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4月の日記・理解

数学の「分かる」

気が向いた日に数学検定4級の問題を解いている。4級は中学2年生レベルらしい。奥付を見ると2014年と10年前の出版なので、今現在とは異なるかもしれない。
私は数学ができない。と、書くと数学だけできないみたいだ。古文も漢文も英語も地理も世界史もできない。それなのに数学ができないことに対する劣等感(のようなもの)だけ他の科目より強めだ。なんでだろう。
だから数年前に古本で数学検定の教科書と過去問を買ったのだと思う。すぐに本棚の奥へ追いやってしまったけど……。

久々に数学に触れて思うのは、数学を解く脳の領域が欠けている感覚だ。脳の可能性は無限大なので、その感覚は数学ができない(というかやらない)ことに対する言い訳でしかないのだろうが、解きながら「私は数学に向いてない」と思った学生時代の心境がまざまざと浮かび上がってきて不快な懐かしさに襲われた。

この前は一次方程式について学んだ。簡単な一次方程式は解けるようになったが、文章問題となると途端に解けなくなる。

えりこさんは,現在ある小説を読んでいます。月曜日から金曜日の平日は,毎日同じページ数を読み,土曜日と日曜日は,そのページ数よりさらに20ページずつ多く読みます。このとき,次の問いに答えなさい。

(1)平日に1日xページずつ読むとして,土曜日に読むページ数をxを用いて表しなさい。
(2)月曜日から日曜日までの7日間でちょうど320ページ読むには,平日に1日何ページずつ読めばよいですか。

『実用数学技能検定 要点整理 数学検定4級』41頁(2014)

ページ数を決めて読む奴がいるのか?文章の途中でページが終わっても、そこで読むのをやめるのか?次のページに事件の真相が書いてあってもやめられるのか?と、設定への文句が止まらない。考えても分からなくて、読点が「、」でなく「,」なのも鼻についてくる。
「こんなん分からん」「私の数学のできなさを舐なめるな」と思いつつ例題を行ったり来たりした後に解いてみたら、できた。気持ち良いーーー!うれしいーーー!

答え
(1)(x+20)ページ
(2)40ぺージ

「分かる」って気持ち良いですわ。というか悩んで、その上で分かるのが気持ち良いのか。現役中学生や、数学ができる人には鼻で笑われるくらい簡単かもしれないが、誰しもこの手の「分かる」経験はあるのではないか。
私は「1+1」の答えが分かる。でも、悩まなくてもすぐに分かるから気持ち良さは全くない。
「分からない」という言葉は、否定形のせいかネガティブなイメージがあるけれど、分からないからこそ分かったときの喜びやそこに至るまでの工夫が生まれるのだと思った。

無理に分かろうとする

5月1日(水)にTempalayがアルバム『((ika))』をリリースするためか、4月はメンバーがラジオにゲスト出演する機会が多かった。
相手が誰であろうとのらりくらりといなすような綾斗さんの話しぶりが聞いていて面白いと思うと同時に、日本の会社組織に属する自分には絶対に真似できないのですごいなと思った。
音楽業界における大人の事情(具体的には触れず)もお話されていたので、グッと飲みこむような場面もあるのだろうが、それを感じさせないトークであった。

ラジオを聞いていて、パーソナリティの分かろうとする姿勢、汲み取ろうとする姿勢が印象に残った。それは聞き手が大事にしなければならない傾聴の姿勢というより、「こういうことですよね」とその場を収めて、それっぽい形にして次に進めてゆくための分かろうとする姿勢に感じた。
ラジオはカウンセリングではない。時間という枠があるからそうせざるを得ないのは分かるし、私も日常会話でよくやる。
美容院で「最近○○ですよね」と会話を振られて、全然そう思ってなくてもそういう形にしてその場をやり過ごす。「○○ってことですよね」と言われて、「そうじゃないなあ」と思いつつ訂正するのも面倒だし「そうですね」と答える。

ラジオパーソナリティの態度に対して、綾斗さんは分かってもらおう、説明しようという意識が(少)ないのも印象的だった。
「アルバムは、こういう意図で作りました」と説明してその通りに聞いてもらうより、各々が思い思いの感想を抱く方が良いのかなと感じた。良い/悪いの二元論で考えたいわけではないが。

先日、河合隼雄先生の『こころの処方箋』を読んでいてはっとすることがあった。

早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまうのである。

河合隼雄『こころの処方箋』221頁

ある中学二年生の男子が母親を映画に誘う。母親は喜んで映画館へ向かうが、会場へ着いた瞬間、息子の態度が一変し急に冷たくなる。
その後、夕食終わりに母親が息子に対して先程の態度の理由を聞いてみると、映画館の前で同級生も来ていることに気付いたのだという。母親と一緒に映画を見に来たことを冷やかされるのが嫌で、冷たい態度を取ってしまったというのだ。
もし母親が「思春期だから変なこともあるだろう」と割り切って平気な態度を取っていたら、子どもとの関係が切れていたかもしれない。心配したり、話し合って安心したり、そのような「体験」を通すことの大切さが語られていた。

タイムパフォーマンスが求められる現代、仕事でも勉強でも感情でも何でもとにかく「早く分かること」に重きが置かれている気がする。
早さを求めることと、早さが求められることに慣れすぎて、人間関係にも効率性が侵食しているかのような感覚。
息子の態度が急変した理由が分からないから問い掛ける。分からないから対話という体験が生まれるのに。
河合先生の本を読んで、また「分からない」ことのポジティブな側面を知ることができた。
ラジオは時間制約があるので仕方ないとして、きっと無理に分かろうとする必要はない。河合先生の言葉を真似しちゃおう。早すぎる理解は、人間が対話する機会を奪ってしまうのである。

そういえば綾斗さんは、V6に『分からないだらけ』という楽曲を提供している。「ねえ 話してほしい 1秒先まで分からないだらけだろう 同じでしょ」って、分からないことを分かっていてすごく良いなあと思う。
本当に、なぜ、こんなにも、良い、の、か!!!分からないので、これからも日記を書きながら考えてゆきたいと思う。

ところで先日緊急生配信された「"((ika))"会議」なる生配信で、綾斗さんが何度か「無」の話をされていた。『((ika))』に「色即是空」と「空即是色」があるし、「無」が気になる概念なのかな。
約4年前の私も「無」が気になって仕方なくて、別冊Newton『無とは何か』や、ジム・ホルトの『世界はなぜ「ある」のか?』を読んだりした。

子どもの頃から地球だけでなく、宇宙さえもなくなった無を想像しては怖がっている。生きる上で必要のないことを考えて悩むところが今と全く変わっていなくて笑える。
私の浅い理解だと物理学の「無」は、私の怖がる「無」じゃなかった。「無」とはいえ「有」って感じがする。本当の本当に何もないなんて、何もないのだから定義や想像はできない気がするけれど、それでも究極の無が知りたい。
綾斗さんのお話を聞いたら、また「無」欲(無を知りたい欲)が高まってきた。
ナーガールジュナ(龍樹)の空理論もますます気になってくるし、麻耶雄嵩先生の小説も読み返したくなる……烏有(=全くないこと)に、龍樹(たつき)……!そういうことなの!?あ、『痾』をずっと積読してるのだった。

今月は激激重重業務があって現在進行形で憂鬱だが、これを乗り切ればTempalayの『((ika))』が発売されるし、ツアーも始まるのでがんばれそう。いつもありがとうございます。

4月に読んだ本

高木超『まちの未来を描く!自治体のSDGs』
和田秀樹『人は「感情」から老化する』
三津田信三『スラッシャー 廃園の殺人』
綾辻行人『黒猫館の殺人』
森山至貴『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』
武田砂鉄『わかりやすさの罪』
宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』
大岡信編『日本の色』
カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている』
河合隼雄『こころの処方箋』
有栖川有栖『マジックミラー』
今邑彩『少女Aの殺人』
熊代亨『何者かになりたい』
山下柚実『給食の味はなぜ懐かしいのか?』

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