見出し画像

Tempalay「ドォォォン!!」広島公演の日記

Tempalayの「ドォォォン!!」ツアー広島公演へ行ってきた。これまでのツアーの日記同様、行ったところや観たものについても書く。
思い付いたこと、思い出したことをつらつらと書いているので、観光日記だったり、読書感想文だったり、ライブ感想文だったり、はちゃめちゃである。

※下記要素が含まれるため、ネタバレされたくない方や苦手な方は閲覧をお控えください。
・ライブのセットリストや演出についての感想
・自作ぬい及びぬい撮り

ライブ前の日記

広島へは飛行機で向かった。電車の中で本を読むのが一番捗るので、新幹線で行きたい気持ちもあった。しかし飛行機の方が安かったので新幹線移動は断念。ちなみに東京・広島間だと4時間弱かかる。
広島空港から広島駅まではバスで移動した。ちょうどお昼時だったこともあり、レストランはどこもかしこも並んでいた。

汁なし坦々麺

食べたのは汁なし坦々麺!行列だったものの、回転率が良くてそこまで待たずに入ることができた。前回、広島遠征した際に食べ損なったのでうれしかったし、おいしかった。
「もっと辛い方が良い!」って思って、ラー油をたくさんかけたら最後の方が油っぽくなって胃もたれしそうになった。年。

今回の移動中、アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』を読み終わり、もう一冊持ってきた中山七里先生の『隣はシリアルキラー』を読み始めた。
やっぱりミステリは面白い!「館もの」という言葉があるくらい、館が舞台のミステリはジャンルとして確立されている。
最近気が付いたのは、遠征の度に「○○館」に行っているのではないかということ。館ものだけでなく、実在の館も好きなのかもしれない。
なお、『隣のシリアルキラー』は館が舞台ではない。隣人の部屋から夜な夜な人体を解体しているような不気味な音がする……というお話。最高だ。冒頭を読んで夏目漱石の『変な音』という短い話を思い出した。これも面白い。

広島県立美術館

ということで広島県立美術館へ行ってきた。昨年ひろしま美術館へ行ったので、今回はこちらへ。
入口に到着し「ダリに会えるの!?」って思った。事前に調べていなかったのでうれしい驚き。
福島県にある諸橋近代美術館は、ダリの絵画や彫刻が多数所蔵されていることで有名だ。野生の猿に会えた程、自然豊かな広々とした土地に建っていてすごくおすすめ。また行きたいなあ。
そう、美術館も博物館も広くて、静かで、人が少なくて好き。国立新美術館や、国立科学博物館の企画展は人が多すぎて展示物が見えないことがあるものの、そういった大型企画でない限りゆったりと過ごすことができる。
狭い都会に暮らしているので、美術館へ行くと「なんて贅沢な土地の使い方なんだ!」って感動しちゃう。

広島県立美術館 館内

このロビーの広さよ。
窓の向こう側に見えるのは縮景園。広島県立美術館の一般観覧料金が510円のところ、610円支払うと縮景園も観ることができる。610円一択である(似たようなことを岡山公演の日記にも書いたな)。

確か、綾斗さんがMCで「(雨が降ってて)来るの大変じゃなかったですか?」って問い掛けていた。私が空港へ到着した時は雨が降っていたので、縮景園へ行くのはやめようかと思っていた。でもホテルに荷物を預けて美術館へ向かう頃には止んでいたので、これまた運が良かった。

縮景園

パンフレットによると、「江戸時代の大名たちは国元の居城やその近く、または江戸屋敷に、広大な庭園を造り茶室建築などを建てる風潮があった」らしい。
縮景園は、江戸時代初頭の1620年から広島浅野藩初代藩主 浅野長晟(ながあきら)が別邸の庭園として築成した大名庭園で、作庭者は茶人としても知られる家老の上田宗箇(そうこ)だそうだ。

橋梁・島嶼

園内には何箇所か橋があった。運動音痴の私にとっては、池に落ちてしまいそうでとても怖かった。以前ハイキングした際にへっぴり腰で笑われたのを思い出す。逆になんでそんなにさくさくと歩けるのか?
パンフレットに「古来より庭園を散策するうえで橋を渡ると別世界へ入るという言伝え」があると書かれていた。この時は橋を渡るのに精一杯でそんな情緒を感じている余裕はなかったが、日記を書きながら作庭家が込めた思いを想像するのは楽しいなと思った。

アレクサンダー・カーノルト『静物』

美術館ではカメラマークが付いている絵画のみ撮影OKだった。撮影できた中で一番良かったのはアレクサンダー・カーノルトの『静物』という油彩画だ。
まずマットな質感に目を惹かれた。何らおかしなところのない静物画かと思ったら、本のページが現実にはあり得ない位置で止まっている。私の住む現実とはかけ離れた世界で、あり得ないことが起こってもあまり恐怖や驚きは感じない。日常風景のちょっとした違和感に心がざわつく。そういう感覚が本当に好き。

この日のライブも開演前にTOMOさんのトークタイムがあった。
Tempalayとの出会いをお話する中で、はじめて『sea side motel』を聞いた時にビーチ・ボーイズやビートルズに通ずるような普遍的な良さを感じつつ、誰とも似ていない魅力も感じたとお話されていた。開演前だからスマホにメモすれば良かった……思い出しながら書いているので、間違っていたらすみません。
Tempalayの魅力を一言で言い表すのは無理だ。一つ挙げるとすれば、私がアレクサンダー・カーノルトの絵に感じたような日常風景に垣間見える違和感だろうか。
『そなちね』とか、本当に良い曲だなあと思う一方、なぜだか落ち着かない感じを覚える。心に引っ掛かる部分があるから、ずっと気になって仕方ない。
奇を衒うのでも、平凡な表現でもない。私はTOMOさんのようにたくさんの音楽を知らないし同じ温度感では言えないけれど、聞いていて「分かるなあ」って思った。

写真を撮れない絵の中だと、マグリットの『人間嫌いたち』という絵が良かった(もちろんダリの『ヴィーナスの夢』も良かった)。
暗雲立ち込める景色の中、カーテンが林立している不思議な絵。カーテンが自立しているヘンテコな絵。
左右の違いがあるとはいえ、どれも同じ形・材質に見える。私は人間嫌いとまではいかないけれど、対人関係が苦手だ。数年前に横浜美術館で観た誰の作品かは忘れてしまったけれど、のっぺらぼうのマネキンがずらっとならんでいる写真がすごく良かった。人間もマネキンみたいにみんな同じ顔(というかのっぺらぼう)、同じ背丈、同じ姿勢だったら苦手意識も減りそうなのにと思った。
同じ形のカーテンが林立している姿に『人間嫌いたち』ってタイトルが付けられているのは、たまにマネキンのような無機質な無個性に憧れる私としてはとても好きな作品だった。

シュルレアリスムの手法に「デペイズマン」がある。マグリットはデペイズマンを用いた画家として有名だ。

「人を異なった生活環境に置くこと」、転じて「居心地の悪さ、違和感;生活環境の変化、気分転換」を意味するフランス語。美術用語としては、あるものを本来あるコンテクストから別の場所へ移し、異和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す。

デペイズマン | 現代美術用語辞典ver.2.0 - アートスケープ

居心地の悪さや違和感!
ダリもマグリットも「よく分からない変な絵だな」って好きになったのが最初だったと思う。もしかすると私は心がざわざわする感覚を求めていて、そこから垣間見える風景や感情に手を伸ばしたいのかもしれない。ちゃんと勉強したら楽しそう!

つばめゆうびん

広島県立美術館の近くに「つばめゆうびん」さんがある。すれ違えないくらい狭い店内にポストカードや便箋など、手紙に関する文具が売られている。TwitterやLINE、メールなど便利な伝達手段があるので、一度も手紙を書いたことがない人もいると思う。
そうした今の時代に手紙用品に限定してお店を開いているってすごいなって思った。でも、手紙って良い。明らかにTwitterのリプライとは違う。つばめゆうびんさんでは一つ一つの商品が丁寧に展示販売されていて、手紙をもらった時のうれしさがお店の雰囲気に表れているようだった。
買った便箋でまたお手紙を書こう。

※店内の撮影許可をいただきました。ありがとうございました。

日記に書く順番が前後してしまったが、つばめゆうびん→広島県立美術館→縮景園の順番に行った。

キーマカレー

美術館内にあるカフェでカレーを食べてからホテルにチェックインした。荷物を置いて、いざライブ会場へ!

今回行ったライブ

・7/1(土) Tempalay「ドォォォン!!」@LIVE VANQUISH(広島)

ライブの感想

この日のライブが始まる前、なぜだか酷く憂鬱になってしまった。ライブとは関係なくて、他人の視界に自分が入り込むことや、他人同士の会話が聞こえることが怖くなってしまった。
一ヶ月に一回くらい理由もなく凹みすぎて布団から動けない日がある。あるよね?
今日は整理番号も良くないし一番後ろで観ていようと思い、壁際にしばらく立っていると、スタッフさんから「前に詰めてください」という指示があった。
その度に前に進んでいったら、最終的に真ん中辺りで観ることができた。開演したら憂鬱も吹き飛んだし(というより考える暇がなくなった)、ライブに来て良かったって思った。単純。
でもやっぱり人混みに行くときは透明になりたいんだよな。

広島公演は、岡山公演同様「ドォォォン!!」というツアータイトルが開演前から見えていた。岡山では幕もかかっていなかったけれど、広島では幕がかかっていた。
『JOE』のイントロが流れると、幕にメンバーのシルエットが映し出される。今までに参戦したライブにはなかった演出だ!
『のめりこめ、震えろ。』の「また会えたら愛しい人 朝と夜の侘しさも さよならまた100年後 天国か来世で踊ろう」の部分だったか、舞台の左右にある白い照明が付いたり消えたりして、皆の顔が明るくなったり暗くなったりした。
『JOE』の演出でも色んな場所から照明が当てられるので、綾斗さんやAAAMYYYちゃんのシルエットが代わる代わる映し出されるのがすごく良かった。
ここまで書いておいて、その照明の演出が『のめりこめ、震えろ。』だったかも記憶に自信がなくなってきた。『のめりこめ、震えろ。』だったとしても、「(毒なら身になる、毒から身を成す)」の部分かもしれない。誤っていたとしても「いいな」って思ったことは確かだから良しとしよう。

私自身が「いいな」って思う感覚を大事にしたいって、この日のライブを含む数日間で改めて思った。
6月29日に投稿された東海オンエアさんの動画で、としみつくんが言っていることがすごく良くて……。
「これだけでご飯3杯イケるわ!」という常套句を実際に試してみようという企画で、好きな古着について語っている一コマ。

【ほぼ深夜番組】これだけでご飯3杯イケるわ!って物でマジでご飯食う!

としみつくんが大事にしているのは「なんか良いな」という感覚。知識があって古着を着るのも素晴らしい。でも知識がなかったら古着を着てはいけないのかというと、そうではない。服なのだから、「良いな」って思ったら着ても良いんだって話していて、これは古着だけでなく全ての「好き」の対象に言えることだ!と、思った。
綾斗さんの弾き語りライブ(福岡編)の日記に書いた、音楽家の山口さんも似たようなことを仰っていた。
好きで、もっと知りたいって思ったら調べて知識を身に付けても良い。でも「なんか良いな」で好きになっても良い。

この前、ビョンチョル・ハンの『透明社会』という本を読んだ。著者は、司法や行政に透明性を求める行為に対しては批判的ではないが、社会の至るところで透明性が求められることに異議を唱えている。
本書で言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言葉が引用されていた。以下、孫引き。

「同じ語であっても、だれひとりとしてその語でほかの人とまったく同じことを考えることはないし、語義の理解のどんなに小さな違いでも、その違いは、水面の丸い波紋のように、言語全体に小刻みに伝播してゆくものである。それゆえ、あらゆる理解はつねに非理解であり、思考や感情の一致というのもすべて同時に分裂拡散なのである」。

ビョンチョル・ハン『透明社会』10頁

最近、言葉の正しさや、解釈の正しさ、思考の正しさを常に求められているようで息苦しい。言葉一つ選択を誤っただけで糾弾されるような……。それが透明性が社会に入り込んで来ていることの一つなのかなあと考えた。
フンボルトは、例えば同じ「楽しい」って言葉でも、私と私以外の人が意味するところは違う。どんなに小さな違いだったとしても、完全に一致することはないということを言っているのかなと思う。そうだとしたら、言葉の正しさや、解釈の正しさ、思考の正しさなんてないよねって思う。
何事に対しても「○○だから△△だ」って理由を説明できないといけない気がしてしまって、理由がないことや、意味の分からない、説明できない自分自身をおそらく許せなくて、自分で自分の首を絞めながら常に呼吸困難に陥っている(つまり阿呆)。
だから、としみつくんの「なんか良いな」で良いじゃない!って言葉にグッと来ちゃった。

なお、この本は著者の考えが淡々と述べられていて私には難しかった。解説があってようやく「ふーん?」という感じ。本書の主張を誤って解釈していたら申し訳ない。全ては私の理解力不足である。

何故こんなにも話が逸れるのか?
ライブで聴く『のめりこめ、震えろ。』は、やっぱり「つまりこう 神髄くらっちゃってどうしようもないよ」の部分が音源と比較すると一番かっこいいって感じた。この日も力がこもっていた。
綾斗さんの歌詞には「100年」って言葉がよく使われている気がする。『のめりこめ、震えろ。』の「さよならまた100年後」、『TIME MACHINE』の「100年後にはもういないことでしょう」、『冬山惨淡として睡るが如し』の「思い出すかな100年後も昨日までのことを」など。
きっかり100年というよりは、長い時間って表現に感じる。今の時代、100年以上生きる人は珍しくないわけで。こうやって解釈できるのも、言葉が不透明だからなのだろうなあ。
私が透明人間になりたいっていうのは物理的にそうなりたいってことなのだけれど、言葉や思考や私という存在は不透明なままでいたい(ややこしいな)。

岡山公演の時に、綾斗さんが自分用のアンプを買ったと仰っていた。私のいた場所からはステージがよく見えなくて、「なんでツアーも終盤に差し掛かる中アンプを買うのか?」と思っていたら、段ボールに「マーシャル」って書いているだけだった。幼稚園児の方がもっとうまく作れそう(失礼)。
AAAMYYYちゃんが「メロン(パン?)に見えた」と仰っていたのは、スピーカーのイラストということね……岡山公演でAAAMYYYちゃんに「このくだり長くない?」って突っ込まれていたのは段ボールアンプの話だった気がする。
広島公演でもこの話題になった。祥太さんが綾斗さんに「やっぱり自分専用のアンプがあった方が良いよね」と仰っていた気がする。祥太さんによる何気ないトークのフォローが多々ある。
綾斗さんがチューニングの途中だったか「MCは頼んだ」と発言をされた時に、真っ先に話し出したのも祥太さんだったような。
開演前、TOMOさんがメンバーのチャーミングなポイントはどこかという質問に答えていらっしゃった。
OCHANさんは、エレベーターでばったり会った時とかいつもにこやかに話し掛けてくれるところ、夏樹さんは、熱くスパイダーマンの話をしてくれるところ、綾斗さんとAAAMYYYちゃんはなかった!(聞き逃した?)
そして祥太さんは、「僕みたいなスタッフにもたまにアイスコーヒーとか買ってきてくれるところ。彼はジェントルマンです」と、仰っていた。
度々、祥太さんに頼れるお兄ちゃん要素を感じていたが、その印象は間違いではなかったようだ。
というかTOMOさんのトーク良いな。次のツアーでも取り入れてくれたら良いのに。

そんな祥太さんと、OCHANさんの髪型は伊勢海老スタイル(?)だった。祥太さんは、ポニーテールの先に白いぽんぽんを付けていた。サポートのお二人の髪型が毎回凝っていて良い。
前回の続・ゴーストツアーの時はOCHANさんがサポートに入る前だったので、祥太さんだけ色んなヘアスタイルをしていた記憶がある。その時のスタイリストは確か木村さん。
ドォォォン!!ツアーは、どんな髪型なのかなという楽しみがお二人に増えて嬉しい。
AAAMYYYちゃんは初日の東京公演だけ髪の毛を切る前だったので、編み込み(?)がかわいかった。もう一ヶ月経つのか。信じられない!

岡山で聞けなかった『深海より』を、広島では聴くことができた。やっぱり良いなあ。『深海より』を聴くと、くらげがふよふよと漂うイメージが浮かんでくる。
『あびばのんのん』を聴きながら、歌詞に「海月」があるのはこっちなんだよなあと思った。
私は「くらげ」って、ひらがなかカタカナで書く。綾斗さんは漢字なんだなって思った。なぜ漢字で「海月」と書くのだろうと思って調べたら、本当かは分からないけれど、海に浮かぶ姿が反射する月のように見えるからと書いてあった。あまりにも素敵すぎて地面にめり込むところだった。

先月会いに行ったくらげ

くらげを見ると、なぜだか宇宙だなって思う。美しい。この写真も水泡が星空に見える。私の理解力を超えているので、水槽の前に立ち尽くすしかできない。
『あびばのんのん』には「遠い宇宙への旅みたいでしょ」という歌詞もあるな。くらげと宇宙の親和性は高い。

この前読んだ萩原朔太郎の『月光と海月』という詩を載せておこう。

月光の中を泳ぎいで
むらがるくらげを捉へんとす
手はからだをはなれてのびゆき
しきりに遠きにさしのべらる
もぐさにまつはり
月光の水にひたりて
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか
つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに
たましひは凍えんとし
ふかみにしづみ
溺るるごとくなりて祈りあぐ。
かしこにここにむらがり
さ青にふるへつつ
くらげは月光のなかを泳ぎいづ。

河上徹太郎編『萩原朔太郎詩集』178頁

漢字の由来を知った今改めて読むと更に好きになるな。特に「月光の水にひたりて わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか」が好き。玻璃の類。透明なもの。

透明の話ばかりしている。透明といえばAAAMYYYちゃんの声。話し始める時に「ねっ」から入るところがあって、その「ねっ」がかわいくて……。
Tempalayのファン歴が長いわけではないし、好きになった当初から遠征するほどライブに行っていたわけではないので、数年前のことは記憶が朧気な部分が多い。でも、なんか、前よりMCの空気感というか、皆のやり取りが「なんか良い」……!!
そう言えば、メンバー紹介も綾斗さんが夏樹さんを紹介して、夏樹さんがAAAMYYYちゃんを紹介して、AAAMYYYちゃんが綾斗さんを紹介する循環スタイル(?)で良かった。

この日は、後半のMCで綾斗さんが疲れちゃって床に座り込むシーンがあった。「座ろう」って呼び掛ける中、夏樹さんが「俺、座ってるけどね」って仰ったのが良かった。
AAAMYYYちゃんは、ツアーも後半戦で疲労が溜まっている、でもそれも醍醐味みたいなことを仰っていた。あとは「皆、年取ったんだよ」って!更に、(確か)夏樹さんが綾斗さんに対して「足腰が心配」と言うと、祥太さんが「でもそしたらあの(ギターを弾くときの)ステップはできなくない?」と、仰っていた。
夏樹さんの発言に対してだったかな、綾斗さんが「でも小学生の頃すでに頭に6ビスあったから」と返すと、夏樹さんが「6針ってこと?」と……6針縫ったという意味ではないらしい。
この時のトークがぐちゃぐちゃで良かった。更に「『るろうに剣心』の左頬みたいな……」と続ける綾斗さんに対して、すかさず夏樹さんが「それは2つじゃん」と。綾斗さんが「六つ子の魂百までと言いますから」とよく分からないまとめにかかると、祥太さんに「三つ子な」と、突っ込まれていた。

そんな話をしながらなかなか立とうとしない綾斗さんに痺れを切らして「早く立てよ!」って突っ込む夏樹さんも良かった。
なかなかチューニングが終わらない綾斗さんに「まだ終わらないの!?」って突っ込むシーンもあったような!しかも結局終わらないまま次の曲に入った気がする。終わってたのかな?
この日はOCHANさん以外、結構みんな喋っていた気がする。話し出すタイミングがぶつかっちゃったり、トークの内容にまとまりがなかったり、そういうタイミングで綾斗さんが「チューニングが合わん!」って言った時に、祥太さんが「MCのこと?」って聞いていたのも愉快だった。MCのチューニングは、いつも合ってないような……(失礼②)。でもそれが良いんだ。
綾斗さんも「MCはこんな感じで良い。休むためにある!」って仰っていた。いっぱい休んでほしい!

最初か二度目のMCだったかな、AAAMYYYちゃんがBooorn!!したことのお話があった。3ヶ月の活動休止を経て復活しましたという。
この日、綾斗さんが5~6回AAAMYYYちゃん呼びしていた。『テレパシー』の前のMCで「AAAMYYYのラップがあります」と紹介されたAAAMYYYちゃんは「いつもこの前フリ(くだり)緊張するんだよね」と。
綾斗さんは、「最近女帝(女性?)のラップが多いから、ここいらでうちのAAAMYYYちゃんを投入しよう」みたいなことを!「うちの」とは言っていなかったかもしれない。
この「AAAMYYYちゃん」呼びを、祥太さん(?)が「エイミッチ」と聞き間違えたところが面白かった。おそらくヒップホップ界の女帝・Awichさんを文字ったAAAMYCH(つづり分からん)と聞き間違えた模様。

祥太さんが広島会場は熱いって仰っていた。アンコールをやるかなと少し期待したが、今回もなかった!
そういえば『新世代』のどこかの歌詞を広島仕様に変えていた。歌詞の一部を変えて歌うの、はじめて観たかもしれない。珍しさが際立って、何て言ったか忘れてしまった。

思い出したことをとりとめもなくつらつらと書いちゃった。
明日のライブがファイナルだなんて信じられない。追加公演で1000公演やりますとか言ってほしい。私の寿命が延びる。
ライブを観ながらすっごくたくさんのことを感じて考えたのに本当に忘れていってしまうな。脳は積極的に忘れてゆくものらしいので、がんばったところで無理なものは無理。でも一瞬ひとときを大切にしようと過ごすことはできるので、今後もそうしてゆきたいと思う。

あとは……次回のツアーに向けてお金を貯める(次も賞与月にツアーをしてくださるとありがたいです)。