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算命学余話 #U72玄「犠牲を出すということ」/バックナンバー

 イスラム武装勢力が外国人を処刑する警告ビデオで演出するオレンジ色の囚人服は、米軍のグアンタナモ捕虜収容所を暗示させるためのパクリだと思っていたが、一節によるとあのオレンジ服はサダム・フセイン政権時代のイラクの囚人服だそうだ。では米軍の方がグアンタナモの囚人達により効果的に精神的苦痛を与えるためにこのフセイン・オレンジを選んだ、というのが正しいのだろうか。オレンジの染料が他の色より飛びぬけて安価だという話も聞かないから、偶然の一致とは思えない。故意に真似たとするなら、まずフセインが先で、次にパクッたのが米軍で、更にパクり返したのがアルカイダ及び「イスラム国」ということに。もしかしたらフセインの前にも先駆者がいたかもしれない。いなかったかもしれない。オリジナリティの所在はこの際問題ではない。著作権などだれも問題にしない。問題にはしないが疑問は残る。「卵が先か、ニワトリが先か」という疑問である。

 春夏秋冬のうちどの季節が最初だったのでしょう。そんなことは誰にも判らないし、判っても意味はない。これもまた「卵とニワトリ」の話です。自然思想で成り立つ算命学はこの提議については「卵とニワトリ」のまま保留し、無理に回答しようとしません。結論を出そうと思考を凝らした人は過去にいたでしょうが、結局のところオレンジ囚人服の起源を探るのと同程度にばかばかしさを感じて、議論を深めなかったのだろうと思われます。オレンジ服を誰が最初に始めたかより、その服を着せることの現在における意味と重要性の方が遥かに議論されるべきテーマだからです。
 算命学も同様に、春夏秋冬や陰陽五行の巡りについて、その起源よりも、巡りが恒久的に続くということの方に重点を置いています。そしてひと度そうした循環運動が始まったなら、もう誰にも止められないことにこそ注目すべきだと考えています。なぜなら物事には原因があり、その後には必ず結果がある。しかしその目に見える結果は当初の原因を100%反映したものではないかもしれない。仮に90%の反映率だったとすれば、残りの10%はいつどこでどのような形で反映されるのかを探る方が、現実を生きる我々が直面する諸問題の解決の役に立つと考えるからです。

 前回の余話#71のシーソーの話を引き合いに出すなら、シーソーの両端に腰掛けた両者は互いに上がったり下がったりし、その高さの合計はいつも同じです。中央の支点をゼロとすれば、シーソーの最高点は100、最低点はマイナス100。100足すマイナス100はゼロ。右が上がっても左が上がっても、両者の合計はゼロになります。
 算命学の考える理論では、われわれの人間関係もまた陰陽や五行を媒介して互いにシーソーを形成しており、自分が幸せであるなら同時に誰かが不幸なのであり、自分が満腹であるなら同時にどこかの誰かが飢えており、尊敬される人がいれば同時に軽蔑される人がいて、どこかで死ぬ人がいればまたどこかで誰かが生まれている。これが正しい姿、自然な姿なのであり、もしもどちらか一方しかないという状態が続いたなら、これは自然に反しているからいずれ大きな反動を覚悟しなければならない、と考えています。その考えをもとに、近い将来どういった反動が予測されるのかを論じ、或いはその反動を避けるために今どの辺りで溜まったツケを払っておくべきなのかを考えるのが、算命学の未来予測術になります。

 東日本大震災以降、日本各地で中規模地震が頻発するようになりました。算命学の理論から云えば、こうした地震の小出しは次の大地震を回避するのに大いに役立つということになります。小出しの地震がずっと起きないことの方が、ツケが溜まって怖いのです。地震などそれこそ人類が操作することなど到底できないものですが、現状、ごく自然に群発地震が起こり、建物など多少の被害が出ているとはいえ大きな人的被害にまで至っていないことは、人命第一の価値観を優先するならば、日本人は当面自然に守られているということになります。群発地震は近未来に肉迫した大地震の予兆なのではなく、大地震を遠ざける小ワザの連続である可能性を、算命学は示唆しているのです。

 今回のテーマは12回おきの玄番につき、やや突っ込んだ思想の話です。上述のイントロ話に脈絡がないように思われたかもしれませんが、このあと論じる内容に係わる諸事例としてちょっと頭に入れておいてほしかったので、挙げました。前回の#71もややシビアな内容でしたが、今回はそれを引きずって更に玄番らしい物騒な話です。購読料にご注意の上、学習者の方には算命学の使用方法における危険性について改めて認識頂くよう希望致します。

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