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【自然の郷ものがたり#22】「いちいち感動する」大自然と「なんでもつくる」仲間との出会い【聞き書き】

カフェや雑貨店が点在し、行けばなにか発見できるようなワクワク感がある、弟子屈町・JR川湯温泉駅前。
骨董品店「温古知新」は「普段づかいの骨董」をモットーにした品ぞろえで町内外にファンを増やし続けて開業10年目を迎えます。店主の池上忠昭さんと典古さんに、かつての駅前のにぎわいと「移住組」の仲間やスーパーマンのような先輩たちとの出会い、川湯の大自然の魅力についてお話を伺いました

おんこちしん/神奈川県出身の池上忠昭さん(写真右)と大阪府出身の典古さん(写真左)。3人の息子を育てながら、元農協の倉庫を店舗兼住宅としてリノベーションし、2013年に開業。現在、忠昭さんは牛乳配達、典古さんは川湯郵便局でのパートの傍ら、土日のみ営業している。同店の主催で毎年7月に開く「骨董市」には、全道各地の骨董品店や、地元の飲食店などが出店し、川湯の名物イベントとなっている。

※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「自然の郷ものがたり 3」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。

スタートのつもりがゴールに

典古 ここに住む前は、恵庭市の陸上自衛隊で働いていたのですが、「全国各地で働きながら、沖縄まで旅してみよう」と思い立ったんです。そしたら、たまたま職場の先輩だった、アキ(忠昭さん)のお兄さんから「うちの実家で人手を探している。アルバイトしないか」と紹介されたのが、弟子屈町の川湯ビレッジ道東クリスチャンセンター(現在の摩周ガーデン)。ちょうど30年前ですね。23歳でした。

忠昭 うちの両親は、神奈川県から1985年ごろ川湯に移住して、クリスチャンセンターを開設したんです。僕も自衛隊に勤めていたけれど、両親を手伝うために辞めて川湯に移住しました。

典古 川湯の第一印象は、とにかく硫黄山が魅力的なこと。なんの前知識もなく来たから、「何これ!?すごい!」と、びっくり。ビラオスキー場(2008年に閉鎖)もあったし、夏はアルバイトに励んで、冬はスキーしよう!と。摩周湖や屈斜路湖は誰もが感動するけれど、夜、街灯もなくて真っ暗な農道も素敵なんです。よく散歩に行きましたね。流れ星や天の川も見えて、いちいち感動していました。

忠昭 僕も雪国なんて住んだのははじめてだから、最初は「すごいところに来ちゃったなぁ」と思いました。本当は四国かどこか暖かいところに住みかったのに(笑)。除雪した雪で道路脇がどんどん埋まっていって、高さ3メートルくらいの雪壁ができていたなぁ。でもそれはそれで、楽しかったですよ。

典古 クリスチャンセンターは、精神的に疲れている人や子供たちとかを受け入れてキャンプをしたりする体験宿泊施設で、私は住み込みでお手伝いをしていました。川湯をスタートに、全国転々とする予定だったのに、アキと出会って半年でゴールインしてしまいました(笑)。当時の川湯温泉駅にはもうオーチャードグラス(同駅舎を改装したレストラン。1987年開業)がありました。駅前にはマスターの武山秀樹さんのお父さんの喜八郎さんが営む賃貸の長屋(国鉄の元官舎)があって、いつもそこの住人たちとごはんを食べたりお酒を飲んだり、楽しかったなぁ。

川湯のスーパーマン

忠昭 僕たちは公営住宅に住んでいたけれど、そこに入れない単身者が長屋の方に住んでいたんです。だから、川湯温泉駅界隈は若い人の出入りが盛んでした。カヌーのガイドが一番多かったですね。屈斜路湖のリバー&フィールド(カヌーガイド会社。1995年開業)もたくさん人を雇っていましたから。

典古 その長屋は若い人の出会いが多いから、入居したら結婚できる「部屋」もありました(笑)。私たちが結婚したときの川湯温泉駅前は、オーチャードグラスの他には西沢商店(酒店。1982年開業)があって、現在の森のホール(カフェ、ケーキ店。2011年開業)の建物は民宿摩周で、PANAPANA(雑貨・パン店。2002年開業)のある場所は松田観光でした。

忠昭 松田観光は、摩周湖や硫黄山とかの観光スポットで団体写真を撮影したりする写真店と新聞配達店を営んでいました。

典古 当時は秀樹さんのお父さん、喜八郎さんが駅前のリーダー的存在で「頼りになる親父さん」という感じでした。そういう人たちがいたからこそ、駅前に若い人も集まってきたんですよね。パークゴルフ場を作ったり、駅前の道路を広くしたり、白樺に模した電柱を作ってみたり、先輩たちが自治会活動を通して町と交渉して、いろんな形で成果を残してくれました。

忠昭 それも25、6年前くらいのことだから、そういう活動をしていた人でご健在なのは今はホテルパークウェイ(1972年にドライブイン川湯として開業、1994年にホテルパークウェイとしてリニューアル)の社長さんだけかな。

典古 喜八郎さんは摩周湖の近くで馬の牧場を営んでいて、ほかに国鉄からの委託で防雪柵の設置とか防風林の整備、除雪作業とかを請け負っていました。

忠昭 きはっちゃん(喜八郎さん)には、ずいぶん面倒を見てもらいました。何でもかんでもはじめてのことだらけの僕に、いろんなことを教えてくれました。

典古 うん。私たちにとっての川湯のキーマンは、武山喜八郎さん・秀樹さん親子ですねぇ。

忠昭 わからないことがあったら、きはっちゃんに相談すれば「こうしたらいい、ああしたらいい」って、すぐに助けてくれる。当時のきはっちゃんは60歳前後かな。スーパーマンに見えました。

典古 優しくておしゃれな人だったね。いつも日焼けして、テンガロンハットを被って、白いジーンズを履いていてね。

忠昭 山仕事もずいぶん手伝わされましたよ。こんな大きい、長さ3メートルくらいに切り出した丸太を、大柄でもないきはっちゃん一人で担いでいるのを見て「すげえな、このおっちゃん!」と、びっくりしました。ちょっとした納屋も自分で建てちゃう。クリスチャンセンターの敷地に「桜の木が欲しい」なんていったときも、植木業者さんを呼ばずとも移植の仕方を全部教えてくれました。

移住組の仲間たち

典古 あとは、やえちゃん(PANAPANA店主の勝島八重子さん)がここに移住してから、私の川湯ライフが大きく変わりました。やえちゃんも関西(兵庫県神戸市)出身で、同年代だしね。私は3人の子育て中で大変だったから、やえちゃんがいるだけで救われて楽しかった。
やえちゃんは、「カントリーキッチン ちゅっぷ」(川湯温泉にあったカフェ。2017年に閉店、2018年にアイスクリーム店「くりーむ童話」内で再開)の2代目をやっていました。で、やえちゃんがちゅっぷを辞めるときに後任で3代目に来たのが、今は「森のホール」を営んでいる武山まき子さん、オーチャードホールの秀樹さんの奥さんですね。そうして移住してきた私、やえちゃん、まき子さんが駅前でそれぞれお店を構えています。

忠昭 くりーむ童話の社長、鈴木繁さんが1992年に酪農家からアイスクリーム店に転身して頑張っていたことにも、地域住民が引っ張られて刺激になっていたと思います。

典古 くりーむ童話の呼びかけで川湯駅前小学校のグラウンドで「風鈴祭」というお祭りをやったり、それがなくなった後は、やえちゃんが中心になって雑貨イベント「にっこり市」をやったり、とにかく楽しかった。にっこり市も終わったけれど、うちの店のオープニングイベントとして始まった骨董市は今年(2022年)で9回目。最初はこぢんまりしたものでした。

忠昭 今年は全道各地から骨董品屋さん22軒、地元の飲食店が15軒、出店してくれて過去最大規模になりました。クチコミで広がって、「今年はいつやるんですか?前もって仕事の休みを取りたいので」なんて問い合わせもあるんです。ありがたいですね。

典古 骨董市は人気になったけれど、うちの店自体はまだそんなに知られてないと思うなあ(笑)。

忠昭 地元の人に「もうすぐ10周年を迎えます」と言ったら、驚かれることもあるよ。

典古 私は今、平日は郵便局に勤めていて、お店を開けているのは土日のみだから「郵便屋さん」としての顔しか知らない人が多いんじゃないかな(笑)。SNS経由で知ってくれる人が多いですね。本当にありがたい時代です。

なんでも自分たちで作る

典古 骨董品店を始めた理由ですか?夫婦で古いものが好きで、いつかはお店を持ちたいと思って、結婚直後、元農協の倉庫を購入したんです。当時は2人で牛乳配達の仕事の傍ら、コツコツ骨董品を買ってはため続けていました。で、2013年、結婚20周年の節目だし、息子3人の子育ても一段落したしでようやく「温古知新」を開業しました。100パーセント趣味の場だから、本当に楽しい!

忠昭 骨董品の買い付けの基準は「使えるもの」だね、「普段使いできるもの」。

典古 それに尽きますね。使えて、どの家に置いても馴染むようなもの。自分の趣味じゃないものは置かないというこだわりの強いお店もあるだろうけれど、うちはもう少しゆるい。幅広い世代の方がいらっしゃいますから。

忠昭 「これはいる」「いらない」って、喧嘩しながら品物を選んでいるご夫婦もいるよね(笑)。うちの場合も僕が「これはいいだろう」って仕入れてきた品物を、典古さんが「なにこれ!」と言う場合もあるし。

典古 アンモナイトの化石を仕入れてきたこともある(笑)。骨董品は好きな人が限られているし、興味がない人は来ないだろうしね。だけど、好きな人は遠方からも来てくれます。地元の人からも「温古知新に来たら、欲しいものがきっと見つかる」と言ってもらえたのはうれしかったです。

忠昭 この築60年近くの倉庫を店舗兼住宅として自分でリノベーションして完成するまで、合計10年ぐらいかかっています。いつも仕事が終わった後の夜に少しずつ作業を進めて、とても完成するとは思えなかったけれど(笑)。お金もなかったしね。

典古 まず倉庫と土地を買った時点で、すっからかんになったからね。2人で牛乳配達を頑張って、広い、がらんどうの倉庫に骨董品だけどんどん集めていたの。あとは、近所のみんなで集まって毎週のように焼肉(笑)。倉庫の改装工事は、アキがほぼ1人でやったからね、よく頑張ったよ。

忠昭 肝心なところは人に手伝ってもらったけれどね。大工仕事の影響は、やっぱり、きはっちゃんの影響が大きいですね。地元の仲間たちも全部、自分たちでDIYしていましたから。倉庫の改装工事に取り掛かる前の数年間は、仲間の誰かが家を建てるときに手伝いに行って技術を覚えさせてもらって、道具も少しずつそろえていきました。何軒くらい手伝ったかなぁ……とにかく、いろんな人の家づくりに携わりました。

典古 弟子屈というか、移住組をはじめ、川湯温泉駅前の団結力がすごいんですよね。

忠昭 うん。いろんな職種の、いろんな個性の人がいる。流れ着いて定住した友達が途中から大工になって、やがて棟梁になって一軒家の建築を任せられるよう成長するまでの過程もずっと見ている。うちの店や家屋を作るときも、「ここどうやって作るんだ?」と相談できたりね、仲間だから気軽に頼みやすいよね。お金をかけないようにするには、知恵や技術を身につけて何でも自分たちでやるしかない。

川湯での子育て

忠昭 駅前で頑張っている人たちで愚痴をこぼす人は少ないですね。不景気や人のせいにしたり、不平不満をあまり聞かないです。それぞれが好きなことをやっているからかな。

典古 川湯温泉街も頑張ってますよね。温泉川の掃除も、若い人から年配の人まで一丸となって励んでいますし(川湯温泉街では街の中を流れる温泉川の清掃を2020年から行い、観光資源化を目指している)。川湯での子育ては、よかったことしかないです。都会ならカリカリして、狭い道を「一列になって歩きなさい!」なんて常に注意してばかりだったかもしれないけれど、ここではおおらかな気持ちでいられるから、子育てには最高。まあ、親の都合ではありますが(笑)。ご近所さんや、牛乳配達の仕事で来ているパートさんとも子供を預け合ったり、地域ぐるみで子育てをしていました。

忠昭 僕たちは楽させてもらったけどな。子どもたちはどう思っているんだろう。三男坊は「子供が少なかったから寂しかった」とは言っていたなぁ。都会に出て行くときの喜びようが大きかったね。

典古 「離れてみて川湯は本当にいいところだって実感した。家に温泉が引いてあるのも最高」とも言っていたよ。この規模感を知っているからこそ、他の地域といろいろ比較もできるよね。

身近すぎる自然のなかで

典古 やっぱり阿寒摩周国立公園は摩周湖やら屈斜路湖やら硫黄山やら、素晴らしい自然に囲まれたなかでね、普通に人間が暮らしているということが、まずすごいと感じています。観光スポットだけじゃなく、ジャガイモ畑やソバ畑にお花が咲いている風景も好きです。特に硫黄山はトレッキングツアーにも、地元だからこそ参加してみるべきだと思います(硫黄山は原則的に登山禁止だが、毎年期間限定で行われている有料ガイドツアーに参加した場合のみ登ることができる)。木々を抜けて、ハイマツが見えて、岩場に出て……、川湯の自然が凝縮されていて、景観の変化を感じられるので本当に感動します。2020年にオープンした摩周・屈斜路トレイルも素晴らしいコースです。

忠昭 プライベートではあらためて自然と触れ合う機会を作れていないけれど、牛乳配達の仕事でこの辺を巡っていると、やっぱり景色はいいよな。よく、地元の自然ガイドさんたちがSNSでアップしている写真を見て、素晴らしいなぁって思いますよ。

典古 国立公園内の絶景が身近すぎるんですよね。もっともっと足を運ぶと「自分たちがこんなにも素敵な場所に住んでいるんだ!」って思えるはず。毎日生活に追われているとなかなかね。私も子育てが忙しいときは叶わなかったから、今いろいろ散策しているの。こんなにもすごい自然があるんだから歩かなくちゃ!って。夫婦で西別岳の我慢坂を上ったら、何でも乗り越えられるはずだよ(笑)!(忠昭さんに向かって)行くよ!

取材・執筆:中山芳子
撮影:中道智大
写真:國分知貴

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