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響け!ユーフォニアム 久石奏3年生編を待ちきれなくて盛大に妄想した 全10万字:四章 ~全国大会(前)(6/9)

目次、お断り(リンク)


プロローグ④

あの秋、いてもたってもいられず京都駅に向かい、我に返ったら新幹線に乗っていた。

去年のコンクール、先輩にオーディションで競り勝ち私が本番の舞台に立った。死にものぐるいで練習したが、結果は届かなかった。部内からは後ろ指を刺されるようになった。あの頃はそう思い込んでいた。
あの日から、判断基準が大きく狂っていった。
確かに今年のコンクールも全力は尽くしたが、去年ほど死にものぐるいになれなかったような気がする。結果は似たりよったりだった。
そんな虚無感から抜け出せない頃、あの吉報を聞いた。

北宇治高校吹奏楽部。
久しぶりの京都勢の全国大会出場。

同じ京都として、気分が高揚しないはずがない。いろいろな噂を耳にするが、百聞は一見にしかずだ。いや、音楽は聴くものだからどう言い換えたら良いのだろう。
そうこう考えているうちに、緩やかな右カーブの先に名古屋の街が見えてきた。テレビやニュースではあまり聞かないが十分立派な大都会だ。ビルの林の真ん中で新幹線を降りエスカレーターに乗る。周りに合わせて左側に立つと右側をスーツ姿の男性が早足で通り過ぎていく。
そのまま乗り換えた在来線の改札を出て考えた。さらに地下鉄に乗り継ぐルートが標準的らしいが、徒歩にする。二十分くらいらしいし、お金も節約しないと。
川沿いに歩いていくと、高い二本のビルを空中廊下がつないでいる建物が見えてきた。つい速足になる。近づけば近づくほど沢山の建物が、そして人が見えてくる。制服姿の高校生も大勢いる、誰もが高揚し、そして礼儀正しい。眩しい。
ここが、吹奏楽コンクール全国大会の会場。名古屋国際会議場。中学三年生の私には何もかもが大きかった。


四章 ~全国大会

帰ってきた玉田

関西大会が終わり、二学期が始まろうとしていたが、未だ玉田の姿をみることはなかった。でも焦ってはいなかった。低音グループLINEに短いながらメッセージが来るようになったからだ。既読もすぐつくようになった。しかし、誰もまだ直接会ったり話した人はいなかった。

ある部活が終わった後の遅い夕方、佳穂と二人で息を切らして学校へ向かっていた。明日のはずだけど、きっといる。見えてきた校舎からユーフォニアムの音だけが少しずつ聞こえてくる。やっぱり!。力強くはないが丁寧で落ち着いた音。途切れ途切れながらも遊び心がある旋律。また会える!息せき切って階段を登る。その先には・・・・
上下スウェットを着た背の高い人がいた。彼は振り向いて驚いた表情をした。ゆっくりと近づこうとした時、佳穂が一目散に駆け出し、彼にしがみついて泣きはじめた。
「あれ?。明日ってLINEしたはずなんですけど・・・まあいいや。遅くなりました。」
首を傾げ、佇まいを直しながら頭を下げたのは、確かに玉田だった。
「・・・遅いぞ」
「待ってたよ・・・」
「・・・佳穂先輩、痛いです。」
「ご、ごめんなさい!」
佳穂が慌てて玉田から離れる。
「お会いしたかったです。」
玉田の声はかすれてとても小さい。話しながら持っていたユーフォニアムをゆっくりと床に立てる。
「・・・もう、一緒に関西大会、演奏できなかったじゃありませんか。大変苦労しました。」
「大丈夫、全国大会があります!一緒に吹きましょ・・ううん、一緒に吹こう!」
「・・・先輩。俺はコンクールに、いや、そもそも部活に参加できるんですか?」
「当然です。」
即座に言い放つ。佳穂も首を縦にブンブンと振る。
「・・・そんな、俺今まで何もしていないのに・・・」
「そんな事言わないで!」
珍しく佳穂が強い調子で言った。
「だって玉田くんあんなに上手じゃない。ずーっと工夫して頑張ってきたんだよね。さぼってなんかないよね。頑張ったんだよね。大丈夫。一緒に部活しよ!」

翌日の練習日、昼休憩の後音楽室では全員での基礎練習準備をしていた。が、ついさっきから低音パートは姿が見えない。
「部長、低音のみなさん何かあったんですか? さっきも美玲先輩と不思議な表情で話をされてましたけど。」
「うふふ、すぐにわかります。サリー。」
ほどなく、音楽室に近い三年三組のほうから歓声が聞こえてきた。
「部長、もしかして・・・えっ!すごく嬉しい!」
「そうよ。みんな! 練習の前にお話があります!」
扉が開き、まず低音のメンバーが入ってきて定位置に着いた。間をおいて美玲、ユーフォニアムを手にした奏、そして玉田が入ってきて三人は梨々花の近くに立った。音楽室からは静かながら確かに声が上がった。
「ユーフォニアム一年生玉田が今日から復帰します。ご迷惑をおかけしました。よろしくお願いします。以上。」
美玲と玉田は頭を下げる。長身の二人のお辞儀は不思議な迫力がある。
「以上?!」
奏は遅れて頭を下げながら美玲に向かって言い返す。
「だって他になんて・・・」
「大丈夫。では私から、事務的なことを先に言います。玉田くんが本格的に合流できたら、全国大会に向けたオーディション目指して参加してもらいたいと思います。これは部長の私の意志であり・・・一部員としての希望です。あ、事務的じゃなくなっちゃった。」
教室内には微笑ましい笑い声がする。それに対して三人はまだ視線を神妙に下げたままだ。
「大丈夫よ、美玲、奏、そして玉田くん。みんなを見て。」
「待ってたよ」「もう大丈夫?」「無理しないでね」「また楽器の話しようぜ。」
「ありがとうございます。頑張ります。」
記憶よりはるかに音量の小さくかすれた、しかし心のこもった声だった。
「みんな、さらにいい練習しましょう!いい演奏を目指しましょう!。拍手!」
玉田は声を出せない代わりに、胸に手を当てて改めて深々と頭を下げた。


玉田復帰後の練習の日々

「玉田くん、声、まだ出しづらい?」
「ええ、しばらく身振り手振りでも使います。」
「じゃあ、何かあったら私が代わりにしゃべるね!」
佳穂は玉田の隣で嬉しそうに話している。
「差し支えなければですが・・・治るのに時間はかかりそうですか?」
玉田は奏の質問に、指で三から四と合図して答えた。
「痛いですが楽器はなんとか吹けます。」
顔をしかめながら玉田は話す。
「ご、ごめん、無理しないで。」
「ほんと、楽器好きだね、玉田青年。」
「いやだったら答えなくていいけど、なんでそんなに痛いの?」
「玉田くん、すずめの質問、代わりに話していい?」
玉田はしばらく考えた後、うなずいた。
「玉田くん、気管挿管していたんだって。」
「な、なにそれ?」
「ほら、すずめ、玉田青年に説明させちゃだめだよ。ネットで検索・・・いいですよね?、美玲先輩、スマホ使って。」
「もちろん、玉田に負担をかけないためなら。」
「・・・うわ!」
弥生のスマホには、医療ドラマで見たような光景や、人体断面図がたくさん表示されている。
「ちょっと待った、まじ?!、こんなん入れてたの?」
玉田は身振りで口元から喉元をなぞる。
「い、痛そう・・・」
「まあ、だいたい眠ってましたけどね。」
「ほら、ほんとうに無理しないで。あと、説明もお休みしていいから。」
「玉田くん、話せないのをいいことに言いますね。部活を続けていいんですか?とか、オーディションを目指していいんですか?という話は今後一切禁止です。いいのですから。」
奏の話に美玲もうなずく。他のメンバーも続いた。
玉田が話そうとしているのに気づき、皆は一斉に静まった。
玉田は右掌を胸に当てて頭を下げた。
「お気遣い感謝します。嬉しいです。」


全国大会オーディション

・・・・・・
「以上が全国大会のコンクールメンバーだ。ソロ・ソリについては滝先生から発表して頂く。まもなく来られるのでそれまで静かに待つように。」
美智恵の話が終わり、静かに美玲が歩み寄ってきた。目には涙を浮かべている。
「おめでとう、奏。よかった、ユーフォニアムが三人とも選ばれて。」
「そうね、去年は二人でしたから。」
「まだ言う。」
「ごめん、冗談。」
「この時をずっと待ってた。今日このときのために一年間頑張ってきた。」
「まだ練習してもいませんよ。それに・・・どうしたの?。」
「奏を全国の舞台へ、という私の目標が、これで。」
「本気でそんなの目標にしてたの?。」
「当たり前じゃない。一緒に演奏しよう。最高の。」
いつしか求もさつきもそばにいる。三人は握った拳を差し出してくる。奏は一瞬面食らいながらも言い返す。
「ちぇー、もう少し感慨に浸ってる美玲を見ていたかったのですが。あ・・・遅くなりました、三人ともおめでとうございます。その・・・よろしくお願いします。」
四人はゆっくりと拳を突き合わせた。低音の下級生たちは感無量とばかりに見守っている。

・・・少し落ち着いて教室を見渡す。まだざわついているが、敢えて美智恵先生は口うるさく止めようとしない。結果発表の直後で多少は何かしらあるだろう、といわんばかりだ。
静かにドアが開いた。すぐに静まり返り全員の視線が集中する。
「滝先生、先程私からコンクールメンバーを発表しました。」
「そうですか、ありがとうございました。遅くなってすみません。」
「いえ。それよりも、さあ。」
滝先生は生徒たちの前にたった。教室はさらに静まり返った。
「ソロ・ソリは私から発表しますが、その前に。」
再び教室中がざわつきはじめたが、すぐに生徒どうしで注意しあって静寂が戻った。
「春、皆さんは全国大会に出場・自分たちが最高と思う演奏を追求する、という目標を立てました。第一段階に到達し、いよいよ第二段階です。どんな演奏・音がふさわしいか、一緒に試行錯誤してきましょう。今日の発表は関西大会からの入れ替わりがあります。ですが、それは今日この時点で最も目標にふさわしく、ソリ奏者お互いの相性も含めて考えて選びました。皆さん、私を信じてくれますか?」
「はい!」「はい!」「はい!」
一切の躊躇も迷いもない返事だった。京都府大会から関西大会での入れ替わりでも何のわだかまりもなく皆受け入れていた、少なくとも私にはそう見えていた。それはユーフォニアムが実動二人しかいなかったからどこか他人事だった。だが今回は違う、玉田くんが戻ってきた。再び一緒に練習するようになって佳穂は調子を上げていて、玉田くんは順調に復活している。美玲が低音みんなの面倒を見てくれるから自分のことに専念できたといえば言葉は良いが、悪く言えば孤独だった。自分のせいなのだが。
・・・
「トランペット。」
・・・
「クラリネット。」
・・・
ここまでソロ、ソリの奏者、パートの入れ替わりはない。ということは、ユーフォが?、もしかして私が・・・。
「ユーフォニアム。」
滝先生は一呼吸置いた。固唾を飲んで滝先生を見つめる。
「久石さん。」
それが名前の読み上げではなく呼びかけだと気づくのに一瞬の時間がかかった。緊張が走る。まさか、ソリから外されてしまうのか。
「は、はい!・・・」
一瞬の時間が異様に長く感じる。
「久石さんはこれまで通りファーストをお願いします。セカンドなのですが・・・久石さんで決めてくれますでしょうか?。」
さすがに教室内は騒然となった。にもかかわらず佳穂と玉田くんはというと顔を見合わせながら目配せして穏やかな表情だ。
「静かにしてください。」
「先生、おっしゃっている意味がよくわかりません。」
「そのままの意味です。もちろん、私や松本先生が判断に困ったからではありません。もし難しい場合は言ってくださいね、私で決めさせて頂きます。」
「そんな・・・」
美玲も言葉が出ない。
「・・・わかりました。み・・・パートリーダーの鈴木美玲さんとしっかり話し合います。」
「は、はい。わかりました。」
「わかりました、久石さん。鈴木美玲さんも。そう言ってくれるとありがたいです。」
滝先生は信頼した目で私と美玲を見、そして視線を佳穂と玉田くんへと移した。
「針谷さん、玉田くん、お手数をおかけしますが・・・どうかお願いします。」と丁寧に時間をかけて頭を下げた。


ソリ再オーディションへ向けて

「奏」
解散となった教室からパート練習部屋へ移動する途中。美玲は奏を呼び止めた。
「美玲?滝先生は何て言ってたのです?。どっち?、どっち?」
「・・・奏、そうじゃない。」
「じゃあどういうこと?」
「滝先生は、奏が最高の演奏をできるセカンド奏者を、と願っている。信頼の上で。ただそれだけだと思う。」
「だから私が・・・私が決めろと。」
奏はいつの間にか胸元に当てていた拳をさらに強く握る。
「・・・こんなに苦しいんだね、自分が決めるって・・・久美子先輩も、美玲も、強い。私には無理・・・・」
美玲は一呼吸をおいてまっすぐ奏を見つめ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「だから言ったでしょ。」
そこに嫌味はない。
「ちょっとは見習った?」
奏は言葉無く静かにうなずく。
「で、どうする?」
「・・・うん、自分で考える。」
「あの二人とは話せる?」
奏の脳裏には、一年前の部員全員を前にした久美子の演説がよぎる。部長として、そしていち奏者として、あの人は強かった。弱いところがたくさんあったからこそ、強かった。だから自分の思いを言葉にできた。なのに自分ときたら。
「・・・今日すぐは難しいかも、でも明日にはちゃんと話す。私は、佳穂と玉田くんの先輩なんだから。」
「私を頼れそう?」
「そうね、ちょっと悔しいけど。」
「素直になりなよ。」
「美玲が一番素直じゃないくせに。」
「・・・ほんとに手間かかるんだから・・・」
その口調はやさしかった。
・・・
仲間がいるって嬉しい、そしてつらい。仲間がいるってつらい、そして嬉しい。

パート練習部屋の隣の教室で二人は練習していた。ちょうどあのソリ・二重奏のところを。二人ともセカンド候補にも関わらず、ファーストとセカンドを交互に吹いては、一緒に合わせては、今度はセカンドを重ねて演奏し。それを繰り返している。なんだろうこの胸のざわめき、ファーストは私で決まっているのに。奏は隠れて見ていることにした。
「それだと奏先輩を追い詰めちゃわない? 焦らせたくないし。」
「うーん、もっとこう、華を持たせたいんだよなぁ奏先輩に。」
「だからといって引っ込み思案になると足引っ張っちゃうし。」
自分のファーストは確定されている。なのに。脅かされることはない、それはむしろあの二人なのに。
・・・お互いのパートを交換して練習すると、お互いのことがよく分かると思います・・・
佳穂と玉田は、あの練習を丹念に繰り返していた。二人は私のために頑張っている、やっとそう素直に思えた。
「もっといい響きになるようにしよう。」
「はい。もちろん。奏先輩のためにも。」
愛しくほほえましく頼もしい後輩二人は、なんだか近かった。

声をかけること無くその場を立ち去って戻ると、美玲がまだ待っていた。その表情はさっきにまして穏やかだ。
「どう。今、幸せなんじゃない?」
「そうね、こそばゆいほど。」
「・・・腹くくるしか無いね。」
「わかってる・・・つもりだった。でも、本当にわかった。」
「・・・やっと、私もチューバに専念できるかな。」
「あら、それじゃずっと美玲の手を煩わせていたみたい。」
「だってそうでしょ。」
少し高い位置にある頼れるパートリーダーの目は優しかった。

ソリ再オーディション

あの発表から数日。他の楽器がパート練習中、低音パート全員、部長、副部長、ドラムメジャー、そして滝は音楽室にいた。
美玲が口火を切る。
「今日、ユーフォニアムソリの・・・」
何かが奏の脳裏に響いたのか、口が勝手に動いていた。
「美玲、あとは私が。」
美玲がその静かだが芯のある声に安堵し、任せたと奏を見つめてうなずいた。
「ユーフォニアムソリのセカンド奏者について、滝先生から人選を委ねられましたので、再オーディションの形で決めることにしました。針谷佳穂さんと玉田直樹くん、個別の演奏はしてもらいません、二人とも十分そのレベルに達しています。ファーストの私とそれぞれ一緒に演奏します。その後、どちらがふさわしいか、私から結果を発表します。」
低音パートの面々に限らず一同息を呑む。
「結果の判断には、私がします。事前に低音パートリーダーの鈴木美玲さんのアドバイスはもらっていますが、彼女もまた、私に委ねてくれました。ここまで、今日の説明です。」
「三人ともよくここまで頑張ってくれました。全てを尊重します。よろしくお願いします。」
滝は丁寧に頭を下げる。
奏は楽器を床へ丁寧に置くと、近くの椅子を取り、演奏者用にと二つに並べられた椅子の隣に置いた。何に使うんだろう、そんな声が聞こえてくる。
「針谷さん、玉田くん、お願いします。」
二人は楽器と楽譜を手に立ち上がり、向き合ってささやくように「頑張ってね」「頑張ってください」とにこやかに言葉をかわしながら演奏者席へ向かった。大丈夫、このふたりなら。
「希望の順番はありますか。」
「先にお願いします。」
いつもの佳穂とは思えない大きな声だった。
「わかりました。では、玉田くんはこちらの席へ。」
今度こそ教室中がどよめいた。玉田が着席したのは 演奏者用の三つ目の椅子だったからだ、それはこれから演奏する佳穂のすぐ隣でもある。ソリ以外も含めた合奏配置を意識していることは明らかだ。
「ふたりとも準備はできましたね?。」
佳穂が譜面台に楽譜を乗せたことを確認し、奏がささやくように「頑張って」と声をかける。奏の正面にある譜面台には奏の楽譜がスタンバイ済だ。
「では、始めます。」
その凛とした声に、美玲が、さつきが、求が、皆の背筋が伸びた。
佳穂の演奏はさらに上達していた。府大会でパートが決まったときは心配する声もあったが、関西大会前の合宿と他パート奏者を前にした特訓を経て、良い評判も聞かれるようになった。実際、それで北宇治は関西大会も勝ち上がり全国大会出場を決めている。その成果を十二分に発揮している演奏だ。その間隣で玉田は神妙にじっと聴いて待っている。一体どうゆう心境なのだろう。佳穂との演奏の後には教室いっぱいに温かい拍手が溢れた。玉田もまた小さく拍手をしたが、そこから笑みが消えていく。
「では、次、お願いします。」
奏の声にその場の空気がようやく動いた。そして佳穂と玉田が座る位置を交代し楽譜を入れ替える。
「準備、できましたか。玉田くん。」
「あの、よろしいですか。」
「なんでしょう?手短に。」
奏の返事は早口ながら余裕があった。
「もう二小節前から始めてくれませんか。」
「・・・いいでしょう。」

・・・ソリの手前の私の音から演奏してほしい、と?。以前の私なら邪険に考えたけれど、今は、私の演奏に合わせたいためだと素直に思える。ちらっと視線を左に向けると そこにはさきほどより高い位置に金色のユーフォニアムが見える。その向こうの佳穂がいるのかどうか心配になるほどだ。少し、背筋を伸ばし直す。
「では、私から吹き始めますので、そのまま合流してください。良いですね?」
「はい、お願いします。」
(なんだか自分が一番試されてるみたい・・・だからこそ、自分の極限のベストを。)
そこから先は自分でもよく覚えていない。私はオーディションであることを、しかも判断する側であることを忘れていたかのようだ。
しばらく呆けていた自分を、大きな拍手の音が呼び覚ました。佳穂もまだ玉田をちらっと見上げて小さく拍手をしている。
「すみませんでした、以上で演奏を終了します。おつかれさまでした、二人はさっきの場所へ戻ってください。」
「私はここで失礼します。判断をお任せした以上、私はこの場を外します。」
「はい。結果は後で報告します、滝先生。ありがとうございました。」
滝先生は穏やかな表情のまま一礼し、教室を後にした。
私も演奏者席から移動し、楽器を置くやいなや二人に向かい口を開いた。
「では結果を発表します。」
「えっ」「もうですか」
「時間をかけようが私の考えは変わりません。佳穂・・・いえ、針谷さん、玉田くん、それでよいでしょうか。」
二人はお互いを見合って、すぐにまっすぐに向いて「もちろんです」と揃ってはっきり口にする。私はまっすぐふたりを見つめる。きっと久美子先輩なら、黄前部長なら、美玲なら。とても私には真似することは無理だ。でも、それでも受け入れてくれる、二人は。腹をくくるしか無い。
・・・

奏はそのまま二人の顔を少しずつ一瞥する。そして佳穂の方へ歩み寄った刹那、佳穂は驚いた表情をして奏を見つめ、やがて何かを察したような晴れやかなにこやかな表情になった。
「佳穂、大好き。」
奏は佳穂の両肩に手を当てたあと佳穂を招き入れ、まるで自分の顔を見られたくないかのように抱きしめた。
「奏先輩・・・ほんとうにありがとうございました。私、いっぱい頑張れました。」
安堵の空気に包まれた教室の中、美玲は一人違和感を感じていた。
佳穂が奏に埋めていた顔を横に向け満面の笑みを玉田へ向ける。微笑んでいる玉田が手のひらを合わせ叩こうとした瞬間、佳穂が震え気味の声で言った。
「おめでとう、玉田くん。」
「佳穂!・・・」
奏は佳穂と体を離す。佳穂はまっすぐ奏を向き直した。
「そうなんですよね?、奏先輩。」その声がわすかにひっくり返り、周りは静まり返る。視線が奏に集まり、しばらくして奏は奥歯を噛みしめるような表情で佳穂に向かってゆっくりと首を縦に振った。
「佳穂・・・ありがとう、すっごく上手だった。びっくりした。一緒に吹いてて気持ちよかった。今まで以上に。う、嬉しかった。」
奏は腕をほどきながら佳穂に向かって震える声を絞り出すように言い、そして体の向きを折り目正しく玉田の方へ向ける。両手の拳は固く握られて瞳は揺れている。そして、奏が大きく息を吸う音が教室に響いた。
「玉田くん!・・・佳穂を泣かさないでください!。絶対に!・・・」
玉田はわずかに顔を歪めながら控えめにしかしはっきりと返事をした。
「はい!」
「玉田くんなら絶対安心です!」
佳穂は笑顔ではっきりと言い放った。
未だ呆然とする者が残る教室の緊張感が解けるのにしばらく時間がかかったが、自然と穏やかな拍手が三人を包んでいた。
「奏、そろそろいいかな。」
「うん。・・・美玲、あと頼んでいい?」
美玲は小さなため息を付いて微笑み、すぐに皆の方へ向き直した。
「これでユーフォニアムソリのパート決め再オーディションを終わります。長い時間ありがとうございました。」
美玲、佳穂、玉田が笑顔で頭を下げる。やや放心状態の奏も続いて頭を下げた。改めて温かい拍手が教室中を包んだ。

しばらくして奏は美玲と職員室へ向かった。そこには滝一人が残っていて、なにやら写真のようなものを手に話しかけていた。
「・・・・さん、吹奏楽部の顧問をするには優しすぎるなどと、私はあなたに大変失礼な考え方をしたことがありました。今日、生徒の優しくて真摯な演奏の高め合いを、目の当たりにしたんです。・・・あなたの優しさのおかげで気づけたのかも知れません。いつもありがとうございました。」
「滝先生」
「おや、久石さん、鈴木さん。」
「滝先生、奏者を決定したので報告に来ました。」
「そうですか、おつかれさまでした。演奏も進行も大変だったでしょう。」
「はい。でも、おかげでたくさんのことが学べました。その・・・物事を、特に演奏に関わることを決めるのがどれだけ大変なのか、少しだけわかりました。」
「そうですか。久石さんがそう言ってくれるのであれば、よかったです。本当に無茶なお願いを引き受けてくださり、ありがとうございました。」
滝は丁寧に頭を下げた。
「それで、奏者の結果ですが・・・」
「明日からの練習、楽しみにしています。」
「えっ?・・・」
「誤解しないでください。私は、久石さんの、そして低音パートの結論と意思を全面的に信頼しています。それだけなのです。奏者によってリクエストの内容は変わりますが、このようなお願いをしたからには、私も二人分の準備をしてありますから、そこは安心してください。」
「二人分・・・」
なんということだ、本当に滝は一人ひとりの音ごとに練習内容を考えているのだ。机の上には自由曲のフルスコアが2冊積んであり、一方には黄色の、もう一方には青色の付箋がびっしりとつけられている。
「もしコメントさせてもらえるなら・・・三人ともとても素晴らしかったです。本当にこの曲についてよく探求してくれています。ですから、楽しみにしていると言ったのは、本心ですよ。」
「奏、よかった。」
美玲の表情が緩む。
「今日は皆さんゆっくり休んでください。明日から、新しいスタートです。」
「あの・・・先生。」
「何でしょう?」
「どうして今回このような・・・?」
「久石さんがいちばんふさわしいと考えたからです。本心ですよ。」
「そう・・・ですか。」
「奏、そろそろ行こう。」
「ありがとうございました。失礼します。」

「・・・生徒皆に思う存分演奏して欲しい。久石さん、もちろんあなたにもです。去年の分も。期待しています。」


全国大会への日々:低音

「ところで玉田くん。」
「はい?」
「なぜ疑問形?」
「深い意味はありませんけど・・・。」
「まあいいです。休んでいた間、毎日書いていたそうですね?」
奏はにやにやしながら玉田へ話しかけ、佳穂に視線を向ける。
「ほとんど毎日だったかなぁ。」
「ひょーーー」「えっえっそれって」「佳穂ってば・・・」
「書いてましたね、といっても起き上がれたときですが。」
「ひょーーー」「全然物怖じしないなんてー」「玉田青年ー」
「楽譜。」
「はい?」「はあ?」
やっぱりとため息を付いたのは奏だった。
「君はお坊さんにでもなったのか?」
「それはお経だろ。」
「やっぱこの低音パートはみんな楽しいですね。」
「でしょでしょ。」
「さつきまで・・・もうーこれじゃ去年よりたちが悪い・・・玉田、無理に気をつかわなくていいから。」
「美玲先輩。」
「え?」
「これです。コンクールが終わったら何かアンサンブルをしたいなと思ってるんです。ぜひ、みなさんと。だから、バリチュー編成にアレンジしていたんです。」
「バリチュー? バリサクとチューバが合体したとか?」
思わず求が吹き出す。
「今の、加藤先輩を思い出した。」
「確かに葉月先輩の反応そのものでしたね。」
「さつき!そういうところは受け継がなくても・・・」
「まあまあ、みっちゃん。」
「どれ、私にも見せて下さい・・・!これ・・・」
「・・・奏先輩?」
「どう、奏。」
「玉田くん・・・あなたスゴイ、純粋にスゴイ。難しすぎるけど、ふふ。」
そして佳穂は終始にこにこと自慢げだ。彼女には嫉妬心がなさすぎて心配だが、それはとても良いことのようにも思えてくる。
「玉田くん、この曲やりましょう。アンサンブルコンテストとは関係なく。」
「でも奏先輩、受験は?・・・」
「受験は変な話来年でもできます。でも、もっと一緒に吹いていたいですね・・・去年の分も。それは今しかできないです。」
「パートリーダーとしてはもちろんコンクールまで全力疾走だけど、私も是非。さつき、いいね?」
さつきは緊張しながらも首を縦に振る。
「やったぁ!バリチュードリームチーム結成!私マネージャーやります!」
「応援団やります!」
「佳穂、あなたはもうすぐ最上級生なのですから、乗っ取るくらいの意気込みが欲しいです。」
「すずめ、弥生、あなたたちも。」
二年生三人は急に曇った顔をする。
「・・・それを考えたくないです・・・」

「お前ら、うらやましいよ。」
「も、求先輩、申し訳ないです。」
「いいんだ。俺が新入生をうまく勧誘できなかったから、今一人なんだ。でも・・・俺だって寂しいんだ。」
「緑先輩は偉大でしたからね。」
「もちろんそうだけど、後輩がいないのがこんなにツライなんてな・・・自分は緑先輩にとって良い後輩だったんだろうか。」
「その成果、全国で発揮するんでしょ。」
「・・・そうだった。それが目標だった。」


全国大会への日々:合奏

=====♪=====
「最後のコラール、和音。ユーフォ、セカンド少し押さえてください。バランスを整えます。」
「はい!」「はい!」
「なあ滝くん、それ・・・もったいなくないか?いいところだよ、ここはユーフォの和音の厚みが欲しいじゃんか。」
「橋本先生、確かにそうなのですが、音の割り振りが複雑で、ソルフェージュもバランス調整も非常に難しい。少し崩れると破綻してしまうのです。」
「そうなんだけどな・・・なあ、今ユーフォが三人ってことは?ファーストはそちらのお嬢さん一人だね?」
奏が軽く手を上げてうなずく。
「じゃあ、試させてくれ。端の席のセカンドのお嬢さん。」
「はい。」
佳穂は冷静に返事をする。
「ここから八小節間はファーストを吹いてくれる?。和音の上側。」
「はい!できます!」
佳穂のあまりの即答ぶりに奏は驚いた。
「青年、その分しっかり吹いてな。」
「はい!」
「ではそれでお願いします。遠慮はいりません。」
=====♪=====
しばらくの沈黙が流れる。木管楽器や打楽器からため息が聞こえる。
「いいじゃない!各パートがより浮き立って聞こえる。滝くん、こっちでいかないか?」
「確かに・・・私もこちらのほうが良いと思います。わずかな差かもしれませんが印象が違います。ですが、先程言ったように、ソルフェージュもバランス調整も細心の注意が必要です。リスクは増えます。できますか?、いえ・・・」
滝は一呼吸置く。
「こうしたいですか?」
「はい!」「はい!」
頼もしい二人の後輩の返事を、奏は目を細めて聞いていた。
「久石さん、いかがですか?」
「はい!これでお願いします!」
「決して気を抜かないように、久石さんの音が要になることに変わりはありませんからね。」
「はい!」
「滝くんそう厳しいこと言わんと。こんなん、やってみろと言われてすぐできるもんちゃうで。」
「ええ、わかっています。そのために練習を重ねてきていますからね、皆さんは。」
「玉田くん。違う音を顔に向かって吹いちゃうけど、大丈夫?」
「望むところです。佳穂先輩とのハモリは楽しいです。」
「練習してきたかいがあったね。」
「こほん、お二人とも、私のこと忘れてません?」

結果的に私の楽譜に佳穂がユニゾンで加勢することになる。昔の私なら、何かしら不快に感じたかもしれない、まるで自分の縄張りを荒らされるような。でも、今はそんなことはない。それだけ玉田が順調に回復している証拠でもあるのだ。
皆で力を出し合って大きな音楽を作る。一人ひとりが役割を分担しそれを果たす。不足があれば補い合う。それをプロの指導者を交えてみんなで一緒に考え試行錯誤する。引き算ではなく足し算で考える。そんな練習は楽しくて仕方がなかった。

追い込み時期の練習はハードであることに変わりはないが、精神的に辛い苦しいという声は聞かれない。雰囲気もピリピリしていない、心地よく張り詰めている。美玲いわく、一回一回の演奏にものすごく集中力が求められ去年のような長時間の練習ができないという、集中力がもたないというのだ。そこが去年とずいぶん違っているらしい。あの美玲が言うのだからそうなのだろう。一回一回の演奏を丁寧に、集中して。たとえ少し崩れても止めずに立て直せるように演奏を続ける。これはミス無く演奏することよりも難しいと橋本先生も新山先生も言っていた。
そして丁寧にミスを振り返るために、練習の録音を聞き返す時間をしっかり設けている。じっくり楽譜を読み、何が課題か、どういう演奏を目指すのか、その実現のためにどうしていくか。
ユーフォニアムソリの評判も良い。二学期が始まって演奏レベルを維持するだけでも大変なのに、さらに向上している、新しいことにチャレンジしている、と、橋本先生も新山先生もご満悦だ。


続く

一つ後:四章 ~全国大会(後)(7/9)

一つ前:三章 ~関西大会(後)(5/9)


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