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算命学余話 #U57「金白水清と木秀火明」/バックナンバー

 グロスマンの『万物は流転する』の考察の中には、図らずも算命学の理論を思わせる仮説が記されており、算命学を研究する者としてはハッとさせられます。グロスマンはユダヤ系ロシア人なので歴史的に一神教が思考パターンとして浸みついており、多分ユダヤ教ではなくロシア的な体質から「希望」に対する一元的な信頼(これがロシア人に忍耐力と同時に隷属性を付与し、また一途という聖性と美を育んだ)を手放すことができないのですが、たとえその希望が幻であったとしてもこれを失っては人は生きて前へは進めないのだという確信が小説全編を貫いている一方で、これに対する反論を別の登場人物に語らせることで、著者自身の信念にさえ強力な疑問を投げかけています。
 その自己の信念を否定する理論とは、算命学で云うところの質量保存の法則です。人類の運勢のパイの総量は変わらず、人々はそれを奪い合ったり分かち合ったりして幸や不幸、貧富の差、生殖や命の長短を嘆いたり喜んだりしているが、結局はパイが行ったり来たりしているだけで幸も不幸も総量は変わらないのだという、あの冷ややかな法則です。『万物は流転する』では、人類が同じ人類に対して行なってきた激しい暴力に対する糾弾が取沙汰されていますが、著者の分身である主人公はさまざまな考察を重ねながら、こうした暴力がいつの世もなくならないのはなぜかと考えあぐね、その解答の一つとして「暴力の総量は変わらない」という説を、主人公が尊敬しているけれども共感はできない別の人物の考えとして提示しています。ちょっと引用してみます。

「大体において歴史の進歩などはないのだ。その法則は単純で、いわば暴力保存の法則だ。エネルギー保存の法則と同じように単純なものさ。暴力は永遠で、なくそうとしてもなくならず、減りもせず、姿を変えるだけ。奴隷制の中にあったかと思えばモンゴル来襲の中にもあり、大陸から大陸へ移動するかと思うと一転して階級的なものとなったり、人種的なものになったりする。物質界から離れて中世的な宗教性を帯びたりもする。有色人種に襲いかかるかと思えば作家や芸術家に襲いかかったりもする。地上における全体量は同じなのだが、思想家たちは混沌としているその変化を進化と受けとめ、その法則性を探求している。だが混沌に法則性などない。進歩も意味も目的もない。」

 この冷ややかで絶望的な、しかし何となく正しそうな説に対し、主人公は反論できず、それでも「希望」を捨てられない体質からどうしても賛同したくない心境が描かれています。グロスマンが生きたソ連時代は表現の自由がなかったため、知識人たちはその優れた能力を創作にではなく諸外国の文物の翻訳に向けたことは以前紹介したと思いますが、そういう意味でもグロスマンが古代の東洋思想として算命学に係わる陰陽五行説を知っていた可能性は充分にあります。或いはインドやイスラム化する前のペルシャには運命の循環法則や輪廻の思想が昔からあり、持ち前の「同化しやすい」ロシア人体質がこうした陸続きの異文化をずっと前から吸収していたことも充分考えられます。
 グロスマンの指摘する「暴力保存の法則」が本人のオリジナルであるかどうかは問題ではありません。ただキリスト教を代表とする一神教の思考パターンが体質的にどうしても合わないと感じる我々東洋人にとって、グロスマンが提示する洋の東西の思想の比較やメンタルの落とし処は、一神教的価値観で世界が一元化されそうな雰囲気の昨今において、何らかの抑制力を発揮しそうな気がします。世界が陰陽どちらか一色に染まってしまう時が世界の終りであると予測する算命学の学習者には、こうした一見して算命学と関係のなさそうな小説や思索に触れて、単なる占いに留まらない算命学の活用の幅を広げてもらいたいと思います。

 さて、前回の余話では春生まれの甲の守護神がどういう理屈で成り立っているかを取り上げてみました。読者の関心が確認できたので間隔を置いて連載しようと思いますが、今回は夏生まれに進む前に、木性の本質について少し掘り下げてみます。
 以前、ブログで「金白水清」という金性と水性にまつわる相性と効果を紹介したことがあり、今でもアクセス数の高い人気の記事なのですが、木性と火性についても「木秀火明」という類似の型があります。「金白水清」も「木秀火明」も才色兼備の命式なのですが、どうしてこうした組合せが聡明さと美しさを生むのか、五行のコンビネーションが生み出す効果について、守護神の理屈と同じく自然思想を基に考えてみたいと思います。

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