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算命学余話 #R14「牽牛星を基礎から考える」/バックナンバー

 難民キャンプや戦地に暮らす人々が人生にやる気をなくして自暴自棄になってしまうのを防ぐため、音楽やアートを用いたセラピーが行われているそうです。こうした芸術の類は生活に余裕がないと楽しむことはできないので、今日の食事にも事欠く人々にとっては高嶺の花というよりは、実生活において優先順位の低い「それどころじゃない」テーマとして一蹴されそうですが、実際には意外と歓迎されているようです。
 今日の食事も仕事もない、という絶望的な環境にあると人間は鬱々としてロクなことを考えないし、家から出ようともしないから身なりにも気を配らなくなってくる。するとだんだん人目も気にならなくなり、更に他者との係わりもどうでもよくなる。要するに「対流」しなくなって心身ともに濁ってくるのですが、こうした根詰まりを一挙解決するのに芸術の力が有効だとして、様々な試みがなされ、実績を挙げているというのです。典型的なのが音楽や絵画で、難民の子供たちは学校にも満足に通えないため、代わりにこうしたセラピーの場に参加させることで楽しみを見つけ、人生に前向きになってもらおうというわけです。

 我々日本人は義務教育で必ず音楽・図工・体育の授業を受けるのでピンと来ないかもしれませんが、国によってはこうした趣味的科目は成人後の就労に直接寄与しないとして、学校教育では教えないところも多くあります。するといわゆる「勉強ができる子」とそうでない子が明確に分かれ、その後の進学につながる教育格差が早く始まってしまうという弊害が出るといいます。日本の教育では、勉強ができない子でも体育や音楽に才能を見せれば劣等生扱いされることはありません。運動会や学芸会で輝く機会が学校にあるからです。
 ともあれ、学校教育はともかく音楽や芸術には人々を明るくする威力があり、これを単なる趣味に留まらず戦地や難民キャンプといったシビアな暮らしの中で活かす取組みは、衣食住が足りてさえいれば人間は幸せか、というドストエフスキーの小説のテーマのような人生の意味について、何らかのヒントを与えてくれています。

 とはいえ私がちょっと気になったのは、音楽やアート以外のセラピーに「化粧」という手法もあるということ。おそらくアートの延長なのでしょうが、身なりを気にしなくなった若い娘たちに化粧道具を与えて指導すると、皆よろこんで化粧するようになり、きれいになった自分に自信を持つようになる、というのが触れ込みです。
 私は算命学者なのでこの手法はあまりお勧めできない。なぜなら化粧は自分自身に施すもので、化粧した後は誰かに見せるのかもしれませんが、所詮はひとりの満足で終わってしまうものだからです。またその目的も、虚飾と言わざるを得ません。集団で行う合奏やスポーツが他者との係わりを密にするのとは対照的に、お一人様で完結する化粧はナルシシズムと直結し、そこには実も対流もありません。きっと化粧セラピストはご自分が化粧をして悦に入るタイプの人間だから嬉々として勧めるのでしょうが、算命学はこの種の狭い喜びに否定的なので、それよりは他者との交流に重点を置いた別の手法の方が、運勢の活性化には有効だという立場です。なにしろ、互いを叩き合う相剋関係でさえも、停滞よりはマシだというスタンスなのですから。

 さて今回の余話のテーマは、その相剋関係によって生まれる星、牽牛星についてです。牽牛星といえば、地味な星の代表です。毎度お騒がせの龍高星や調舒星が時に煩わしいくらいとんがって異彩を放つのに対し、その対極にいるのが牽牛星です。
 牽牛星を主星に持つ人が運勢相談に現れることは滅多にありません。なぜなら牽牛星は常識人であり、現実主義者であり、現実離れした夢を追わず、秩序と規律を重んじるからです。また名誉星でもあるので、自分の名誉に傷がつくのを恐れて、運勢鑑定などという怪しげなものに相談をもちかけようなどとは思わないのかもしれません。
 というわけで、牽牛星の基礎話を心待ちにしている読者はそう多くないとは思いますが、順番ですので取り上げます。算命学の一般的な紹介文では、牽牛星の特徴について理性的でまじめ、責任感が強い、堅実、冷静、冷淡、集団での牽引力、統率力、現実主義、といった性質を挙げています。また同じ攻撃本能を司る車騎星が軍人向けなのに対し、牽牛星は官僚向けとされています。なぜこのような評価が牽牛星を飾っているのか、基礎から読み解いてみます。

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