見出し画像

深緑、隣はイイ湯だなの日記

高円寺にある古着屋・深緑のイベントに行ってきた。銭湯でライブを観るのも、ライブ会場へスリッパを持っていくのもはじめての経験だった。さすがに!

今回行ったライブ

・1/12(木) 深緑、隣はイイ湯だな@小杉湯(東京)

タイムテーブル

深緑のブログより引用。ポップアップショップのオープンは、予定より少し遅れたが下記の通り。

15:00 深緑ポップアップショップ OPEN
18:00 ライブスペース 開場
18:30-19:20 小原綾斗
19:30-20:20 さかしたひかる
21:00 深緑ポップアップショップ CLOSE

ポップアップショップの感想

小杉湯の浴室内

15時過ぎにオープンしたポップアップショップ。設営を見て、「これは開場が遅れても仕方ない!」と、思った。
銭湯ってこんなことまでできるんだね。いや、このイベントがすごいのか。Tempalayの改良湯コラボがきっかけで銭湯の良さを知ったが、知れば知るほど面白い世界だなと思う。

黄色いくまさん

ぬいぐるみ好きとしては、そこかしこにぬいぐるみがいたのがうれしかった。かわいい。

物販コーナーの写真を撮り忘れてしまったけれど、本イベントのために作られたTシャツ・フーディー・タオルが売られていた。
ライブで綾斗さんが赤いフーディーをお召しだったので、同じ色を買った!

脳内反省会:綾斗さんが着ていたサイズを調べてくれた店員さんありがとうございました。「確認してきますね!」って、どこかへ向かわれたのだけれど、どうやって確認してくださったのだろう。気持ち悪いことを聞いてしまったかもしれないと、帰りの電車で恥ずかしくなった。

便宜上「推し」と書くが、二次元・三次元問わず推しがいる人は「推しがプリントされた服」より、「推しが着ている服」の方が欲しい生き物だと思う。
この前ジャンプショップに行ったら、漫画『僕のヒーローアカデミア』のかっちゃんが作中で着ているTシャツが売られていた。ファンの需要をよく分かっている(第2弾だった!)。

私は正にそのタイプなのだけれど、TOTONOU LEG PARKAは推しがプリントされた、推しが着ていた服なので最強だったよ。
ちなみにTシャツ(Thermo graphy print tee)は売り切れたら嫌だなと思って先に通販で買って、まだ届いていない(結局、推しがプリントされた服も買っていたわ)。

会場で買ったグッズ

ライブの感想

なんと、公式に、正式に、写真撮影&動画撮影がOKだった。
動画撮影OKのライブではいつも「自分の記憶だけに残しておきたい私」と、「いつでも見返せるように撮っておきたい私」が戦っている。最初だけ。
ライブ中、星野道夫さんの『約束の川』に書かれていた「心のフィルムにだけ残しておけばいい風景が時にはある」という言葉が思い浮かんだが、殆ど撮影してしまった。
動画を撮ればいつでも見返せるけれど、体験に基づく記憶は頭の中にしかない。記録を記憶するんじゃなくて、一度きりの最初の体験を記憶していたいって思う。 

タイムテーブルの通り、一番手が綾斗さんだった。
綾斗さんのライブには沖縄だろうと海外だろうと行きたくて、何でこんなに好きなのだろう!と思う。ミステリが好きだからか、謎があると気になる。小説みたいに作者が解を提示してくれないから自分で考えるしかない。

この日、『かいじゅうたちの島』を歌う前のMCが良かった。MC部分も動画に撮っていたので、文字起こししてみた。

「心象というか、なんかこう、なんとも言い難いものをずーっと追い求めてるわけですけれども。そういう曲ばっか作っているわけですよ、私は。なんかこう、なんとも言えない感情を、ずっと超えられない感情を……。」

これまでのインタビューでも似たようなことをお話しされていたけれど、私にとって綾斗さんが魅力的に感じられるのはここにあるような気がした。

2022年10月11日に行ったライブの日記にも書いた、忘れたくないのに忘れてしまうこととか、手のひらから砂がこぼれ落ちてゆく感じとか、戻りたいのに戻れないとか、そういう感情が好きでとっても美しいと思う。
「悟りを得た諦念」って書こうとしたら、「諦念」には「あきらめの気持ち」という意味以外に「道理をさとる心。真理を諦観する心」という意味もあるらしい。
諦めてはいる、理解してはいるのだけれど、どこか頭の片隅に残っている感じが好きなのかな。自分でもよく分かっていないから言葉にできない。

なんとも言えない感情に、綾斗さんはこの先もずっとたどり着けないのではないだろうかと思う。私は音楽を作ったことがないけれど、私が綾斗さんだとして(どういう仮定?)、もし、追い求めている感情に行き届いてしまったら、もう創作活動はできなくなってしまうような気がする。

そんなことを考えながら日記を書いているので、写真家・森山大道さんの文章を思い出した。

今度の山陰旅行のプランには、かつて心の片隅に残したその町を通り見ることも含まれていた。(中略)小説で想像したイメージの面影に目のまえの街並みの面影を合わせてみた。ふたつの町は僕のなかですっと重なり合う。瞬時、僕は当惑とも感動ともつかない不思議な感覚にとらえられていた。長いあいだ抱いていたその町へのイメージとその現実が、じっさいに目のまえで符号してしまったとき、なぜか僕のなかにあった町の面影はゆっくりと消えていった。

森山大道『犬の記憶』161頁

同じく『かいじゅうたちの島』の途中で、「絶対に誰がどう言おうが『見たな』っていう景色ありませんでした?おそらく見てないんだろうけど」とお話しされていた。綾斗さんには追いつけない景色みたいなものがあって、それが私が美しいと思う感情と似ているから、大好きなのかなと思った。

ずっと自分に当てはまる感情を探している気がする。先に引用した星野道夫さんの文章にしても、探している場所に近い感覚は得られるのだけれど、ピタリと当てはまるわけではない。カチッとはまる答えは、死んでも得られないような気がする。
探しているから、もちろん知りたいのだけれど、森山大道さんが綴ったようなイメージと現実が符号する時が来たら当惑の方が大きい気がする。でも知りたいから、古本屋に行っては「これは!」って本を買って読む日々。

『かいじゅうたちの島』の前には『おかしな気持ち』を弾き語りで演奏してくださった。
酒場族の那覇公演でお客さんから『おかしな気持ち』を歌ってほしいとリクエストが入ったものの歌ってくださらなかったので(大樹さんのドラムで『おっぺえ』を歌ってくださった!)、この日聴くことができてとっても嬉しかった。

『おかしな気持ち』を歌う前に「お正月に地元に帰ったもんで、なんかこう、幼少の気持ちの歌を歌っちゃったりして」と仰っていた。
自分自身の幼少期を振り返って懐かしいと思うより、他人の経験に触れた方が懐かしくてたまらない気持ちになる。何でだろう。だからこの2曲は、めそめそと泣きながら聴いてしまった。

『おかしな気持ち』は、学生時代に一人ぼっちで見に行った海までの道を思い出す。海を見たかどうかは覚えていなくて、思い出すのは海まで向かう坂道。外国だったので、日本でいるよりも孤独感が強かった。

曲間のMCで「幼少期にどうしたって雨に濡れたい時なかったですか?雨が降っているけど傘を差さずに帰ってやろうという…」と仰っていて、その気持ちがすごく分かる気がした。
今でこそ遠征に行くけれど、学生時代は殆ど引きこもって過ごしていたので「海を見に行くぞ」なんて思わなかった。でも何かに駆られて、そうせざるを得ない瞬間ってある。
上の方でリンクを貼った日記にも「人生にそう何度もない、何かに搔き立てられて走り出さずにはいられなくなるような狂おしさを感じられて非常に良かった」と書いてあった。

傘を差さずに帰ったことは、私にとっては海を見に行くことだったような気がする。一番安い切符を買って一番遠い駅まで行くのとか(たとえ改札を出なくてもだめです)(子供の時は知りませんでした)(ごめんなさい)。
だから、この曲がそういう思いで書かれたのだと聞けたのも嬉しかった。

綾斗さんは、絶対に私が真似できない話し方と歌詞を書かれる。『おかしな気持ち』の歌詞とか、私だったら「なぜだろ」じゃなくて「なぜだろう」って書くし、『かいじゅうたちの島』の「こんな悲しい島があったとゆう」は「こんな悲しい島があったという」って書く!笑

昔「話し方が学者みたい」って怒られた(?)ことがある私は、結論の方向性を定めずに話し出せる人がすごく羨ましい。こんなこと書くと数学とか論理学が得意そうだが、苦手だしできない。そして、綾斗さんが論理的じゃないとか、そういうことを言いたいのではないのです。私の頭が固いということなのです。

自分の思ったことや感じたことを残すためにnoteに日記を書き始めたけれど、100%に近い思考と感情で出力できない。綾斗さんは出力の純度が高いから、聴く側がいっぱい感じられるものがあるのだと思う。

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけれど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。

太宰治『女生徒』32頁

ちょうど読んでいた部分が私なので引用した。

ああ!いつもみたいに自分で書いてて何を書きたいのかよく分かんなくなってきちゃった。全然、結論の方向性なんて定まってないや。
まだ2曲分の感想しか書けてないというのに、ひかるさんの弾き語りの感想も書けていないというのに、この時点で恐ろしく時間がかかっている!ううう。もっと純度を上げられるように、引き続きもがきながら書くことの練習をしてゆきます。

終演後に貼ってあっためちゃかわ写真