486/1000 【エッセイ風】 頑張ることで私は何を得ていたのか、をさらに考えてみたところ
先々週の頭パッカーン!な気づきからもう少し深掘りしてみました。
頑張ることで、私は何を得ていたのか。
考え始めて10分くらいで思考が真っ白になりました。
よって、リフレッシュにとランニングに逃げたのです。
... これでした。
頑張ることで、私は思考停止をしたかったみたいです。
頑張ってるから、もう許して!
って思っていたらしい。
何を許して欲しいんだろう。誰に許しを請うているんだろう。
3キロちょっとを通過した時点で、降りてきたのは、
もう考えなくていいって言って。
でした。おおお、これか...
...
...
...
しっくりこない...
このしっくりこない感は、きっと正しいはず。そう思ってさらに走ります。
結局この日は何も出ず。
確かに一生懸命に頑張ってる時って、ガムシャラが故に思考停止に近いんです。
でも、思考停止を願っているわけじゃない気がする。
そこでふと気づきました。
私は、感じることを恐れている。
なぜ?
傷つくから。
感受性を無防備に出してしまったら、毎日がしんどいから。
だから、思考優位にすることで傷つくのを回避していたのです。
でも、そもそも思考優位にすること自体が、私の生理にはあまり合っていない。
それでも思考という隠れ蓑を手放したくない。
だから、思考に疲れてしまったら、それすらもやらなくていいように何かを「頑張りすぎる」。
これを狙っていたように思います。
うーん...
あんた、バカぁ?(深謝)
...
...
でもこれはちょっと気にかけた方がいい気づきな気がする。
これを書き始める前も「思考停止」で頑張れることをしようとしていました。
仕事もそれに近いのです。
通訳者にも翻訳者にも色んなタイプがおりますが、私はどちらをする時も、相手をまるっと自分の中にいれるイタコタイプに属します。相手に自分を完全に明け渡し、相手をまるっと受け入れます。
仕事に没頭することは、自分から目を背ける最高の言い訳になるのです。
何しろ、経済的メリットと精神的メリットと承認欲求の全てが満たされる最高の手法なわけですから。
気づいてから少し経ちますが、ようやく言語化できました。
だからどうするのか。
痛いって言っても良いのかな。
そんな言葉は湧いてきますが、やや持て余しすぎてどうして良いのかまだ分かりません。
それでもこの発見には意味があるのだろうと感じます。
1ヶ月後くらいに振り返ってみようかな。
明日も良い日に。
アイキャッチは、思考の螺旋!(正しくはバチカンの螺旋階段!)
言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。