最近ふと思ったこと2つ/社会人的なものと、世界人口の愛の話

社会人になってから2回の転職を経験した。あえて乱暴な言い方をすると、1社目は20〜30代の若い人達しかいない会社、2社目は年齢に限らず圧倒的に女性が多い会社、そして現在は年齢に限らず圧倒的に男性が多い会社だ。

その経験を思い返して、ふと気づいたことがある。
目上の人との話し方や飲み会での振る舞い方などの「社会人としてのルール・マナー」的なもの、本音を言えば僕の中では世界一しょうもなくてどうでもいいものに、一番こだわりが強かったのはダントツで1社目の若い人達だった。

そういうものにこだわるのははおじさん達だというイメージがあったのだが、よくよく考えてみると、上下関係のしきたりや社会人としてのマナー的なものを大事にしているおじさんを、僕は今まで見たことがない。

飲み会では上司のグラスを空にするなとか、下座に座れとか、いわゆるパシリ的なおつかいとか、そういうことを言うのは経験上若い人達だけだった。
若い人達が若い人達にそれを受け継いでいる様子だけは本当によく見かけた。
なのに、そういうことをするのは頭の硬いおじさん達だ、というイメージだけがなぜかこびりついてる。
僕だけなのかもしれないが、これはちょっと面白い発見だった。

つまり社会人にまつわる無駄で謎なマナーやルールは、実は若い人達が生成してさらに若い人達に授けているのであって、
そのモデルケースとして勝手におじさん達を持ち出して、ルールの無駄さや意味不明さなどのヘイトは自動的におじさん達に向けられ、
おじさん達はよくわからないまま酒を注がれ、僕たちはまた意味のないルールを若い世代に授けようとしてるのではないか。
そんなことを、昼休憩中に思った。昼寝すればよかった。


***



平井大のstand by〜を聴いた。もうちょい若ければ死ぬほどハマるんだろうな、と思った。

ところで歌詞のなかに75億分の1人というフレーズがあってびっくりした。
こんなに広い世界でキミと巡り会えた奇跡、的なことを表現したいのだと思うのだが、
僕が高校生の頃は、九州男が同じ表現で60億分の1と歌ってたのだ。ここ10数年で人口増えすぎだろ。
そういえばnobodykows+は65奥分の1と歌っていた。


愛の深さやその感謝の度合いを示すために、現在の世界人口の数を出してくるのは、よく考えてみるとなかなか面白いアプローチな気がする。
思えば、恋人との出会いの背景を考えると、この世のすべてが奇跡だ。わざわざ世界人口にしなくても、日本の人口を分母にしてもすごいし、沖縄県の人口145万人を分母にしてもすごい。2022年現在の沖縄県に住む18歳から22歳という縛りを設けても、その出会いはすごい気がする。
さらに言えば世界人口にとどめる必要もない。分母に場所や空間を持ち出すことも可能なはずなので、太陽系のなかで出会えたことも奇跡だし、広い宇宙のなかで出会えたこともすごい。

一方で、すべての人間のなかでキミと出会えたこと、というのはさすがに無理があるとも思う。
じゃああなたは世界中の人間と会ったことがあるのですか?という屁理屈が成立しかねない。

つまり解釈を変えるべきかもしれない。
僕の結論はこうだ。

世界人口を持ち出してくる系の曲は、「キミの存在はその他の何十億という世界中の人間なんかどうでもいいと言い切れるくらいの特別な存在だ」ということを言いたいのではないだろうか。

次にこういう曲が出る頃には、世界人口は100億人くらいいってるかもなあ、とか思いつつ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?