演奏会のマナー
《2007/05/05》
クラシックの演奏会に行こうと思ったとき、最も足を鈍らせる原因、敷居を高く感じさせる原因が「チケット代の値段」そして「演奏会を聴くマナー」ではないでしょうか。
これは永遠のテーマとも言えますが、チケットに関して最近の演奏会はサッカーJリーグやプロ野球の試合並みの値段で購入出来るようになっていますし、学生であれば牛丼3杯分程度で入場出来るものも増えています。
「演奏会のマナー」、これが厄介ですね。
まず会場に向かうにあたり「ドレスコード」を気にしなければならない、と考えている人が多いようです。しかしながら、少なくとも日本で演奏会に向かうのであれば、演奏を楽しむ気持ち一つあれば、別にどんな服装だって構わないのです。もちろん、明らかに異臭を放っていたり裸体であるなんてのは論外ですが。
いざ会場に行ってみればジーンズ着用している人の多さに驚くでしょうし、こんなにラフで良いのかと驚くことでしょう。当然、スーツやドレスである程度めかしこんでいらっしゃれば相応の雰囲気も楽しめるでしょうし、服装は本当に自由。あくまでも最低限のモラルを守り(これが結構引っかかるのでしょうね)自分のスタイルを守ってご来場いただければ問題ありません。
さて演奏会本番。
例えばピアノのリサイタルのように主役が一人であれば、これから演奏をする奏者への惜しみない応援の気持ちも込め、入場から力一杯の拍手で出迎えましょう。
これがオーケストラであれば、最初に舞台に出てきた一人に拍手をおくるのなら、オーケストラが全員出揃うまで拍手を続けてください。よくありがちなのが、最初は勢いよく拍手で迎えるのに、60人ものメンバーが全員出揃う頃には拍手もまばらになり、なんとなく後から出てきた奏者は気持ちが萎えるという現象。それならば、オーケストラが揃うのを静かに待ち、オーケストラの代表として後から登場するコンサートマスターに精一杯の声援(といっても本当に声出しちゃダメですが)をおくり、その日の音楽を形造る指揮者に最大の拍手を届けてあげましょう。
演奏会中はジャズのようにソロが終わる度に拍手をする訳でもない、ロックのように手拍子やダンスをする事でステージと一体感を味わう事もない。むしろ、演奏会中身動き一つ取れない雰囲気のなかひたすら演奏に耳を傾けます。これが堅苦しいと捉える方も多いのですが、演奏者に集中して良い演奏をしてもらうためですのでご協力をいただければと思います。
声を発する事が出来ない代わりに、「演奏者にかっこいい(可愛い)人はいないか」「一人だけ違う事をしている人はいないか」「この音楽のこの場面は自分ならどのような場面で聴きたいか」などと空想を繰り広げるのも良いでしょう。少しずつ演奏会に抵抗が無くなってきたら、その時初めて作曲家の生い立ちや曲の背景なんかを知れば良いのです。
演奏会ではほぼ休憩が入ります。この間に用を足したり、連れの方と曲や演奏の感想を述べ合い、後半への期待を膨らませます。
決して大きな声では言えませんが、正直気に入らない演奏だったりして後半に期待がもてないなら、ここで帰途につく事ももちろん選択肢に入れてもかまいません。しかし、演奏が気に入らなかったからといって上から目線で偉そうに批評もどきの投稿をするのはあまり好ましくありません。その感想はあなたの感想であり、演奏者はもちろんのこと「良い演奏だったなあ」と思っていた他の聴衆の気持ちまで害する事になりかねません。せめてそうした投稿をするなら匿名ではなく堂々と本名で書かれる事をおすすめします。
さて、演奏会が終わったら、コンサートマスターの弓先、あるいは指揮者の指揮棒が動くまでは拍手を待ちましょう。演奏後しばらく、彼らはまだ音楽の余韻に浸っています。「我こそは曲を知っている」なんて調子に乗って「ブラボー」なんて叫ぶと、間違いなく演奏会後の楽員控室では「台無しにされたな~」なんて非難の渦にさらされます。ただ、本当に熱のこもった名演で心が抑えきれず「ブラボー」を叫んだなら、きっと周囲も知らぬ間に一緒に叫んでいることでしょう。本当の名演とは、それだけの力を持っています。
これもベルリン留学時代、私はヴァント指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏会でブルックナーの交響曲第8番を聴きました。演奏が終わった瞬間、数人が「ブラボー」と叫びパラパラと拍手が起きたにも拘らずヴァントの指揮棒は全く動かず、ベルリンフィルのメンバーも微動だにせずヴァントを、そしてコンサートマスターを見つめていました。あっという間に会場は静寂を取り戻し、しばしの沈黙のあとヴァントが軽く頷き、コンサートマスターが弓を下ろした刹那、会場は割れんばかりの歓声に包まれ、客席は総立ちになりました。オーケストラの緊張感が聴衆に伝わり、感動が一つになった瞬間を目の当たりにした素晴らしい体験でした。
一方、同じベルリンフィルの演奏会、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」では全く逆の出来事もありました。この曲は第3楽章が派手に終わり、静寂の中から第4楽章が始まるのですが、第3楽章が終わった瞬間、日本人の観光客の集団が「ブラボー」と叫び、あっという間に周囲のドイツ人たちが「シー!」とたしなめたのです。
この場面、クラシック通からすれば当たり前なのでしょうが、これが敷居を高くしている原因でもあります。どうしても初心者は拍手のタイミングが分からないために、最初は感動しても拍手の一つのタイミングすら様子を伺ってしまう。本当に演奏に感動したなら楽章間だろうが拍手をすれば良い、とも思うのですが、実際に演奏する側としてはその拍手で緊張感の持続が難しくなるのも事実で、これは永遠のテーマとなるでしょう。
演奏会終了後、指揮者はその日ソロが素晴らしかった奏者を立たせて拍手をおくり、オーケストラをまとめたコンサートマスターの労を労います。このときはもう惜しみない賛辞の意味をこめて拍手をおくってください。素晴らしい演奏を聴かせた指揮者はカーテンコールで何度も呼び戻されますし、オーケストラも本物の笑顔とともに足を踏み鳴らしたり弓を譜面台にコツコツ当て(るフリをして)マエストロを称えます。
ちなみに、何度目かのカーテンコールで指揮者がオーケストラを立たせようとしてもオーケストラが呼応せず、よりいっそうの拍手をおくっている場合には、少なくとも「指揮者は普通以上の仕事をした」と認められた証拠になります。
逆に、最初のカーテンコールの時点で指揮者に促される前からオーケストラが立ちっぱなしであれば、その指揮者はオーケストラから何らかの怒りをかってしまったか、よほど酷い練習をしたもの、あるいは音楽を認めてもらえなかったものと思われます。
ブラボーに包まれる客席の割にステージ上は困ったような表情の演奏家が多い場合、「この指揮者がどうしてこんなにウケるんだろう」と思っているプレイヤーが多いということにも繋がる事があります。意外と客席とステージ上では意見が一致しない事が多いんです。
どうでしょう、堅苦しい演奏会もこうして見ると意外に人間臭くて楽しいものではないでしょうか?
まずは、第一歩を踏み出してみてください。舞台上で演奏しているのは、同じ人間であり、その数だけ個性の存在する集団なんです。
2007/05/25 コラムサイト「Junkstage」より