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算命学余話 #G112 「不名誉も名声のうち」

 前回の余話#G111では余談として、北方寒冷地を司る「印」の冷ややかな物の見方について触れました。こうした見方を頭ごなしに否定せず「知性」として認めることもまた、善悪を論じない算命学の特徴かもしれません。同じフェイズの話として、今回は「官」を考察してみます。副題は「不名誉も名声のうち」です。旧い読者の方は、どこかで聞いたフレーズだと記憶を探っておられるでしょう。初期の算命学余話#U30の副題が「借金も財運のうち」でしたから、これとそっくりです。
 宿命に「財運あり」と出ている人だからといって、金持ちになるとは限りません。それどころか借金まみれになる可能性はむしろ高いくらいです。なぜなら、「財運あり」とは「財と縁が深い」という意味であっても、「財に恵まれる」と同義ではなないからです。陰にも陽にも転ぶ可能性があり、そのテーマが「財」だというだけのことなのです。
 そうは言っても、「財運あり」という宿命の人がお金に全く縁のない人生を送っていると、宿命通りの自然な生き方ではないので、病気になったり事故に遭ったりして、淘汰を早めることとなります。そうならないためには、借金まみれになることもまた善しと見做すことができます。それが幸せかどうか? 今更何を言っているんですか。「禄」は「福」と相剋関係ですよ。財運がそもそも幸せと縁が遠いことは判り切っているではありませんか。…これが算命学節というものです。

 これと同じことが、官にも言えます。直近の話題では、来月行われる東京都知事選挙の立候補者が56人もいるという事態に、賢い有権者らは明らかに「売名行為」だと気付いて不快感を覚えています。知事となり都民の生活向上のために知恵を絞って働く意志はなく、ただ自分の名前と顔を世間に知らしめることが目的で、そうすることでその後の人生なり事業なりを自分に有利に進めることができると思っている浅はかな候補者が、今までの選挙にもいなかったわけではないとはいえ、こんなにも大挙して押し寄せることはかつてありませんでした。
 たとえ立候補のための300万円の供託金が戻ってこなくても、数千万円もかかるCMに比べれば宣伝効果としてのコスパは遥かに安い。彼らはそう考えている。その歪んだ算盤勘定が、選挙や都政といった庶民の生活、ひいては人権に影響を及ぼす切実な決定事項を愚弄していることが、人々に不快感を与えているのです。私も都民ですから、非常に「愚かしく醜く汚れた」ものを感じます。つまり名誉が穢されているということです。厚顔無恥な候補者当人のみならず、都民の参政権や人権もです。

 そんな気分にさせる候補者は一刻も早く排除されてほしいし、ぶっちゃけこの世からいなくなって欲しいですが、そう思っているのは私だけではなく、余人の過半数はそう思っていると、算命学では見積もっています。なぜなら、「不名誉も名声のうち」だからです。こうした輩は、本人の目論見に反して既に著しく名誉を下げていますが、恐らく名誉に関わる星をお持ちなのでしょう。その星が正しく輝かず、歪んで光った結果がこれです。しかし歪んだ光とはいえ、その官はちゃんと役目を果たしてはいるのです。「財運を持つ人が借金まみれになる」のと同じ原理です。その不名誉の輝きもまた、名声運を消化する自然にかなった行いではあるのです。
 実際、過去に売名目的のために知事選挙に何度も立候補して落選し続けた某事業家は、売名が成功してその後の事業に利するどころか、逆に世間の信用を失って事業を減退させたと語っています。確かに有名人にはなったけれども、人に敬われる有名ではなく、蔑まれる有名だったのです。しかし人に敬われようと蔑まれようと、算命学としては同じ名誉のことを言っているのです。同じ官の現象であり、そこには陰陽の違いがあるだけです。

 「不名誉も名声のうち」の内容を、実例を挙げて語ってしまいました。この後は何を論じましょうか。せっかく官の話なので、官の得意とする自己犠牲や自殺について掘り下げてみましょう。
 官の特徴として、「自己犠牲をすることで名誉を上げる」という現象があります。世のヒロイズムには自己犠牲が付き物ですから、誰しもこの点に異論はないと思います。自己犠牲の最たるものは命を賭けることですから、自分の命と引き換えにすれば、名誉は大いに上げることができます。逆に言えば、自分の命を惜しんで逃げたり、保身のために仲間を裏切ったりすれば、名誉は著しく下がります。しかしながら、一体この現象は、なぜ存在するのか。どうしてこのような作用が人間の営みに必要になったのか。寝たり食べたり生殖したりといった生物としての本能とは、根本的に異なる活動動機に思えます。

 キーポイントは、福寿禄官印のうち、禄まで(親重力)が動物と同じ本能、官から先(脱重力)が人間としての本能だということです。以前の余話にも取り上げているテーマなので、読み返してみて下さい。今回は少し科学的な話題を取り入れて、論を展開してみます。
 科学的な話題の一つは、「ミツバチの分蜂」です。ミツバチの巣が大きくなると、過密を防ぐために女王バチが働きバチの半数を引き連れて余所へ引っ越し、残った働きバチは女王の娘である王女を新女王として、その元で巣を守り、子孫を残します。こうした巣の分割行動を分蜂と呼びます。娘の王女のために巣を譲り渡した女王バチが自己犠牲をした、という話でしょうか。そうではありません。もっと深い話です。
 二つ目は、がん細胞の世界も、何やらこのミツバチの分蜂に類似性が見られるという話です。つまり、がん細胞も自己犠牲に関わっているかもしれないということなのですが、これはどういうことでしょうか。

 まずミツバチの話ですが、女王バチが巣にたった一匹であることから、次の女王たる王女もたった一匹しか生まれてこないものと私は思っていました。しかし実際は長女の下には次女が、その下に三女、四女が生まれることもあるそうです。それはどうやら巣の巨大さに比例し、大所帯の巣ほどミツバチ人口が多いので、複数回の分蜂が可能となり、その数だけ王女が生まれるということなのです。
 そうは言っても、無限に分蜂するわけにはいきません。どこかで打ち止めにしないと巣は弱小化し、その後の繁栄が叶わなくなります。そこで最後の王女は、妹王女が繭から孵る前にこれを破壊して妹の誕生を阻止し、分蜂を打ち止めにするのです。そういう本能をミツバチが備えていることが判っています。しかも驚くべきことに、この妹殺しを誘導するのは、当の繭の中の妹の方なのです。

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