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算命学余話 #U102「知性とは人間性である」/バックナンバー

 人間性に問題ありとの評価が定着しているにもかかわらず、橋下大阪市長率いる維新の会が大阪府知事選と市長選に勝利しました。政治家の中には、大阪の二重行政の非合理性解消を叫ぶ橋下氏の政治的センスを称えて、その人間性の欠陥については目をつぶろうとする向きもあるようですが、算命学者は目をつぶったりはしません。その低俗な人間性をガン見です。今回の余話のテーマはここです。

 すこし前には、日本の大学の文学部や文系学部を縮小して、代わりに国際競争力を高めるための理系・実務学科を拡大すべしという、正気とも思われぬ提案がありました。これに賛同する人は、知性の根本が何かを知らないのでしょう。文学や哲学や歴史学は、とどのつまりは人間学なのです。人間は善も為すが、悪も為す。実学から生まれた科学技術を駆使するのは人間であり、同じ道具を用いていても善人と悪人とではやることが180度違う。ガソリンは、車に積んだ物資を不足している場所へと迅速に運ぶこともできますが、火炎放射器に詰めれば人間を一瞬にして火だるまにすることもできるのです。原子力の平和利用と核兵器などは好例です。
 技術をどう使うか判断するのは人間であり、その匙加減は当人の判断力に懸かっている。判断力は未来に何が起こり得るかという想像力であり、つまり洞察力であり、その洞察の先に枝分かれした選択肢のうちどれが最適かを見極めるのは、その人の善悪の判断つまり人間性なのです。人間性を備えていない人間に、多くの人の命運を左右する事業や決断を任せられるでしょうか。善悪の区別をより高度に精密に行なえるようにするために、人間学の研鑽が必要なのです。
 おめでたい人たちは善悪の区別など大人なら苦も無くできると思っているかもしれませんが、もし本当にそうなら今日世界中で行われている非道行為の数々を一体どう説明するつもりなのでしょう。人間の善悪はかくも揺らぎやすいものなのであり、だからこそ日夜の研究や議論が必要なのです。これらは自然科学と違って結果が出にくく、数値にもなりません。結果や数値が出ないから人間学が必要ないなどという人は、金儲けしか頭にない俗物です。数値つまり十進法というのは、より大きな数を数えられる利点により普及しましたが、何を数えていたかといえば、商人の扱う商品の数量を数えていたのです。だから数値にばかり注目する人は、そもそもが商人の発想から出られない人なのです。算命学はそのように冷ややかに論じています。

 もうひとつ付け加えるならば、先日佐藤優氏が「おそろしい本」として中室牧子著『「学力」の経済学』を取り上げ、酷評していました。その内容とは、子供の教育は大学受験やもっと下のお受験準備からでは遅い、0歳から始めるべしというもの。0歳から知力体力及び道徳を学べる一流の施設に入れ(おかげで両親は子育てから解放される)、国際舞台で効率よく金儲けできるノウハウと、親孝行を厭わない優れた精神を育てる。すると、勉強しろと言わなくても自ら黙々と努力する大層手間のかからない優秀な子に育つので、その後は受験勉強にカネをかけなくとも競争に勝てるし、就職でも競争者を蹴散らせるし、社会人となって儲けたカネは、心優しいので両親へ全額渡して良しとするようになる。このようなシナリオで子育てするのが今後最も賢い教育方法となるであろう、という提案書なのだそうです。
 私は読んでいないので大きなことは云えませんが、この通りの内容だとすると、一体この著者は子供を何だと思っているのでしょう。親にカネを貢ぐロボットになるのが、人間の幸せだとでもいうのでしょうか。この人は、この世の価値が金額の多さで決まると考えている点と、人間の価値観の多様性や幸せの意味について深く考えたことがないという点の二重の意味において、人間として救いがたいお粗末さを露呈しています。こんな本を書いて堂々と出版してしまう恥を知らない低俗人が、有名大学で教鞭を取っているというのですから、佐藤優氏が「世も末だ」とこぼすのも頷けます。

 皆さん、よもやこの学者の意見を「へえそうなのかあ、自分もそうしなきゃ」とか思ってはいませんよね。こういう人をこそ、人間性に問題ありと評価し、橋下市長と同列に扱わなければならないのですよ。よもやとは思いますが、私が懸念を打ち消せないのは、昨今流行りのインターナショナル幼稚園にわが子を入れたがる親御さんたちが、その幼稚園で教えている外国人の英語が、ネイティブではなくフィリピン訛りや東欧訛りであることに気付いていないからです。本物の英語を知る親御さんは、こんな所に大切なわが子を放り込んだりしていません。おかしな英語を仕込まれて、大人になっても直せず馬鹿にされるのが目に見えているからです。
 そんなことをするよりは、正しい日本語や日本の教養を身に付けさせて、その日本語の意見を改めて英語なり何なりに翻訳できる能力を多少遅れてでも学んだ方が、ずっと尊敬されます。皇太子の英語を聞いたことがありますか。カタカナ英語ですが、誰も笑ったりはしません。大江健三郎のノーベル賞スピーチはカタカナ仏語でしたが、人々が注目したのはその内容であって発音ではなかった。佐藤優に至っては、ロシア語は外務省に入ってから学んだのです。人間が尊敬されるのは、優れた人間性や深い洞察力ゆえなのです。便利な道具やロボットを尊重したいのならば、人間としてのあなたはもはや必要ありません。

 算命学余話#U100では局法のうち四種類を紹介しましたが、今回は上述の話と関連して、土剋水、つまり金銭が知恵を曇らす仕組みを表す二種類の局法について考えてみます。

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