190/366 【心灯杯】 今宵、小さなバーで
繁華街から1本入った細い道に面した小さなバー。時刻は夜10時。
カラリ、と氷が鳴る。その度に胸のカケラが少しずつ欠け落ちる。
彼氏に振られた。
「君は僕がいなくても大丈夫なんだよね」
そんなことない。なんでそんなこと言うの?
「君はいつも、何かを隠してる。仕事のことも何一つ教えてくれない。仕事をうちに持ち込みたくないってのは分かるけど... 僕にはそれがちょっと寂しかった」
どうすればよかったのだろう。私だって相談したかったよ。でもそれが許されない仕事だってあるでしょう。それでもいいって初めは言ってくれたじゃない。
どこかで聞いたようなフレーズが頭の中をぐるぐる巡る。注意力7割減くらいで見ていた連ドラでもこんなセリフを聞いた気がする。あの時、言われた方はどう言い返してたんだっけ?勉強だと思って正座でもして聞いておけば良かった。
って、どんな鮮やかな切り返しをしていたところで、きっと今の私では使えなかったんだろうけど。
その時、つい癖でカウンターに置いてあった特殊端末が点滅した。
第1級緊急発動要請
第1級?習い性でつい出てしまった。
「こちら地球防衛軍、ウラノス支部。未確認飛行物体を確認した。直ちに緊急防衛体制に入れ」
この数年、水面下でまことしやかに囁かれ続けて来た宇宙の果てからの襲来。
暗転した画面を凝視する手が少し震える。と同時にやさぐれの自分可愛そう酔いをすぐには跳ね除けられない自分もいた。
この任務のせいで、私は大好きな人と別れる羽目になったんだ。つい数時間前に。そのタイミングで噂の襲撃とか、一体なんなん。
もういっそ、宇宙人でもなんでも来させちまえ。なんならこのバーに降りてこいや。そしたらこれまで溜め込んでいた鬱憤を思いっきり吐いて吐いて吐いてやる。この恨み、いま果たさんでいつ果たす。
ふと、バーの外に目を向けると、何やら男の人が女の人に現金を握らせている。何あれ?ウリ?
女の人は現金を受け取ると、ありがとうありがとうと何度かお辞儀をしてから夜の向こうに消えていった。男の人は暫くその背中を見送ってから、なんとこのバーに入ってきた。
私の右手、数席置いたところにいる男性と待ち合わせをしていたらしい。
「さっきの女の人、病気の子供がいるって言ったろ?アレ、嘘なんだ」
入ってきた男性が止まり木に腰を落ち着けるや、バーで待ち受けていた男性が宣う。
グラスを持つ手が思わず止まった。
自分のグラスにウィスキーを注ごうとしていた、今入ってきた男の人の手も一瞬止まる。だがすぐにまた何事もなかったかのように、ゆっくりとお酒を注ぎ始めた。トプトプトプ。綺麗に指2本分注いだ後で、その男性はバーに正対して微笑んだ。
「よかった。病気の子供はいないんだ」
... 背筋が伸びた。
バーで待っていたその人の連れも、ハッという顔をしてからバツが悪そうな、そうだよな、とでも言い聞かせるような笑みを浮かべ、グラスを口元に運んだ。
二人は暫く無言で、ウイスキーを飲んでいた。
この世界にはなんて沢山の小さな物語があるのだろう。
そっとその会社員を盗み見る。
恥じらうような表情で、その人は棚に並んだお酒のボトルのその先を、愛おしそうに眺め続けていた。
「マスター、お勘定」
チェーサーをガブ飲みしてからお勘定を済ませ、コートを羽織る。この人たちの今夜のお酒の時間稼ぎくらいは絶対にできるはず。
病気の子どもがいてもいなくても、この人はここにいる。
カラリ、と氷が鳴る。
私はバーを後にした。
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落語の台本を、という話だったのに、出てきたものがこんな形になってしまいました。楽しかったです!さや香さん、ありがとうございました!
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