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29/365 【冴え冴えとした恐怖】 コロナウィルスとゾンビ映画

2020年、感情noteを始めます。

心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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コロナウィウスが日に日に勢力を増している。
実際はもっと広がっているのだろう。情報統制が仕切れなくなっただけで。

閉鎖状態が続く武漢市長はとうとう、初動の情報公開が遅れたことを認めた。また、各国は武漢市に残された自国民の帰国用チャーター便の手配に動いている。

それでも中国の他の都市からの人の移動は続いているし、それに関連して、国内ではバスの運転手への感染が確認された。

この事態で思い出すのが、3年ほど前に上映された韓国映画の「新感染」だ。

「防疫中」と書かれた看板や、街を消毒して回る車両。外出禁止を促される市民。謎の新型疫病対策と同じだ。

ちなみにこの作品、感染後のゾンビバトルがあまりグログロしくない。このジャンルとしては、レアかもしれない。血飛沫は上がるが、バイオレンス映画のレベルには至らない。語弊があるかもしれないが、普通の戦争映画位の流血度合いだ。それなら、疾病に対する戦争の比喩表現と解釈できる。

そして、パンデミックの蔓延で怪物と化すのは、最終的にはゾンビたちではなく、感染していない人間たちの方なのだ。

もちろんゾンビもわんさか出てくるんですが、それ以外にも、パニック映画とサバイバルアクションと、群像劇と家族愛映画を足した挙句に、割らないんです!割らないんだよ!すごくない⁈
ゾンビより人間の方がリアルモンスターだと思わせる苦いお薬も出しときながら、最後は号泣とか、ずるい。
ゾンビ映画、時々名作が出てくるから、侮れないわー、凄いわー。

当時FBに投稿した自分の感想を探したら、こんなことを書いていた。

暫く家から出ずにいよう、人込みは避けよう、という行動原理も、ゾンビ映画の中の人だ。

中国からの方々が多そうな場所は極力避けよう、という差別感も、ゾンビ映画とおんなじだ。

昨晩乗ったタクシーの運転手さんは、中国人は乗車拒否する、と言っていた。バスの運転手の感染があった今、そう思うのも無理はない。タクシー車内の距離感だと、乗せない以外の自衛手段はなかなか無いだろう。

そういう差別意識について、私も例外ではない。中国人観光客が多くいる場所は避けようなんて思う自分が、少なからず存在する。

正しい情報や一次情報の得難さも、今回の件では浮き彫りになっている。少しずつ出てくる情報のどれを採択し、どれを無視するか、見極めが難しい。

さしあたっては、うがい手洗いを徹底し、きちんと寝て、きちんと食べて、マヌカハニーで喉を守り、体力が落ちないように努力する... くらいしか、できることが無い。

いずれゾンビに食われてしまうなら、いっそ、家にあるお酒を飲みきってアルコール消毒に勤しもう… なんて戯言は、思考停止を隠してお酒を飲むための言い訳だ。

間違いなく言えるのは、ゾンビ映画というジャンルは、エンタメ性満点なくせに時代性も映し出すから侮れないってことだけだ。

なむ。

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。