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浄土宗僧侶のワイが「鬼滅の刃」読んで個人的に思った仏教的解釈・考察


 自分は僧侶としては結構不真面目な部類ではあるけれども、「鬼滅の刃」を読んでいて時々思うのは、自分が僧侶として勉強してきた中で知り得た仏教的教養が作中に散見されるということだ。

 個人的に「鬼滅の刃」という作品に対して、仏教的なエッセンスを強く感じる部分が多くある。

 そしてそれが恣意的であっても偶然であっても、漫画やゲームなどのサブカルチャーを仏教的観点で考察していくのは新しい発見があって面白い

例えばソシャゲのFGOでは玄奘三蔵が登場するが、三蔵法師は固有名詞ではなくそういう地位 というウンチクはもう使い古されてそんなの誰でも知ってるよって感じだが、

彼女がゲーム内で口癖にしている「ぎゃてぇ」というのは般若心経の最後の一文「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の「羯諦(ぎゃてい)」であり、この語自体の意味は簡単に言うと「レッツゴー」なのだ。

FGOの三蔵は何か酷い目にあったりした時に悲鳴のように「ぎゃてえー!」という事が多いが、実は「レッツゴー!」って言ってると思うと彼女の前向きさが良く感じられる。

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 閑話休題。つまり鬼滅の刃を仏教視点で紐解いて考察してみたくなったんだよ!というわけで、自分が気になった部分をピックアップして解釈を添えていこうと思います!

 なお、本編及びアニメ未放映部分ネタバレ&多分作者はそこまで考えてないよ注意!

青い彼岸花/天上に咲く花・曼珠沙華

 鬼舞辻無惨が太陽の克服の特効薬として捜し求める「青い彼岸花」。

 そもそも彼岸花というのはお彼岸のシーズンになると赤く咲き誇る花で、有毒なのでモグラや猪等を除ける為に植えることもある。

それが青いとなると逆に薬効があるのかとなんとなく説得力があるね(?) 

 彼岸花はまたの名を「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」といい、法華経が説かれた時天上から降り注いだ四華の1つである(オタクの好きなまんだらけの元ネタの曼荼羅華もその一つで、別名チョウセンアサガオ)。

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上弦の陸・堕姫と妓夫太郎/その姿と最期

 妓夫太郎は回想において鬼になる以前から病的なまでに細身でありながら喧嘩が強く恐れられていた。なぜ妓夫太郎はあのような痩せ細ったビジュアルなのか?

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 彼の姿は餓鬼道で苦しむ亡者の姿を想起させる。

 六道の一つ・餓鬼道は自分と他人を区別して羨む者、自分の利益だけを追求する者が主に陥る世界である。仏陀の直弟子の母がわが子と他人の子を区別して自分の子にだけ良い物を食べさせた為に餓鬼道に堕ちたという話も伝わっている。

 餓鬼道において餓鬼たちは長い長い箸を使わなくては物を食べられない。その箸を使って自分の口に入れられても、口に入れた瞬間燃え上がってしまう。実はその箸で他の餓鬼と食べさせあった時だけ食べ物として食べられるのだが、餓鬼たちは誰もそうはしない。

 妓夫太郎は常に他人を羨み、嫉み、そして取り立てる。その精神性は餓鬼道の鬼に通じる部分がある。

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 一方でそんな彼が唯一気に掛けるのが自分とは対照的な妹の堕姫である。「俺達は二人で一つ」とまで言い放つ程の絆を持つ彼らは、その弱点も同時に首を切られることという徹底ぶりだ。

 極楽浄土には共命(ぐみょう)という鳥がいる。この鳥は一つの体に2つの頭があり、それぞれが独立した自我を持っている。

 共命は元々は地上で美しい声を響かせていたが、この2つの頭は仲が悪く、お互いが相手の美しい声に嫉妬心を抱いていた。

 ある時片方の頭が食事に毒を混ぜてもう片方を毒殺してしまった。せいせいした、と思ったのもつかの間、体は1つなので自分もまもなく死んでしまった

 邪険にしていたもう一方の頭がかけがえのない存在だったことを死の瞬間に思い知らされ、改心して浄土に召された後は思いやりの大切さを説く鳥として法を歌うという。

 頸を斬られた堕姫と妓夫太郎は消滅までの僅かな時間、互いを罵り合う。しかし滅後の暗闇に立たされた時、堕姫は兄と離れていく事を拒み、妓夫太郎は堕姫をおぶって歩いてゆく。

その姿は1つの体に2つの頭の共命のようだ。


不死川玄弥が唱えていたお経

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 上弦の肆・半天狗の半身の一人である哀絶の攻撃で負傷した玄弥は突然お経を唱えだし、哀絶も「何だ?阿弥陀経か?何とまあ信心深いことじゃ」と呆れる。

 しかし後にこれは「反復動作」という、集中を助ける玄弥なりのルーティーンであることが発覚した。また悲鳴嶼の柱稽古で隊員たちが瀧に打たれながら読んでいるのも阿弥陀経である。

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 阿弥陀経は浄土宗や浄土真宗が信仰の根拠に据えている経典「浄土三部経」の1つであり、中でも一番短いお経なので日常的に唱えているならギリ暗唱できる部類である(とはいっても普通に唱えても20分以上かかるが)。

 その内容は仏陀が弟子に向けて西方極楽浄土とその創造主である阿弥陀如来の存在を説き、また極楽の様相を詳しく説明し諸仏もその内容を賞賛したということが書かれている。

 大正という時代背景では若い人間でも今の人より信心はあるだろうが、とはいえ玄弥が本当に信心深いというわけではなく、師と仰ぐ悲鳴嶼の教えをそのままやっているのだと思われる。


ずばり僧侶キャラの悲鳴嶼行冥について

「南無阿弥陀仏」の念仏行者であること、阿弥陀経を読誦させていること、浄土宗特有の二連数珠であること等から、悲鳴嶼の宗派は浄土宗もしくは真宗だろう。

 浄土宗系においては「南無阿弥陀仏」つまり阿弥陀如来の名前を唱えることが何よりも勝る仏道修行であると説いている。悲鳴嶼ももうビジュアルから全力で南無阿弥陀仏をアピールしている。

 それは他の修行を蔑ろにしている様に見られがちだが、難しい仏教の勉強や厳しい修行には金銭的にも肉体的にも資本が必要となり、貧しく体の弱い人々は仏教に触れることが出来ないということになってしまう。

 浄土教に代表される大乗仏教はより多くの人々が悟りの世界に行けることを目的としているので、その点で念仏を最上の修行とする浄土教にはどんな者にも出来る簡便さと寛容がある。

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 悲鳴嶼は身寄りのない子供達を寺に集めて集団生活を営んでいた。もしこれが厳格な禅宗の寺だったら子供達は全員剃髪出家して修行の毎日を送っていただろう。獪岳にはその方が良かったかもしれないが。

「反復動作」による集中と強化を僧侶である悲鳴嶼が実践して教えていたことも個人的に面白いと感じた部分の一つだ。

 というのも、僧侶の行う修行行為には単純な動作の繰り返しで自己に没頭するのものが多く、それを巧く戦闘の修行に応用して落とし込んでいると感じたからだ。

 木魚を叩いたり念仏を唱えたりといった単純作業は、連続していくと究極的には脳の普段使わない回路を開くということは実際にあるようで、念仏を不断で唱え続けることで神秘体験に出会ったという話は現在でもいくつか存在する。


他人の為にする事は巡り巡って自分の為になる/炭治郎の人生観 

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 炭治郎が無一郎に対して言ったこの言葉はそのまま仏教の法話に使われる言葉である。

 他人の為の善行が最終的に自分の利益という結果に、悪い行いがいつか自分の苦しみに繋がっていくという法則を同類因等流果(どうるいいんとうるか)という。

 これは仏教の根底にある因果の法則から来るもので、因果とはこの世の全ての物事は原因があってその結果として存在するという考え方である。

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原因がなくては現在という結果は訪れない。当然の事を言っているようだけれども、仏教はこういう、人生の物理学ともいえるような法則を見出しては教えの根底に敷いているのだ。

 また別の言い方として自利利他(じりりた)という言葉がある。自利というのは自分の為に自分の利益になる事をすること。利他とは自分を差し置いて他人の為になる事をすること。

 この自利と利他を両立させていることを「自利利他円満」といい、これは菩薩の所業なのだ。

「強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなりまた自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ」

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 炭治郎のこの言葉が自利利他円満をわかりやすく説明している。


有一郎と無一郎/自利と利他

ふたご

無一郎を語る上では上述の「自利利他」が大きなテーマになっている様に強く感じた。

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「情けは人の為ならず」の正しい意味を父から教わっていた無一郎は、いつか人の為になることをしたいと願っていた。これは利他行を望む心であり、一方で兄の有一郎は他人のことを気にする余裕は自分たちにはない、自分だけの為に生きろと憤っていた。これは自利の心である。

「自利と利他」という概念を通すことでこの双子の対照性が際立ってきた。

 上弦の伍・玉壷との戦いで記憶をはっきり取り戻した無一郎は、記憶を失っていた頃の自分を「兄に似ていた気がする」と振り返る。

 確かに無一郎は登場以来、柱である自分の要求と精進が何物にも優先されるべきという態度を取っていたし、他人を省みない言動・行動が多かった。

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 これは自利の心に囚われていて、兄の有一郎が生前に無一郎に望んでいた姿だった。他人を一切省みないこの頃の無一郎は確かに強く育ち、柱にまでなった。

 しかし本来の無一郎の姿ではなかった。無一郎が患っていた記憶障害はそういう意味を含んでいたのではないか。本当の無一郎は誰かの役に立てる人間になることを望んでいて、それを邪魔したことを有一郎が死の間際に懺悔していた事も忘れてしまっていた。

本当の自分を取り戻した無一郎はようやく「自利利他円満」の状態となった。玉壷戦での無一郎の成長はそういう意味の上にあったのだ。


それに引き替え・・・

 上記の逆のケースを示して見せたのはかつての善逸の兄弟子であり、命惜しさに悲鳴嶼を裏切った過去を持つ獪岳だ。

 彼は新しい上弦の陸として善逸と戦い敗れるが、その消滅の間際、愈史郎からこう言われる。

「人に何も与えない者はいずれ他人から何も貰えなくなる 欲しがるばかりの奴は結局何も持っていないのと同じ」

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 獪岳は自利だけを追求したが故に孤独に消滅するという結果が待っていた。



いかがだったでしょうか。読み込んでいくとまだまだ出てくると思うけれども限がないのでここらでやめときます。






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