[小説]　糸

土性いお

2020年3月18日 19:23

自分だけ変なものが見えるという話は案外巷に溢れているらしいです。霊感だなんだと言って、話題の種にするものなのだそう。

　そうはいっても周りに直接打ち明けることはなかなか出来ないものです。私だって、変な子だと思われるのは嫌だったのですから。

　私はスマホのメモ帳に日記として残すことにしました。いつかブログやSNSのネタにでもするつもりで。

　「それ」が見えるようになったのは、数日前からでした。

　その日は仕事納めの金曜日。起きた特別な出来事と言えば、事故のような現場に遭遇してしまったくらいでした。

　遭遇したと言っても、通勤途中の電車内で見かけただけです。私から見て、向かい側に座っていた中年の痩せた男性が突然倒れました。

　座席について二駅ほど後、乗り降りの激しい混雑した駅から乗ってきた人でした。今から思うと、扉が開いて入って来たときから顔色は悪かった気がします。その男はずっとぶつぶつと呟いていました。時々手をかき分けるように振り回していました。

　独り言喋りながら歩いてる人最近多いですよね。イヤホンをしているのかそれ以外なのかも分からないから怖いです。何かしらの精神障がい者かもしれないから、大体は放っておいた方がいいよと、同僚の一人が話していたことを思い出しました。

　真似させてもらうことにしよう。未だに何かに反応しては大声を上げる男の人を無視して、カバンからスマホを取り出しました。

　SNSを開くと数件の友達申請が届いていました。相手の写真を吟味して、気に入った人には申請許可ボタンを押していく。次はファッション情報のサイト……。

　あれ、うめき声が聞こえる。目の前にいるため、ついつい気になって時折視線を向けていました。

　男はさきほどとは違い、苦しそうにじたばたともがいています。

　周りも異常な様子に気がついたらしく、誰かが非常ボタンを押しました。まもなく車掌さんが慌てた様子でやってきました。

　私は邪魔になっては悪いと思って、席を立ち、少し離れた位置へと移動することにしました。騒ぎが大きくなると面倒そうで嫌だったのです。鞄を持つと、手首のあたりにくっついた糸くずを掴んで捨てて、隣の車両に移りました。

　倒れこんだ男の人は次に到着した駅で抱えられて下ろされました。その後どうなったのかは私は知りません。

　ところで私は、土日はほとんど実家で過ごしています。平日は忙しくて出来ない分、休日は家事を一通りこなして、後は好きなことをするのが実家でのルールです。家事を終えると、録画していたドラマを観ることが多いです。友達と出かける用事が無い場合は、特に外へと出歩くこともありません。

　土曜日の朝7時に朝食を作り終えてキッチンから出ると、起きてきた両親と私の間に何かがあることに気付きました。

　糸、のようなものでした。少し太くて毛糸くらいのサイズはあるような気がしました。身体の中心同士を結んでいるように両親と私の間に一本ずつ。驚きはしたけれど、不思議とすぐに見慣れてしまいました。

　こういうときは案外冷静でいられるものです。朝ごはんの片づけをし終えてから、謎の糸について調べてみました。

　いくつかのことがわかりました。

　その糸はゴムが伸び縮みするように、近付くと太くなって離れると細くなる。

　よく見ると、私から両親に繋がる分以外にも何本か家の外へと続いている細い糸がある。

　どうやらある一定の太さより細くなると目には見えない。

　物に当たっても物理的には何も起きない。例えば、柱を二手に別れるように通り過ぎても、糸は柱に引っかかってその分伸びるだけ。しかもある程度伸びると柱をすり抜けて再び二人の間を真っ直ぐに結んでいる。

　こんなことを確かめているうちに今週の休みはあっという間に終わってしまいました。

　今日はもう出勤しないといけません。私は支度を終えて、実家を出ました。

　外には信じられない光景が広がっていました。

　街を歩くと周りはそれはもうたくさんの糸、糸、糸。

　一人一人から何本もの直線が外へと延びています。その直線はすぐ隣の人と繋がっているだけのもあれば、どこまで続いているのか分からない遥か先まで伸びているのもありました。その糸のいくつもが引っかかり、絡み合っています。

　互いに巻き付いた糸は放射状に、あるいはクモの巣のように、広がっていました。

　糸の数は人によって違うのでしょうか。酷い人は糸が多すぎてハリネズミのようになり、姿も見えなくなる程です。

　そこまでいくと気持ち悪くて、平然としていられませんでした。人を直視なんてとてもできません。このままだと街の真ん中で倒れてしまいそでした。

　ふと自分の身体を見ると、私から出ている糸と隣の人から飛び出した糸が絡まって巻き付いていました。首元、胸、足、それはもう身体中に。毛糸が綻んで毛玉ができるように自分の体を覆う嫌悪感が膨らんできました。視線を浴びているような、圧迫感でした。

　出来るだけ目を開かないようにして駅へ着くと、普段通りホームへ向かいました。必要に駆られてわずかに目を開けると、改札どころか駅全体が燕の巣にでもなったようでした。

　いつも並んでいる乗車位置へと歩きます。気分は優れないまま。電車がちょうど来たところでした。

　心の奥底でやめておいた方がいいとは思いました。無意識の底にある警報がジリジリと鳴っているような感覚です。

　しかし、会社にいかないえるという話は案外巷に溢れているらしいです。霊感だなんだと言って、話題の種にするものなのだそう。