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漫画 違国日記を5巻まで読んで、実写映画版のことを考える。

これ、アップするかちょっと迷っていました。書き終えたあと、6巻を読み始め、もしかしたら実写映画が、朝を中心にしたのは原作でも近いのかもしれないと少し思ったから。

とはいえ、5巻までの感想として一度書いたし、ま、11巻まで読み終えてまた感想を書くので、それで考えが大きく変わるかもしれません。

ということで、漫画の1巻を読んで、実写映画を慌てて見て、一度感想を書きました。

そこから、5巻まで漫画を読んだので、感想というか思いを。

自分は過去「子供はわかってあげない」という漫画がすごく好きで、その実写化映画を見て、憤慨したことがあります。


今のところ、そこまででは無いけど、漫画を読めば読むほど、「なんでこれを映画化しようと思ったのだろうか?」と疑問に思っていますのです。

2時間ちょっとの映画作品として、実写版の違国日記がダメだとは思っていません。それは最初の感想のときに書いた内容と同じ感覚です。例えば安直ですが「違国日記 〜朝の日記〜」とか言う感じで、「これは映画として違う作品ですよ」というのが分かるなら、より映画としての否定感は無いです。

でも、5巻まで読んでいると、実写化にあたって連ドラならまだ分かるんです。でも、せいぜい2時間半ぐらいしかない映画にはとてもできない作品だと思いながら読んでしまうんです。

なにか参考になる情報はないかなぁと思ったのですが、監督さんのインタビュー記事がありました。

ここに経緯が書かれていて。2箇所の抜粋ですが。

Q:それが今回の企画になったのは、どのような流れだったのでしょうか?
瀬田:「漫画の『違国日記』に興味はありませんか?」と、東京テアトルの企画プロデューサーから声を掛けていただきました。それで改めて読み直し「是非やってみたいです」とお返事しました。そこから原作の許諾をあたるという流れでした。

Q:原作漫画から脚本に落とし込む作業はいかがでしたか。
瀬田:どのエピソードもすごく良いし、刺さるセリフや好きな言葉もたくさんあったので、そこの取捨選択がいちばん大変でした。映画の中では、槙生と朝を繋ぐ実里(朝の母親であり槙生の姉)という二度と会えない存在を軸にして二人の関係を描くことに決め、その二人に関係してくる人たちとのエピソードをつないでいきました。そのなかで、二人にとっての他者や世界の見え方が少しずつ変化していくという形にしました。

https://cinemore.jp/jp/news-feature/3533/article_p1.html


漫画原作について昨今いろいろありましたが、自分は当事者ではなく単なる作品・コンテンツを楽しむ側の立場だけです。

なので、記事のコメントをどう受け取るかによっていろいろ変わりますが、悪意というか偏見をもって読んでしまうと制作陣側が使えそうな漫画を使って実写映画化をしただけなのかなって思って感じてしまう部分もありました。

とはいえ、何度も書いていますが、それでも映画としてはちゃんと落とし込んだとは思うんです。それでもベースのある漫画を素材として作った映画作品なんだなと。素材だからこそ、朝を中心にした作品に調整したのかなと。

でも、原作漫画が好きってってなると、2時間そこそこの映画にはしないと思ってしまうです。難しいところですが。


ここからは、違国日記とは直接は関係ないですが、映画製作の問題は「オリジナル作品の企画を通す」ということが難しのだろうとも思いました。

あと自分もですが、見る側として「オリジナル作品を評判気にせず見に行けるか?」というのもあると思う。

自分があまり原作がある作品じゃなくて面白いなぁと思った作品ってなんだろうか。真っ先に思い出したのは、内田けんじ監督の作品だ。「運命じゃない人」「アフタースクール」とか。

ああ、最近なら「リバー、流れないでよ」があるじゃん。

うん、そうだな、オリジナルだってちゃんと面白い作品もあるな。


ということで、原作残り読んで、また考えます。

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