見出し画像

正しく恐れる。

 昨日、友人がソリストを務めるのでサントリーホールに演奏会を聴きに行った。久しぶりに聴衆として足を踏み入れたコンサートの現場で、主催者やホールの徹底した感染防止対策を見て、この2ヶ月近く、活動を再開しつつあるオーケストラの公演で陽性者が出ていない理由が垣間見えた。
 プログラムは自分で取る、チケットも自分でもぎる、アルコール消毒をする、そしてステージスタッフの方も曲間でセッティングが変わるときは全ての椅子を消毒する、ブラボーも禁止。こうしたスタッフの努力や聴衆の協力があって我々が演奏出来ているんだと実感した。
 もちろん、演奏家も毎日検温して手洗いを徹底して、会食も行かずに日々感染防止に努めている。クラシックの業界では少しずつ日常を取り戻す努力を積み重ねている。

 正直、僕は本番での弦楽器奏者のマスク着用にはそれほど意味がなく、声をあげそうな指揮者だけがマスクをすれば十分だと考えている。正直、演奏中めちゃくちゃ苦しいし眼鏡は曇るし、演奏に支障が無いと言えば嘘になるけれど、これはおそらくお客様に安心してもらうための措置だろうから、エキストラとして参加する僕らはオーケストラの方針に従うしかないし、主催する側としては出来る限り感染のリスクを潰したいという気持ちも理解出来るが、そろそろ戻していってもクレームはそれほどつかないんじゃないかな。
 逆に、ステージで演奏している時はマスクを外しているけれど、演奏が終わったらあえてマスクをつけて談笑するところを見せれば、オーケストラが率先して正しいマスクの使い方を視覚的に伝える事にもなると思うのだがどうだろうか。
 そしてこれまでにも何度か書いてきているけれど、コンサートで気をつけるべきなのは、出演者でいえばリハーサルでのやり取りや楽屋での会話、聴衆であればロビーでの振る舞いだろう。
 座席にしても、全員が同じ方向を向き、静かに鑑賞するクラシックのコンサートではそろそろ通常の収容人数に戻したっていいんじゃないだろうか。
 コンサートの会場にいるから感染するんじゃなくて、手洗いなど何かが足りなくて感染するのだという事を改めて考えるべき時期に来ている。

 僕は演奏の仕事が再開して2週間くらいになるけれど、最初の数日、都内に向かう電車が以前と変わらない混み具合で、世の中はとっくに動き出している事を知って驚いたし、取り残されていた気分になった。むしろ、東京ではこれだけの人間が移動をして1日たった200人程度か、とすら感じた。

 それまで半年近く、仕事が無い事もあって電車にもほぼ乗らず、恐怖心を煽るだけのワイドショーを多少見ていた事もあって、「コロナ脳」になりかけていたのかもしれない。緊急事態宣言が出たころは、何の根拠もなく外に出る事を恐れていた事もあった。
 だから、最近でもまだ外出を控えているママ友さんや演奏会に行く事を許可してくれない生徒の保護者の気持ちは理解出来ない訳ではない。僕もそんな時期があったから。でも、都心に出るから感染するのではない。場所が感染させる訳じゃなく、大切なのは自分の意識一つだという事が今ひとつ理解されていないように感じる。
 僕はある時期からワイドショーを見なくなったし、1日の感染者数ってやつにも全く興味がなくなった。やるべき事さえ守っていれば《過剰に恐れる必要は無い》のだと気づいた。

 例えば仕事に出たらなるべく電車の吊革など余計な物には触れないようにする、手洗いとアルコール消毒を徹底する、帰宅したらすぐにシャワーで全身を洗い流す。せめてこれを守るだけでリスクは大きく減らせるはず。
 また、一応自分が無症状の陽性者かもしれないという可能性だけは捨てず、マスクは他人に伝染さないために着用するが、最近僕は周囲に人がいなければマスクはしていない。意味がないから。
 以前、ウイルス学者や感染症の医師の密着ドキュメンタリーを見たが、彼らは職場でも特定の場所でしかマスクを着用していなかった。「付けなければいけない場所を知っているから」という理由だったように記憶している。そうなると僕らもそこまでマスクに拘る理由は無いのかもしれないが「他人への優しさでマスクを着用する」と考えると良いのだろう。

 いろいろ書いてきたけれど、各自が「正しく恐れる」という事をもう一度よく考えて、少しずつ日常を取り戻していける事を願うばかりだ。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?