しておきたいと思い「身体を感じた」ってメモしていた。
肉体を持たない、幽霊のような透明人間だったら、この感動は生まれなかっただろう。

透明人間になりたいと願ったところでなれるわけじゃないから、こんなことで悩んだり考えたりしたって意味はないんだけど、考えるからこそはっとする感動が訪れる。
すぐ意味とか説明を求めてしまうので、2年も続けておいて「日記を書いて何の意味があるのだろう?」と思ってしまう。
こんな感動を得られるなんて、続けて良かった。

ライブを観ていて、『言語の本質』に載っていた「マルマとタケテ」のことも思い出した。
下の図を見て、どっちが「マルマ」で、どっちが「タケテ」だと思うだろうか?

今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』30頁

おそらく左側が「マルマ」で、右側が「タケテ」と思ったのではないかと思う。
なんと日本語話者に限らず、多くの言語の多くの話者が同じように判断するらしい。こうした音象徴の感覚は、赤ちゃんや難聴者にも共有されうるそうだ。

もちろん全ての音象徴に共通性があるわけではない。ツワナ語の「ニェディ」はきらめく様子を表すらしい。日本語話者の私には、全くそんな感じがしない。粘土の高い液体を混ぜるときの音って感じがする。

音象徴、そしてオノマトペには、言語の差を越えて感知できるアイコン性と、各言語にチューニングされて、その言語の話者だからこそ強く感じられるアイコン性が共在するのである。

今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』51頁

綾斗さんのつくる曲って、どうしようもなく懐かしくて切ない感じがする。
そう感じるのは私に限ったことではなく、この前のRolling Stone Japanのインタビューで三宅正一さんが「本作の過剰なまでの刺激、おかしみ、愛らしさ、切なさ」と書いていたり、『音楽と人』2024年6月号で石井恵梨子さんが「その奥には、幼少期の夕焼けというか、あの夏の花火というか、誰の心にも存在するであろうノスタルジーが大爆発している」と書いていたりする(引用していて、やっぱり夏は「あの」だよなと思った)。

高知新聞の2022年10月28日の綾斗さんの記事に「独特の楽曲には、故郷で見た風景や記憶が影響している」とあるし、実際にご自身の郷愁や追憶といった感情からつくられている側面もあるのだろうなとは思う。
とは言え、そうした感情を喚起できる曲をつくれるかといったら、それは別の話だ。

ただただ懐かしい、切ないんじゃなくて、どうしようもなく懐かしくて、どうしようもなく切ない。
様々な言語の話者が、左の図が「マルマ」で、右の図が「タケテ」って感じるみたいに、心をぎゅっとさせるような共通のメロディーがあるんじゃないか、綾斗さんはそれを発掘する才能があるんじゃないかって思う。
『虐殺器官』における虐殺文法のように、懐かしさを喚起させるようなメロディーが人体に備わっているというよりは、忘れていたものを思い出すみたいな……なんかプラトンのイデアみたい。

琴線に触れるメロディーって言うのかな……私が表現せずとも、三宅さんや石井さんといったプロのライターが書いているから、がんばって書こうとしなくても良いんだけど。
「良い」を、どうにかこうにか言葉にできないものか、ずっと模索してしまう。

『そなちね』を聴いていて、今更ながらに消えゆくものの美しさを感じた。「その白さ 夏の煙にまかれては消えてゆく あてもなくただ」って、その景色が目に浮かぶようだ。美しい。

どうせ死ぬのに、なんで生きるんだろう。いずれ死にゆく運命なのに、どうして生まれるのだろう。
人類が誕生したことの意味はないと思う。意味はなくても、意味を見出すことはできる。
結局は煙のように消えてなくなってしまうとしても、生き切った日々は美しい(と、思いたい)。

閃光のような生涯への賛美というか、消えゆく者への愛というか(やっぱり『21世紀より愛をこめて』というタイトルが大好きだ)、そういう美しさを顕著に感じるのは『そなちね』だけど、『Booorn!!』や『今世紀最大の夢』にも感じる。

宇宙の長い一生のうち、心臓の一鼓動にも満たぬ僅かな時間で人類という驚異の生きものは木から降り、火を発見し、車輪を発明し、飛ぶことを覚えて惑星探検に出発した。

ジェイムズ・P・ホーガン『ガニメデの優しい巨人』13頁

「心臓の一鼓動にも満たぬ僅かな時間」って良い表現だな。人類が誕生してから滅亡するまでも、宇宙の長い一生と比べたら(宇宙にも一生がある!)「心臓の一鼓動にも満たぬ僅かな時間」だよな。

宮城公演で感じた『遖!!』の演奏の違いは、ツアー中に変わったのではなく、音源よりも演奏にメリハリがあるからそう感じたのかなと思った。いずれにしても、ライブの演奏はとっても良かった。
どこかのタイミングでステージが白い照明で照らされる。確か色のある照明からパッと切り替わるから、急に目の前がモノクロームになったように感じられた。

『Q』でも「スポットライトに透けて半透明」のところで、確かピンク色の照明から白い照明にパッと切り替わる。
明暗がはっきりして、服が透けて見えて、消えてしまいそうで良かった(消えてほしくはない)。

あと『月見うどん』の祭りっぽい音の楽器、泉さんは使っていなかった。多分。あの楽器が知りたくて、私は殆ど泉さんを観ていたのに使っていなかった!
ぱなおさん限定だったのかな?もはや私が観た(聴いた)と思った記憶まで怪しくなってきた。怖い。
黄昏時に人気のない道を歩いていると、たまに聞こえてくる寂しげな鳥の鳴き声みたいな音はした。Googleで調べたところ、クラベスという楽器かな。
もっとキョンキョン鳴く鳥みたいな音がしたのだけれど……元からなかった自分の記憶への自信が今やゼロに近い。

もはや記憶を捏造している可能性もあるけれど、覚えているMCを書いておく。
宮城に続き、愛知でも奇跡があったらしい。綾斗さんがお世話になっている「Mr.CASANOVA.」というサングラス屋さんにおすすめの古着屋さんを聞いたら、10店舗くらい教えてくれたそうだ。
去年の小原綾斗とフランチャイズオーナーの東名阪ツアーの際、皆さんで行っていらっしゃった気が。だから私も行くか迷ったけれど、やめてしまった……行けば良かった……いや、良くないか。もし遭遇したら死んじゃう。そもそも公演日当日じゃなくて、前日に行かれたのかな。

おすすめのうち「CIRCUS」という古着屋さんへ行ったところ、綾斗さんの中学校の同級生と再会されたそうだ。しかも半額にしてくれた(半額だった?)とのこと。
その後、再び「奇跡」と言おうとされて、またしても「けしk……」のように噛んで話が終わってしまった。次の福岡公演でも奇跡は起こるかな。

サポートメンバー紹介で、綾斗さんが駿さんと、OCHANさんを紹介された。
宮城で、綾斗さんが駿さんのことを「ディオに似てる」と仰っていた。ジョジョのディオかと思った私は「どこが似ているのだろう……」と思っていたら、愛知公演で再び「D.Oに似てる。皆さん練マザファッカーって知ってますか?」と詳しく仰ってくれてスッキリした。

その後、泉さんの紹介に移ると思ったら何も言わない。泉さんが「俺は?」と問うと、綾斗さんが「俺がいつも話して、ずっと歌ってるんだから、みんなでうまくやってよ」という末っ子のような発言があって、場が和んだ。
Tempalayメンバーの中では一番年上のはずなのに、AAAMYYYちゃんと夏樹さんのお姉ちゃんお兄ちゃん感よ。

確か大阪と香川では泉さんのところにMC用のマイクがなかったのに、この日はマイクを使ってもお顔が見えるくらいの位置に設置してあった。MC用だったのかは分からず。
末っ子発言の後、夏樹さんが泉さんを紹介してくださった。夏樹さんから「色々なところで演奏していらっしゃいますよね。俺達がツアーでいっぱいいっぱいなのに、休養日も他のライブに出ていたり」という問い掛けに対して、「5月は忙しいけれど、6月は本当に暇」という返しがあった。
泉さんが「暇だから、榎くん(呼び捨てだったかも)飲みに行こうよ」と言うと、夏樹さんが「俺達とも飲みに行きましょうよ。俺達も来月暇ですし」と。
「そうしたら週2で飲みに行こう」という泉さんに対して、「週2は……」と、現実的に考えて引き気味な夏樹さんの返事が面白かった。

その後だったかな?綾斗さんが、「このセットリストで、この体制でライブをすることは二度とないので、あと3公演あるから、地方に来られる方は来てください」というMCがあった。
宮城公演の日記に、綾斗さんは今がツアーの何公演目なのかいつも把握されていないような気がすると書いてしまったが、しっかり把握されていた……ごめんなさい。ちょっとAAAMYYYちゃんの手助けはあったかも。
AAAMYYYちゃんは自身のソロライブだと、MCを太朗さんに頼ることがある気がする。Tempalayのライブだと、綾斗さんをフォローしている感じがしてそのギャップが良い。

その後、「また新しい作品を作って、戻って来ます」といった今までに聴いたことのない発言もあって、とってもとってもうれしかった。

今までのツアーMCでアルバムの話を全くしていなかったことにも触れられていた。「皆さん『((ika))』、聴いて来てくださっていると思いますけれど……」と。
綾斗さんに言われて「そうか、これはアルバムリリースツアーなのか」と思った。前回のツアーが特にリリースとか関係なかったから、なんだか抜けていた。

サポートメンバーの紹介がイレギュラーだったからか、メンバー紹介は綾斗さんが夏樹さん、夏樹さんがAAAMYYYちゃん、AAAMYYYちゃんが綾斗さんを紹介する方式だった。
AAAMYYYちゃんが綾斗さんを紹介するとき、コロンビアポーズみたいに両腕を挙げていてかわいかった。

あと3公演でツアーが終わってしまうのか……1ヶ月に1公演で良いから、1年間ずっとツアーをしてほしい。もしくは2040年くらいにライブをやるって、今告知してほしい。

Tempalayの話ではないけれど、今日家族に「毎日を大切に生きなきゃね」と言われた。そう思う。今この瞬間を踏みしめるように生きて行けたらと思う。

大阪遠征時に買った布で浴衣を作った