三連散文

 マジカルラブリーは漫才か。2020年M1グランプリ。その後の論争。マジカルラブリーは漫才という帰結。
 三連散文は短歌か。57577というプラットフォームを活用。歌体は短歌のそれのようには感じられないが。
  春雷で目が覚める おすすめのカフェにいく 僕もいつか死ぬ(千種創一) 
 春雷で目が覚める。おおよそ朝の時間。天候は荒れている。おすすめのカフェ。君のおすすめと君を代入。カフェに行く天気はきっと晴れ。僕もと言っている。君も。死は避けられない。君と過ごすカフェ。実感のない死をとりあえず思い浮かべてみる。リアリティーの欠片もない。ただそれはいつか春雷のように突然訪れる。
 最初の文。2番目の文。3番目の文。そして最初の文に戻る。輪廻のような構造。
 景も情もある。短歌だ。春雷で目が覚める。おすすめのカフェにいく。僕もいつか死ぬ。という構造だと全く味気がない。意味も取れない。逆に言うと、短歌構造の中でしか味わうことができない。
  もう何度も同じこと繰り返してる 電線がたわむ すべてが美しいんだ
(阿波野巧也)
 三連散文。一見短歌らしく見えないそれは短歌世界でしか生きていけない。
 印象派が出てきた時、こんなの絵画ではないと痛烈に批判した数多美術評論家の屍を。

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