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12/365 【みなしご感】 セカンドチャンス

2020年、感情noteを始めます。

心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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とある仕事に、二の足を踏んでいる。登校拒否まではいかないが、もやもやしている。なんだか行きたくない。

なんでだろう、と立ち止まってみたら、数年前の同じ現場で、ある一言がうまく訳せなかったことがあった。それがまだ、ささくれのように残っていた。

その失敗をどうしても許せなくて行きたくないらしい。またみっともない姿をさらしてしまうのでは、と戦々恐々としているのだ。

どうも、一度失敗したらセカンドチャンスは与えられないものだ、と思い込む節がある。だから失敗が怖くて、念には念を入れて準備をする。

だが、もう1段階あることに気がついた。

わたしは、諦められてしまうのが怖いのだ。

Don't give up on me. わたしを見捨てないで。

考えている中で、ここだけはっきり英語で出てきた。もっと出来るから、ちゃんと出来るから、だからどうか、わたしを諦めないで!と、私の中の小さな私が叫んでる。

見捨てられるのが、怖いんだ。背を向けられるのを恐れているんだ。

でも、最近こうも思う。

世界は想像以上に優しい。許しの方が実は多勢だ。だって世界にはいびつなものや不完全なものの方が圧倒的に多いから。

こう思えるようになったから、諦められるのが怖い、見放されるのが怖い、が見えてきたのだろう。片方しか見えない間はそれが世界だと決めつけて、他の視点には気付けない。

だから、気づいてもいない間にわたしを許してくれているかも知れないお客さんを信じ、今もわたしを信じてくれているであろう、その先の方々に向け、わたしは今のわたしに出来る精一杯をしよう。

って、相手はそもそも気にもしておらず、もはや覚えてもいない事かも知れないけれど。

楽観視にすぎるかも知れないが、まずは信じて、相変わらずの準備をしてから、しっかり寝よう。

言うは易しなんだけど。


言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。