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響け!ユーフォニアム 久石奏3年生編を盛大に妄想@2020年:五章 ~卒業式、エピローグ (9/9)

★重要なお断り(公式との乖離)★

本作は 原作「決意の最終楽章(2019年4月,6月 出版)」のあと、2020年に着想・作成し、2021年1月7日(誕生日設定)に掲載し、エピソードを追加してきました。
従って、TVアニメ「響け!ユーフォニアム3(2024年4月~6月 放送)、及び、短編小説「北宇治高校吹奏楽部のみんなの話(2024年6月 出版)」の内容は反映されていません。
奏さんだけでなく他の登場人物の境遇や言動等、公式とかなり乖離あります
が、当時の作者の想いということでそのままにしてあります。予めご了承くださいますようお願い申し上げます。

目次、お断り(リンク)


五章 ~卒業式、エピローグ


再度の訪問

晩秋のある日、奏と佳穂は玉田の運転する車に乗っていた。助手席には佳穂が座り、後部座席には奏がハードケースに収められたユーフォニアムを大切そうに傍らに携えている。あの初春の日のように。

程なくして、車は目的地近くに到着した。三人は車を降り、記された住所を辿って、そしてインターホンを押した。奏にとっては一年弱ぶりだ。
あすかと香織が出迎えた。
「やあやあよく来たね。おっ、三人お揃いか・・・まあいっか、どうぞ。」
「いらっしゃい。」
「お、おじゃまします。」
佳穂は緊張しているのか勢いよくお辞儀をする。
「おじゃまします、またお会いできてうれしいです。あの、お土産と言ってはなんですが、幸福堂まんじゅうです。みんなで選びました。」
一瞬あすかの表情が曇るが、香織がたしなめた。
「そう、ありがとう。選んでくれたんだ。よかったねあすか。」
「お口に、合いませんか?」
ずいぶん下の後輩の言葉を聞いて、あすかの表情は和らいだ。
「いやー気ぃ遣わせちゃったね。もらっとくね、奏ちゃん。」
「ありがとうね。それにしても全国大会銀賞おめでとう。嬉しい。」
あすかは香織へ相槌を打ちながら一瞥すると、わずかに低い声で言った。
「香織、そろそろ時間じゃないの?」
「うん?まだ。もうしばらく・・・?」
香織はあすかの「外してほしい」に気圧され、小さなため息をつくと、立ち上がった。
「そうだった、早めに行くんだった。じゃね、奏ちゃん、佳穂ちゃん、えっと玉田くん。ごゆっくり。」
「はい。」「はい!」「はい。」
香織は肩に楽器ケースのような四角いカバンを下げると、じゃ、と一声かけてドアから出ていった。

あすかがドアから気配がなくなったのを確認すると、三人の方を向いてニヤリとした。
「実は、玉田青年と一緒に来てほしいという理由なんだけどね。」
「はい・・・薄々と。」
「そか。内緒にできる?。黄前ちゃんや夏紀にも内緒に。もちろん他の誰にも。」
奏は感じた。あすかの願いを。
「もちろんです。佳穂、私達も外しましょう。」
「鋭い所あるじゃん。」
玉田は頭をかき、口を開こうとしたが、思いとどまった。
「少し、彼と二人で話がしたいの。」
「はい、もちろんです。私達は近くへ出てきます。」
「失礼します。」

「・・・かわいい先輩たちじゃん。」
「・・・奏さんにはたじたじだけどな、佳穂さんはかわいいね。」
「・・・おぅ、大人が女子高生に手を出したら犯罪だぞ!」
「ははは、相変わらずだな。でもまあ、こうやって話できるなんて、今でも信じられん。」
「・・・そだね。」
二人ともリラックスしてはいるが、会話はぽつりぽつりでしばしば沈黙が流れる。玉田はうつむき気味に再び話し始めた。
「すまん。正直、もう俺生きて帰れないと思ってた。半年経っても一年経っても全然治らなくて。学校にも通えなくなって。何度も諦めかけて。」
「うん、うん、」
「何年か経って・・・確か三年前だな、吹奏楽コンクール全国大会に久々に京都の高校が出たってニュースをちらっと聞いて。」
「わたしが高三のときだね。もう三年も前か。」
玉田はあすかの方を向いた。
「あすかのこと思い出してさ。もうちょっと頑張ってみようかなって。でも、あれがあすかだとは思わなかった、お前の成績なら北宇治よりもっと上に行けただろ?」
「まあ、こっちもいろいろあったわけ。」
「そっか・・・あ、まさか、企んでるな?。」
玉田は小さく身構えたが、目は楽しそうだ。
「こんにゃろー。」
「ひ、久々に食らった。変わってないな・・・」
「あははは・・・」
「・・・帰ってきたよ。」
「・・・よく頑張った。」

奏と佳穂は近所をゆっくりと歩いていた。
「奏先輩、もしかしたらこっそり聞きたかったんじゃないですか?。」
「あら、何てこと言うのです。感動のご対面を邪魔しちゃ悪いですよ。」
「わかってます。きっと、いろいろあったんでしょうね。私達が知らない、ずっと前から。」
「気になりますか?」
「はい・・・でも、お二人のことですから。」
「そう、ね・・・さて、戻りながら準備しましょうか。」
「準備?」
「心の。」
「・・・はい。」
少しばかり、奏の表情が緊張を帯びた。

玄関近くまで戻ってきた時、がちゃ、と内側からドアが開いた。
「お、戻ってきたね?」
「はい、つい今しがた。秋風が心地よいですよ。」
「ほんとかなー。まあ、いいや。佳穂ちゃんもどうぞ。」
「は、はい!」
部屋の中には玉田が待っていた。
「あ・・・奏先輩、佳穂先輩。」
「あら、先輩なんて呼ばなくていいですよ。玉田さん。」
玉田は両手で頭を抱えた。
「これだよもう・・・」
佳穂も大笑いだ。
「あははは、今ので説明終わっちゃったかな。では名探偵奏ちゃんどうぞ。」
「えっ、私からですか。」
「もうここまで来たならどうぞ。」
玉田はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。そして、こんなにくだけたあすかや玉田の様子は、想像ができないほどだ。
「では・・・」
奏は正座し直して、軽い咳払いをした。
「玉田さんは高校に入る前から吹奏楽を、ユーフォニアムを熱心にやっていた。」
「うん、正確には小五から。」
「しかし・・・玉田さんは深刻な病気で何年も休むことになった。中学二年か三年から。」
「そう・・・部活はもちろん、学校にも行けなくなって。」
「でも、頑張って治して、今年北宇治高校に入った。」
「うん、二十歳の高校生の誕生。」
「私が前にあすか先輩の家に来たときに、車で送ってくれたのが、玉田さん。」
「ちょうど自分の入学前。苦労してやっと免許を取れた頃。」
佳穂は一つ一つの情報を噛み砕くように聞き入っている。
「じゃあ奏先輩、自分からも聞きますよ。どうしてあすかの楽器を?学年は入れ違いで直接の接点はないはず。」
「奏ちゃん、今度は話してあげる番なんじゃないかな。」
「・・・そうですね、お二人にはお話しましょう。」
「奏先輩、それって、去年の真由先輩との・・・」
「・・・そう。そこから話しますね。私は去年、真由先輩にオーディションで勝てなかった。コンクールの舞台にも立てなかった。しかも関西大会ではソリは真由先輩になった。久美子先輩を乗っ取ったように思えた。」
「全国大会のときに会った、清良女子から転入した方。」
「そう。正直、悔しくて。自分のことと同じくらいに悔しくて。無性に腹も立って。」
あすかは何も言わず三学年離れた後輩の話を聞き続ける。
「そのまま去年は終わってしまった。全国金賞だったからそれは部内は浮かれ立ってた。でも、その中に私は入れなかった。学年でコンクールメンバーになれなかったのは経験者では私くらいだった。真由先輩が本当はただ楽器と音楽が好きで上手、ただそれだけ、ほんとうにそれだけ。そんなことにも気づけないままだった。」
「だから、あまりその方の話をしなかった。」
「そう・・・でも、このままじゃ先に進めない。それに、真由先輩と久美子先輩が抜けたら、全国どころか関西大会の舞台にも立っていない私と佳穂の二人だけでこれからやっていかなきゃならない。正直、追い詰められた。何度も辞めようと思った。部活にも行けなくなった。」
「先輩・・・・私あのときそこまで気づけなくてごめんなさい。」
「いいのよ、佳穂。私が悪いんだから。気づかせるべきではないし。私こそ本当にごめんなさい。」
「細かいことはともかく、別に悪くはないんじゃない?。そういうときもあるって。で、こんにゃろ!うまくなりたい!ってなったんだよね?。どうしても。」
「そうです。以前申し上げたように、私が北宇治に興味をもった原点にもう一度立ち返りたかった。この高校でなら本気で部活を、吹奏楽を、ユーフォニアムを、と火が着いた時。そう、北宇治の名古屋での演奏を聴きに行った中学三年生の時を思い出した。」
「その時のユーフォニアムのうち、ひとりは久美子先輩だったんですね?」
「そう、一年生ながら。そしてソリストだったのが、銀色の楽器を吹いていらした、あすか先輩。飛び抜けて素晴らしかった。ソロ、鳥肌が立った、ホールの隅々まで響きが届けられるようだった。私は、この人に、あなたに教わりたくて北宇治を選んだ。でも、残念ながら卒業されて入れ違いだった。」
奏はコップを掴みいくらか冷めたお茶を一気に飲み干した。
「私、真由先輩の銀色の楽器へのトラウマを克服して、北宇治のユーフォニアムをやり直すには、この人のこの楽器のチカラをお借りしたいと思ったの。もちろん、別の楽器を買ったり借りたりってことも考えたし、楽器屋にも何度も行った。でも、でも、やっぱりあのときの北宇治のユーフォの音、そう、あすか先輩の音に立ち返るものがあった、忘れられなかった。私に必要なんだ。他力本願だけど、こじつけっぽいけど、すがる気持ちだった。」
「と、熱いラブコールを頂いて、たらしこまれちゃったってわけ。でも嬉しかったよ、そこまで言ってくれて。」
あすかはにこやかに微笑んでいる。
「まあ、たらしこんだなんて。」
奏はようやく表情を緩め、手を口に当ててすまして言った。
「事実じゃんかー。」
「まあ、そうですね。?!、そういえば、あすか先輩は、どうして私に楽器貸し出しを許してくれたのですか?。大切なものですよね?。まあ、先程のような想いは訴えましたが・・・久美子先輩からのご紹介だからですか?。あすか先輩を愛してやまないあの人の。」
そう言いながら奏は鮮やかな橙色が描かれた絵葉書をテーブルの上に置いた。葉書を入れていた封筒には何枚かの付箋紙がなくならないようにまとめてある。一枚はみ出ている付箋から「もう一度だけ」とう文字がのぞいている。
「もちろんそうだけどね。なぜでしょう?。」
「・・・すみません。もしかして、くらいしか。」
「直樹さ、あれ、見せてもいい?」
「?ああ、恥ずかしいけど。奏さんのためなら。」
あすかは別の葉書を奏へ差し出す。宛先はあすか、消印は今年春、裏側に書かれた差出人は玉田だった。同じ裏面に、見飽きるほど見慣れた「北宇治」の歪んだ文字が見える。
「北宇治もいろいろあったけど、離れた後輩のことを応援するのもいいかな、って。」
「あすか先輩と玉田さんとは・・・ということは・・・」
奏は渡された葉書を手に身を乗り出す。
「きっとそのとおりです。どうぞ。」
奏はゴクリとつばを飲んだ。
「あすか先輩と・・・中学で同級生。」
あすかと玉田は視線をそらさずに聞いている。
「一緒に吹奏楽部でユーフォニアムをやっていた。」
「御名答。やっぱり、ね、いなくなったら寂しかったわけ。帰ってきたら嬉しかったわけ。」
「まさかの北宇治つながりとはね。」
奏は息を呑んだ。
「そんなうまい話ってあるんですか!・・・じゃあ、私は玉田さんのおかげで?」
「とも言うかな。」
「うそ・・・そんな・・・あ、ありがとうございます!」
奏は瞳をぐらぐらと揺らしながら丁寧に手をついてあすかと玉田に頭を下げた。
「奏さん、よしてください。自分が部活できたのは奏さんの・・奏先輩のおかげなんですから。」
佳穂も涙をこらえながら奏を見守っている。
「4月の部活説明会で再会して心底びっくりしたけど・・・あれは運命的だったんですね。秘密もずっと守ってくれたし、何度も相談にのってくれた。何より、楽しかった。こちらこそ、ありがとうございました。」
玉田もまた奏に深々と頭を下げた。
「ま、待って下さい。玉田・・・くん、あすか先輩の楽器だって知ってて何も言わなかったのですか?」
「あすかは昔から楽器をすごく大切にしてたので、最初はあすかのものとは想像できなかったです。確かに、もしかして?と思ったこともありましたが、奏先輩の意気込みをいつもひしひしと感じていて・・・その、邪魔したくなかったんで、考えないことにしました。ただ・・・もしそうだったら素敵だな、とは思ってました。」
「そんな・・・気を遣ってくれていたんですね。」
「こちらこそ。」
「いやー感動的だね。高校生ってやっぱり青春!って感じ。あの頃を思い出すな、特に三年生のとき。」
「あすか先輩の三年生のときにもいろいろ大変でしたか?。」
「まあね、受験との兼ね合いとか・・・。コンクールが終わって引退したときは、正直ほっとした。」
・・・あすかははぐらかすが、間違いない。全国大会への参加が危ぶまれたこと、それを夏紀が迎えないかもしれない本番のために練習を重ねたこと。ちょっぴりずるい、ご自分のことははっきり話してくれないなんて・・・
「奏先輩、今はどうですか。引退・・・してほしくないですけど、ハッピーエンドになりそうですか?」
「もちろん、皆さんのおかげで。」
「うん、どうやら一件落着、この楽器もお役御免かな。」
「はい・・・と言っておいて何なのですが・・・あすか先輩、もうひとつ、お願いがあります。」
「なあに?、ここまで来たらひとつもふたつも変わらんような気がしてきた。今けっこう機嫌いいから頼むなら今だよ。」
「あすか先輩の演奏を聞きたいです。」
奏は頬を紅潮させてじわりとあすかに詰め寄った。
「えっほんとですか?久美子先輩が神様のように言ってた、あすか先輩の?」
「黄前ちゃんそんなこと言ってたのか、あはは。」
「久しぶりに、聞きたいね。」
「こりゃ、多勢に無勢だな。作戦ミスったかも。」
と、言いつつ、あすかの表情はにこやかだ。
「作戦勝ちですね。ふふ。」
「ただし、奏ちゃん、条件があるぞ。」
「条件?」
「修了試験、楽器使用期間の。聞かせてもらうよ。」
「ええ・・・わかりました。」
「じゃあ、裏山行こうか。」
「うれしいです!。」


「では、僭越ながら、あすか先輩に、北宇治に縁のある皆さんに感謝を込めて。」
「うむ。」
ーーーーーーーーーーー♪
あすかの目がゆっくりと見開かれ、笑みがこぼれてきた。
パチパチ。三人が拍手する。
「いい曲、いい演奏だった。」
「ありがとう、ございました。久美子先輩から受け継いだんです。佳穂も、真由先輩も、玉田くんも、みんな自分のノートに書き写して大事にしている曲です。」
「そっか・・・」
あすかは目を細める。
「では、先輩、ほんとうにお返しします。」
年季が入り、よく手入れされた銀色の楽器が、あすかの手に戻る。
「そうそう、これこれ。」
あすかは戯れるように自分の楽器を招き入れマウスピースに口を当てる。刹那、空気が吹き抜けるような感触を三人は耳にした。決して乱暴な音ではない、底知れぬ技術を秘めたあっという間に移りゆく音の万華鏡を。それは音出しとかウォームアップなどという言葉で片付けてよいのだろうか。
「・・・ほんとに聞きたいと思ってる?。」
「はい!」「はい!」「もちろん!」
あすかの脳裏に、もう三年も前だろうか。せがむように自分の演奏を求めてくれた二学年後輩の姿がよぎった。彼女のさらに後輩たちが、再会した友が、いま間近にいる。
あすかが静かにゆっくりと息を吸う音が聞こえたその時、奏は思い出した。久美子が言っていた「先輩から教えてもらった大切な曲」という言葉を。
あすかは演奏を始める。どこか遠くを眺めながら。
ーーーーーーーーーーー♪
「これは!・・・・・・」
佳穂は合わせた手を口元に、言葉を発せずにいる。
「すごい・・・」
奏と玉田の頬に静かに涙が伝っていた。佳穂は満面の笑みで高揚している。
「圧倒されました・・・嬉しいです。」
「あすか先輩のときからあったんですね、この曲!。やっぱりこの曲、ユーフォニアムパートのテーマ曲なんですね!。」
「・・・一体いつ、誰から・・・」
「さぁて・・・いつからなんだろうね?」
あすかはおどけて返す。
・・・間違いない、その源は、きっと・・・

しばらく心地よい余韻の時間が流れる。

「そういえば、曲名忘れちゃった・・・」
「え!うそ、書き写してないの?玉田くん?」
「いやぁ、楽譜は覚えられるんだけど曲名は覚えられない・・・」
「えっ?じゃあ今年の課題曲名は?」
「四番。」
「曲名だよ曲名。」
「だから、四番。そうしかアナウンスされてない。」
「あははは、直樹らしいわ。昔っから変わってない。」
「佳穂、今後しっかり面倒見てください、心配です。」
「はい、介助はお任せください!。」
佳穂は小さく敬礼の真似をする。
「ちょ、ごめんなさいほんとうに、教えてくださいこの通りです。」
「本当にしかたありませんね。教えるのはこれが最後ですよ、高校一年生。」
「あ、はい!」
「あはは」「あはは」「あはは」
「よろしい。じゃあ曲名大公開!せーの!」
「響け!ユーフォニアム!」


三年生引退後

「はあ~このパート練習部屋も四人かー。」
「先輩が引退して一気に半分かー。」
「部屋、なんか寒いよねー。」
「こんにちは、遅くなりました。」
「来たね玉田青年!早速話があるのだよ。」
二年生三人が玉田の前に並ぶ。
「ちょ、どうされたんですか。久しぶりにリンチですか。」
言葉とは裏腹に、その表情はおどけている。
「そうだよー、さあさあこっちへ。」
玉田はすずめのすぐ近くの椅子へ促される。すずめは傍らの椅子を引き寄せると、逆に向け雑な姿勢で背もたれを抱きかかえながら座った。視線が泳ぐ。
「なあ・・・その・・・あんた次のパートリーダーやってくれん?。」
「はい?。なんでまた一年生が?」
弥生と佳穂が歩み寄った。表情は神妙だ。
「その・・・三年生は四人ともみんなバリバリの経験者だった。特に美玲先輩は冗談抜きの鬼。でも、うちら三人とも初心者で入ったんよ。技術はともかく知識はさっぱり。そして玉田青年の登場。うちらに務まるはずないやん。」
そう話すすずめからはいつもの笑みが消えている。
「みなさん経験者ですよ、もう二年近くの。」
「でも・・・」「でも・・・」

玉田はため息をついて話し始めた。
「すずめ先輩、去年、中学からの経験者だったさつき先輩を抜いてコンクールメンバーだったそうじゃないですか」
「う、うん。なんか、でかい音がだせるからって。楽譜の半分も吹いてない。」
「弥生先輩、関西大会でユーフォニアムの音を補うように楽譜を直して吹いてくれたそうですね。」
「そ、それは・・・玉田が音域を広げる練習を教えてくれたから。」
「佳穂先輩、ソリ、先輩方みんなが認めていました。」
「・・・なんだか恥ずかしい。」
「皆さん、十分じゃないですか?どうしても誰かと比較して勝たないとダメですか?」
「・・・やっぱりかなわないねー。」
玉田はニヤリとした。
「だって、人生の先輩じゃないですか。」
佳穂がすこしむくれた顔をする。
「まあ、もう一年経ったら自分は自動的にパートリーダーやらされるはずなんで、この年は勘弁してくださいよ。」
玉田がおどける。
「よっしゃ、もういっそ全員パートリーダーにしようか!」
「そうしようか!」
「そうしよう!」
玉田は楽しそうに拍手する。
「玉田青年、きみもや!」
「ちょっと、話聞いてましたか?」

バリチュードリームチーム

「佳穂、嬉しそうだね。」
「うん、待ちきれなくって。そう言うすずめだって。」
「ほら、ふたりとも。形だけでも、うちらはうちらの練習してないと。」
「弥生ってば、そんなこと言ったら怒られるぞー。」
「そうだね。で、からかわれるんだよね。」
「ため息もつかれてね。」
「そんで「まあまあ」ってしてくれるまでがセット。」
二年生三人しかいない低音パート練習部屋に、明るい話し声が飛び交う。

コンコン。
静かに扉のノックが鳴った。寂しいじゃないですか、先輩たち。そんな他人行儀にしなくても。小さな窓の向こうには人よりも大きな体躯の楽器の影がはっきりと見える。
「どうぞ!」
思わず三人は起立して、大きな揃った声で返事をした。
「あの、開けて欲しい・・・」
扉の向こうから困惑した声が聞こえてくる。
「す、すみません!!」
慌てて佳穂が駆け寄る。
「気を遣ってくれてるのかくれてないのだか。」
「まあまあ。」
がらりと開けた扉の外には、ユーフォニアム奏者が二名とチューバ奏者二名が楽器を抱えて立っていた。

「先輩!」
「待ってました!」
「さあさあどうぞ!」
「僕は後輩なんですけど・・・」
「先輩みたいなもんじゃん!」
佳穂が嬉しそうにユーフォニアムに少し隠れた学ラン姿の後輩の顔を見る。
「ええ、大きい後輩くんですからね。」
黒い髪に赤いリボン型ヘアクリップをつけたもうひとりのユーフォニアム奏者がからかうようにふふっと笑う。

教室の敷居を超える前に、長身のチューバ奏者がかしこまった表情で話し始める。
「えっと、今日は貴重な現役生の練習時間と場所を使わせてもらって、ごめ・・・ううん、ありがとう。」
「ね?。予想通りだったでしょ?」
「ほんと!。弥生の言ったとおり!」
「そんな遠慮なさらないでさあさあ。」
「みんなー久しぶり!」
小柄なチューバ奏者の陽気な声は相変わらずだ。

一気に人数も楽器も倍増した部屋で、すずめがド派手な赤い伊達メガネをかけて皆の前に立つ。
「さあさあお立ち会い。今日は美玲先輩、さつき先輩、奏先輩、玉田青年による、バリチュードリームチームの公開練習へようこそ!。まず最初に、バリチューアンサンブルとは何かについて!」
「ほえー、いつのまに勉強したんだろ?」
「まあ・・・きっとああなるでしょう。ね、美玲。」
「ほんとうちの後輩ときたら・・・ごめんね奏。」
「じゃ、玉田青年!あとよろしく!」
「えー、それでは・・・」
「ちょっと、少しは抵抗しなよ。」
「結果は変わりませんから、弥生先輩。それとも、お願いできます?」
玉田は不敵な笑みをこぼす。
「うっ・・・バ、バリトンサックスみたいな・・・ごめん!あと頼んだ!」
傍らでは佳穂がお腹を抱えて笑っている。
「バリ島サックスって・・・あはは・・・。」
「そんなこと誰も言ってないよー。」
「想定外ですね。」
にこやかな笑い声が少し静まったところで、玉田が口を開いた。
「せっかくお話するなら。」
と、学ランのポケットから赤いフレームのメガネを取り出した。幾秒か感慨に浸るように眺めたあと片手で無造作にかけた。
「バリチューとは、ユーフォニアムとチューバによるアンサンブル編成のことです。「バリ」はユーフォニアム、「チュー」はチューバのことです。」
「じゃあ、ユーフォがバリバリ吹くの?。楽しみ!」
佳穂の屈託のない相槌に玉田は間髪入れずに答える。
「ええ、奏先輩にはそれはもうバリバリ吹いて頂きます。って、そうじゃなくて。合ってますけど。」
「じゃあ、なあに?」
と、玉田が不敵にニヤリとしながらレンズの間に人差し指を当ててくいっとメガネを上げた。あ、まずい。奏は直感的に何かを感じた。
「そもそもユーフォニアムという楽器の名前なのですが、ギリシア語の「良い響き」を意味するeuphonosを語源とする話は聞いたことがあると思います。ですが、楽器の名前には音色だけでなく音域や形を表す用語もセットになっている事が多いんです。リコーダーや合唱でもお馴染みのソプラノ・アルト・テナー・バス、ですね。例えば、バスクラリネットがあるってことは、ソプラノクラリネットもある、単に「クラリネット」と呼んでいるあれの正式名称です。さらにそれらの間を補う追加の言葉を使うこともあります。サクソフォンだったらテナーとバスの間にバリトンがありますし、ソプラノよりもっと高い音域であれば、通称エスクラと呼んでいるソプラニーノクラリネットがあります。あ、低音域側ですね、チューバは本来バスチューバやコントラバスチューバと呼ぶのですが、そこより音域の高いつまりユーフォニアムの音域の小さいチューバを、国によってはテナーチューバと呼んだりバリトンホルン略してバリトンと呼んだりします。そう、バリチューのバリはバリトンから来ています。だから、バリトンサックスいわゆるバリサクの「バリ」みたいというのは、あながち間違いではないですね。もちろん、バリバリサックスってのは造語です、最高に似合ってると思いますけどね。ついでに言うと、テナーホルンやアルトホルンも存在します、僕も小学生の時はアルトホルンで始めました。」
「さっすが!」
「いよっ、大統領!」
「やったーバリサクで合ってたー!」
「さつき、そうじゃなくて。」
「あれ?チューバの意味は?」
「英語のチューブ、つまり、管、です。」
「なんじゃそりゃー。」
「拍子抜けー。」
「何このがっかり感。」
「ふふ、まるで誰かさんみたいな解説っぷりでしたね。」
奏はすました顔でそっと手を口に近づけ、玉田に口元が見えるように「あ・す・か」と口を小さく動かした。
「へえ、奏先輩、どなたのことですか?。緑先輩ではなさそうですが。」
玉田はニヤリとし奏へ目配せする。
「さて、始めましょうか。」
「スルーします?」
「きりがなさそうです、もう誰も聞いてませんよ?」
「あー・・・」
「私は聞いてたよ!。」
「佳穂先輩ありがとうございます。忘れてくれて大丈夫です。」
「ううん、面白かったし勉強になった。こちらこそいつもありがとう。忘れたくないから、また聞きたいな。」
「佳穂も物好きだな・・・」
「そりゃねえ。」
「そっか。」
すずめと弥生はニヤニヤしている。

「・・・うーん・・・それほど休んだわけじゃないのに、楽器が重たく感じる・・・」
「うっそ・・・美玲先輩が弱音を吐いた・・・」
「初めて聞いた・・・」
「うん。私、練習時間はみんなよりも短いほうだったから、なんとか大丈夫かなと思ってた。甘かったよ。」
「みっちゃんはそれだけ集中して練習してたってことだよ!」
「・・・だったら良いんだけど。」
「間違いないです!」
チューバの二人が楽器の構え方やレバー操作を確認しながら音出しをしているなか、奏は静かに丁寧に楽器を拭いていた。奏の膝の上には金色-くすんだ黄色という表現が近いが-のユーフォニアムが横たわっている。ベルの近くには四本のピストンが一列に並んでいる。
「懐かしいです、それ。奏先輩。」
「そうですね、佳穂。あなたが一年生のときはこれでしたね。」
「私の前に使っていたのは、夏紀先輩でしたよね。」
「そう・・・ほんとうに懐かしい。あの先輩の楽器を吹けるのかと思うと、実は嬉しい。えへへ。」
「先輩、ニコニコしてます。」
「あら、そんなこと・・・あるかな。ふふ。」

ふと熱いものがこみ上げてくる。卒業していった先輩たち、見送った私。いつしか時は経ち、最後のコンクールも終わり、引退し引き継ぎもされた今、刻一刻と卒業の日が近づいてくる。見送られる日が近づいている。先輩、私はちゃんと先輩になれたんでしょうか。ちゃんと卒業できるんでしょうか。この前名古屋でよくやったって髪をわしゃわしゃしてくれたけど、もう一回卒業式が終わったら会いたい。いや・・・卒部式の日のあとにも会いたい。久美子先輩にも、また面と向かって話したい、言葉をかけてほしい、たしなめてほしい。
・・・先輩たちのことばかり考えているようじゃ、まだ先輩になりきれていないのかな。今一番大切なことに向き合わなきゃ、同級生と後輩に。

「奏、チューニングOK?」
私を呼ぶ声で我に返る。
「ええ、今行きます。」

四人は玉田が作った楽譜を前に座席についた。
「さて、どういう感じで練習しましょうか?」
「メトロノームなら用意してあります!」
「弥生、ありがと。でも・・・」
美玲が今まで見せたことのないようないたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「ぶっつけでやっちゃわない?。細かいことはいいから!」
それを聞いて二年生三人が色めき立つ。それが、元・鬼のパートリーダー、正真正銘のチューバ奏者、基礎練習マシーン鈴木美玲の見たことが無い全く別の本気であることがすぐに分かった。
「美玲?」
「もう、コンクールも、パートリーダーも、終わったでしょ?」
美玲の口元に白い歯が見える。逆に表情が引き締まったのがさつきだ。
「よ・・・よし!みッちゃんが言うなら!」
「玉田くんは?」
「お任せください・・・って言うしかないじゃないですか。張本人ですしね。奏先輩は?」
「売られた喧嘩はなんとやら、ですね。ほんとうにこんな無茶な楽譜作ってくれちゃって。じゃあ、まず練習記号2まで、いいかしら?」
奏の挑発するような問いかけに三人が大きくうなずく。

====♪====♪====♪====

「あはは・・・難しすぎ、こら。」
「はあ・・・はあ・・・」
「ど、どうかな?」
「・・・先輩たち、引退したんじゃなかったんですか?」
二年生の三人はまっすぐに演奏していた四人を見つめる。
「ごめん。久しぶりだったから、はしゃぎすぎたかも・・・」
美玲の目が楽しそうに笑っている。
「そうじゃなくってです!。すっごいうまくなってるじゃないですか!」
「そうですよ!おかしいです!」
「えへへ、楽しくって!。いっぱいメロディーもあったし!」
「そういう問題じゃないです!、さつき先輩!」
「実は秘密の練習してきたとか、ですか?」
「あら、今までパート練習部屋に来たことあったかしら?」
「な、ないです・・・」
「玉田くん、そろそろ三人に教えてあげては?」
「え?、何をです?」
「とぼけないで。私達がうまくなってるわけないでしょう。引退したのに。」
「いやあ、純粋に三人とも素晴らしいと思いますけど。」
「そんなはずない、素晴らしいのは玉田のほうだよ。」
「だよね!だよね!。なんか、どんどん吹けちゃう、この楽譜!。すっごい!」
「うん、なんというか、何もかも良いとこ取りでミスもしにくいようにできてる。どこまでも全力で追い込める。」
「・・・なんか、恥ずかしいくらい。」
「奏?、それって・・・」
「吹きやすい、難しくても難しさを感じないってのは美玲やさつきと同じだけど・・・私のことを何もかも見透かされているような気がするんです。好きなことも、嫌いなことも。楽しいことも、つまらないことも。得意なことも、苦手なことも。良いことも、悪いことも。」
「どういうことですか?」
弥生はピンとこない面持ちだ。奏の視線を受けて玉田が言葉を継いだ。
「その・・・全国大会で奏先輩とソリをやらせてもらうことになって、すごいプレッシャーだったんですよね、実は。府大会関西大会と佳穂先輩が培ってきたものを引き継いで、奏先輩の音を最高に響かせたい、絶対響かせなきゃいけない。・・・奏先輩の音を無意識に耳が勝手に追っかけてました。それこそ、何気ない音出しとか基礎練習も含めて、何もかも。」
「玉田青年!おぬし!奏先輩のストーカーだったのか!。佳穂がいながら!」
玉田を指差すすずめの目は楽しそうだ。
「その言い方はひどいなあ、先輩。」
玉田は陽気にすずめを受け流しつつ、恥ずかしそうに頭をかきながら奏をちらっと見た。
「奏先輩の音って、昔、中学の時に憧れてたユーフォニアム奏者の音にどこか似てるんです。もっと耳に馴染ませたいし理解したいと思って、作りかけの楽譜をまとめ始めたんです。奏先輩ならこうするだろうな、こうなっちゃうだろうな、じゃあこうしちゃおうかな、って感じで。その勢いで、アンサンブル譜面になっちゃいました。」
「そういうことだったんだね、さすが!。玉田くんがソリ吹いてくれてよかった。」
「ありがとうございます、佳穂先輩にそう言ってもらえると、本望です。」

・・・そうだったんだ、嬉しいかも・・・

「奏ちゃん!」
さつきのいつも以上の陽気な声で奏は我に返った。
「奏ちゃんの本気、聞きたい!」
「三人の、みんなの響きに身を委ねて、思う存分に吹いてみて!。バッチリ合わせていくから。」
「美玲・・・さつき・・・」
「玉田のことはあんなに信頼してたのに、ちょっと寂しい。私達、三年間も一緒にやってきたのに。」
「そうだー!寂しいぞー!遠慮するなー!」
玉田がゆっくりとした所作でうながす。
「・・・よし!一気に最後まで通しちゃいましょう!」
「はい!」「うん!」「よーし!」

教室が心地よく静まっていく。目配せのあと、思い思いのタイミングで呼吸を整える、まるで弓道で弦を引き絞り緊張を高めていくかのように目に見えない収束点に到達し、そして、弾けた。

私の軽やかな走句が三本の響きの上を楽しそうに自由に駆け巡る。隙を見て玉田が合いの手を入れてきたりハモリを付けてくる、そのたびに自分の音が増幅された気がしてゾクゾクする。

玉田の伸びやかなメロディーが紡がれ私が装飾音で遊んでいる中、さつきの無邪気なベースラインのリズムが弾む。今までの合奏練習では安定していないと注意されることも多かったが、今はそんなの気にしない、いや、全く気にならない。ときに寄り添いときに叱咤するような美玲とのコンビネーションが音楽をどんどん推進させていく。

今までだったらたじろぐような不可思議な和音の移り変わりも迷うことはない。練習しすぎ!考えすぎ!と言わんばかりに強引にくぐり抜けたと思ったら、美玲の高音と玉田の低音がときに音域を逆転しながらせめぎ合う。そこに場違いのようなすかした音型を私は悪戯心満点に入れ込んでいく。一オクターブ、時には二オクターブ低いさつきの最低音が待って置いていかないでとばかりについてくる。

だんだん息も唇も指も疲れてくるが、フル編成の吹奏楽曲とは違って四人で全部を演奏しなければいけない。休む間はない。曲の終盤には壮大で盛り上がる場面がやってくることが定番だが、それを予感させるリタルダンドもマエストーソも全く見当たらない。「真っ白な楽譜ほど要注意です。特に何も書いてなければ、今の状態をキープするんです、音量も、テンポも、曲想も。気を抜くとダレるからむしろテンションも上げていくくらいで良いです。」いつか玉田が説明していた春先を思い出す。その玉田が書いた譜面に、キープどころか、煽るような音符が、記号が、まるで誘い込むように並び待ち構えている。

楽しい!
いっちゃえ!
やめられない!

いつしか四本の楽器は編隊飛行のような統一感のあるメロディーの絡み合いを繰り広げ、
バン!
唐突と爽快のギリギリのバランスのうちに曲は終わった。

音楽の余韻が静まり楽譜に釘付けになっていた視線を解こうとした瞬間、
「ブラボー!!!」
聞き覚えより低く骨太になった声が響き渡った。随分身長が高くなった彼の傍らにはコントラバスはなかった。その直後、予想だにしない拍手が鳴り響き、初めて私達は大勢の部員に囲まれていることに気づいた。美玲が荒い呼吸を整えきれずに驚いた表情をし、さつきは照れくさそうにはにかんではツインテールの毛先をなでている。玉田が嬉しそうに私に目配せする。楽器を膝の上に横たえた美玲とさつきが拍手代わりに軽く楽器を叩きながら私を見てうなずいている。
・・・一年前、私はひとりであんなに腐っていたのに・・・
「奏先輩!」「久石先輩!」
口々に私を呼ぶ声が聞こえてきた。それらは、佳穂でも、すずめでも、弥生でもなかった。私がよく知らないような部員までもが拍手を送ってくれるのがはっきりと視界に入った。一番前にはサリーがいて頬は紅潮していた。私は意を決して立ち上がった。傍らの年季の入った黄色い楽器。大切な先輩が使っていた楽器に、またしても私は導いてもらえた。
いい眺めと思っていたら、ふと、視界がぐらついた。私は隠すようにお辞儀をした。
・・・やめなくてよかった・・・
誰にもわからないように口元だけでつぶやいてから、笑顔を作り涙を振り払うように勢いよく顔を上げて満面の笑みの三人をうながした。ようやく四人ともが起立し、美玲の合図に合わせて改めてお辞儀をした。

少しばかり拍手の音が静まった頃、梨々花とは全く異なる落ち着いた明るい声が響き渡った。
「えー、引退した三年生の先輩がた。困ります。突然乱入してこんなにみんなを感動させてしまって。それとも、来年は四年生になってくださるのですか?。」
「悪いが俺は卒業するぜ。」
「求くんには聞いていませんよ。」
どっと笑い声が起こる。
「おいおいコントラバスがいなくなってもいいのか?。」
求にしては珍しく余裕のある笑みを浮かべている。
「それはそれで困りますねぇ・・・じゃあ来年もよろしく頼みました、月永くん。」
「お前・・・その呼び方、コンバスの後輩に聞かれたくなかったのに・・・」
「えっ?後輩?」
周りがざわめいた。
「ああ、こちら柊あおいさんだ。事情でついこの前編入して、今日入部してくれたばかりだ。」
「えー!、やったー!。これからよろしくね!。私、鈴木さつき!こちらは鈴木美玲ちゃん、さっちゃんみっちゃんって呼んでね!」
「さつきってば・・・私達はもう・・・」
「ちょ、先輩!、うちら三人の自己紹介がまだですって!」
「あの・・・本名、エメラルドとかアクアマリンとかトルマリンとかじゃないよね?」
「はい?、あおいですけど・・・」
「よかったー。」
「もしかして、川島先輩のことですか?」
「知ってるの?」
「はい、コントラバス界隈では有名ですから。個人的に教えてもらったこともあります。あ、親戚が友達らしいです。」
「そうなんだ!、緑先輩は偉大だよな!な!」
「求!ストップ!そこまで!」
「あーあ、せっかく感動の拍手だったのに、邪魔された気分です。」
「そんなことないぞ、久石。」
「え?」
求にうながされて、改めて大きな拍手が四人を包んだ。
「みんな・・・ありがとう。」
かけられた声に応えるように、もう一回、お辞儀をした。
「じゃあ、お騒がせした罰で、卒部会でもう一回演奏してください。これは部長命令です。」
再び笑い声に包まれたあと、部長は続けた。
「そして。北宇治高校吹奏楽部へようこそ!」

卒業式当日

「奏先輩、ご卒業おめでとうございます。」
「佳穂 ありがとう。今日の演奏よかった。ユーフォ、よく聞こえたよ」
「はい、頑張りました! 編曲がバージョンアップしたんですよ。」
「彼のしわざですね。」
「すぐわかりますよねー。」
「・・・ひとりなのですね。」
「・・・はい。でも、いつも一緒です。」
佳穂はパスケースを出し開けてみせる。
「あらあら、見せつけてくれますね。」
「?一緒に先輩を送り出したかったから写真で作ってきたんですよ?」
「一緒に、ねえー。」
「???」
「・・全く、なんだか彼がかわいそうになってきました。」
「???」
奏は佳穂にまっすぐ向き直った。
「佳穂。」
「はいっ!。」
「・・・あなたにはいろいろと救われました。 私が腐っていた時、部活に来れなくなった時、玉田くんがいなくなった時、真由先輩とやっと話せた時、そして・・・」
そこで奏は声を詰まらせた。
「全国大会のオーディションで、あなたを・・・」
奏が言い終わる前に佳穂が口を開いた。
「直樹くんが復活した時、ですよね。」
「そう・・・そうだったね。」
「わたし、奏先輩が先輩でよかったです。最初は変わった人だなあって思ってましたけど(笑)」
と、佳穂のスマホが鳴る、マナーモードにしていなかったのか。いつか聞いた可愛らしいジングルだ。
「・・・そろそろ行くね。」
佳穂はスマホの画面を見て満面の笑みを浮かべた。
「先輩!待ってください!。もう少し、もう少しだけ・・・」
佳穂は奏の袖を掴む。可愛い後輩だ。初めはどうなることかと思ったが二年間も一緒にいると微笑ましく愛おしい。そんな眼差しで奏は佳穂を見つめる。
そのとき、車の音が聞こえてきた、聞き覚えがある気がした。近づいてきた音は人が多い場所を避けて止まり、中からは薄手のコートを羽織った背の高い青年が現れ、胸を押さえながら小走りで向かってきた。足元のスニーカーには靴下がなくアンバランスだ。
「はぁはぁ・・・間に合った・・・」
「こら、遅い。式に間に合ってないし。」
「ど、どうだった?」
「検査オッケー、明後日退院です!」
「やったあ!」
「それより、すみません遅くなりました。」
「ほんと。もう慣れました。それより、足、寒くないのですか?」
「あ!・・・」
「ふふ、急いでくれたんですね。息が切れてますよ?」
「病院内をダッシュしてしまって。」
「それはダメなのでは?」
「そうすね。」
玉田は頭をかく。
スマホが震える、美玲からだ。こんなときに。
「感謝の気持ちをちゃんと直接言葉で伝えなよ。」
美玲こそ。でもそんなおせっかいが心地良い、それももうすぐお別れなのか。
「二人といっしょに部活をやれてよかった。私を全国へ連れて行ってくれて、私を全国で吹かせてくれてありがとう。あすか先輩との縁も、久美子先輩との縁も、真由先輩との縁も、夏紀先輩との縁も、たくさんの縁も、こんな偶然・・・つないでくれてありがとう。」
「こちらこそ、奇跡をつないでくれてありがとうございました。」
「さ、佳穂。」
「これ・・・」
奏はあのノートを両手に恭しく持ち、佳穂のほうへ差し出した。
「最後の役目、引き継ぎ式です。久美子先輩も卒業式の日にあすか先輩から受け取ったそうです。」
「そ、そんな、私よりも・・・」
「だめです。何がどうあってもこの1年間はあなたが受け持つのです。これは命令です。大丈夫、あなたには玉田くんがいる。」
「・・・先輩、ユーフォ、好きですか。」
「もちろん、大好き。」
「私もです!」
「俺もです。」
「先輩!三人で写真撮りましょう!」
「自撮りは佳穂の得意技ですね」
「上手ですよね。」
「いつも一緒に撮ってるのですか?」
「はい!」
まったく・・・と言わんばかりに、奏はおちゃめに玉田を小突いた。
パシャ、パシャ。何回かシャッター音が鳴った。
「・・・行くね。風邪引いて入院が長引いても困ります。」
玉田は肩をすくめる。
「玉田直樹さん!先輩を抜きにして、命令です!」
「は、はい。」
「佳穂を泣かさないでくださいね。」
いつか玉田が聞いた台詞だ。奏はわざとらしくウィンクをする。玉田は小さくため息をしてから笑みを浮かべた。
「もちろんです。」
「いっしょに頑張ります!」
奏は深々とお辞儀をした、それを見て、もう誰も慇懃とは思わないだろう。ゆっくりを顔を上げながら口元が動いた。顔を上げてから、もう一度、声に出して言った。
「ありがとう!、ごきげんよう!。また、いつか!。」


次の年以降の卒業式

・・・・・・
「佳穂先輩、ご卒業おめでとうございます!」
「ありがとうー。」
「玉田先輩とはいつ結婚するんですかー。」
「ちょ、お前ら・・・」
「えへへ、このまえ指輪買ってもらったんだー。ほらー。」
「ひえー!」
「ラブラブー!。」
「今見せなくても・・・。」
「照れるな照れるなー。」
・・・・・・


・・・・・・
「なっ、直樹先輩、ごっ、ご卒業おめでとうございます!」
「ああ、ありがとう。・・・珍しいな。」
「おーおー、名前読み-。」
「だ、だって先輩たちが下の名前で呼んであげてって・・・はい。」
「みんなありがとう。ひ弱な俺の代わりにたくさん演奏してくれて、嬉しかった。」
「まったく本当に世話が焼けますね」
「・・・これから頼むぞ、と言う資格、俺にはないと思う。だから・・・これからもしっかり楽しんでな、元気で。」
「・・・」
「はいはーい! 佳穂先輩とはいつ結婚するんですかー」
「ひゅーひゅー」
「・・・二十歳になったら。」
「は?」
「へ?」
「な、なんですとー?!」
「やったー!」
「どひゃー!」
「式には呼んでくださいね!」
「!・・・」
「ちょ、真知子、どうしたの!?」
・・・・・・


・・・・・・
・・・・・・

・・・・・・
・・・・・・

とある春の日

~それは、玉田が卒業して数年後~

また桜の季節がやってきた。でもこの春は特別だ。
「先生!さっそくなんですけど、この写真を見てください!。すっごくいい感じに撮れたんですよ!。」
先生。その言葉に反応するのに時間がかかってしまった。顔合わせにとさっき職員室で初めて会ったばかりなのに、ずいぶんと人懐っこい。
「学校でスマホを使って大丈夫?。」
「使うのは部活のときです。メトロノームアプリ、チューナーアプリ、ピアノアプリ。超便利です!」
「カメラや動画は?」
「もちろん、演奏チェックでマストアイテムです!。」
「うむ、ならよろしい。で、見せてもらおうかな、ちょっとだけだよ。」
そこに映っていたのは、教室の廊下側からの眺め。窓際の席に金色をしたユーフォニアム、傍らに古びたノートが仲良く並んでいる。
「このノート、ユーフォパート代々の宝物として受け継がれているんです!。」
「そう・・・素敵な写真。」
「えへへ、そうでしょ。」
「・・・・・・」
「先生?」
写真を愛おしそうに見入るその人には、可愛らしい花の髪留めが似合っていた。
「ああ、ごめんごめん。よし!、素敵な音楽、響かせましょう!。」
「はい!新しい先生との部活、楽しみにしてます!。」

(・・・奏ちゃん・・・、みんな・・・)

新しい北宇治高校吹奏楽部が、スタートする。

Fine


一つ前:四章 ~全国大会(後)(7/9)

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