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『百年の孤独』とマジック・リアリズム

 ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』が文庫本になったことが出版関係者の間で話題になっているのは知っていたが、宇宙人がこの作品を数年前に初めて読んだ時の感想は「なるほど世間が名作と認めるのは頷ける。しかし私の好みではない」というものだった。なぜかというと、数代に亘って大勢の登場人物が出てくる割には、魅力的な人物は一人も出て来なかったからだ。いや多くの読者は「あの人物は魅力的じゃないか」と例を挙げるかもしれない。ドストエフスキーやブルガーコフが好みの宇宙人にとっては魅力的に映らなかったというだけである。単に好みの問題。
 それともう一つ、独特の誇張表現が今でも頭に残っているのだが、それも当時はどういう意図でこういう表現にしているのか判らなかったので、モヤモヤ感が拭えなかった、南米文学というのに馴染みがなかったせいだが、最近になって謎が解けた。南米文学を解説する講義を聞いたのだ。
 それは一般に「マジック・リアリズム」と呼ばれる手法だという。例えば「村には二年間雨が降り続けた」や、一番引き合いに出されるのは「小町娘レメディオスが昇天する」シーンだが、宇宙人はまともに受け取って「二年間も雨が降り続いたら村は腐って物理的に廃村になるだろうに」とか、「美しい娘はその聖性のあまり、かぐや姫のように天に帰るのだというお約束事が南米にはあるのかな」とか思って釈然としなかった。

 しかし講義によると、この二年間の雨は「二年間続いた不毛な国内紛争」という実話の暗喩であり、美しい娘レメディオスの昇天は「本当は男と駆け落ちしたのだが、厳格なキリスト教徒の家庭ではそれは身内の恥になるので、娘と家の名誉を守るために昇天したと言いふらした」ということだった。なるほど納得。そしてこうした誇張表現によって本意を巧みに隠しつつ暗示する手法を、マジック・リアリズムと呼ぶ。ガルシア=マルケス自身が呼んだわけではないが、後進の作家たちがこの手法を好んで取り入れたため、後世の文学界ではそのように呼称している。へえ、そうなんだ。
 宇宙人が好むドストエフスキーの『悪霊』に出てくるスタヴローギン(貴族の子弟)などは、精神錯乱の疑いで鉄格子の嵌まった独房に閉じ込められるのだが、狂人を装ったのか本当に錯乱していたのか判別不能な怪力を発揮して、素手で鉄格子をこじ開けて脱走したというくだりがあり、小説なんだからフィクションと割り切ればいいものを、ロシアにはこの種の常軌を逸した人物は大いにあり得るので多分誇張表現ではないな、という読み方を強いられる。(だって戦前の満州には、素手でアムールトラを生捕りにして日本人の経営する動物園に売りに来るロシア人兄弟が実在したのだよ。猟銃で撃ったら傷がついて値が下がるから素手でやるのだ。史実なのだ。それを考えれば鉄格子くらいちょろいものだ。)その読み方習慣のせいで、レメディオスも本当に昇天したのかとずっと思っていたよ。なんだ、存外俗っぽい話だったのだな。恐らくこの俗っぽい雰囲気も、宇宙人が『百年の孤独』を好まなかった理由であるらしい。

 さて宇宙人がかように感銘を受けなかった『百年の孤独』が世界文学として確固たる地位を築いたのは、この作品が幻想小説を装った歴史小説だからであり、その歴史とは、植民地独立直後から長年に亘って現地の人々を苦しめた南米の内戦の歴史であった。それを小説という形で語るということが永らくできなかったのを、ガルシア=マルケスがやってのけたので、当地の読者は文化人から市民まで「よくぞ言ってくれました!」という感慨に包まれたらしい。よくぞ自分達のことを書いてくれたと。
 行ったこともない外国の人間がその土地特有の文化事情で苦悩する様を描いた海外小説に容易に共感できないのは、なにも南米人の読者に限ったことではない。日本だって、ひと昔前の国語の教科書には標準語を話す、東京と思しき土地に暮らす主人公の話ばかりが掲載され、地方の子供にとっては知らない土地の話なのでつまらなくて、結果国語が嫌いになってしまったという現象があった。それで急に地方色豊かな昔話などを取り入れ始めたら、今度は方言を理解できない子供達に不評になったという。まあ仕方ないよね。でも南米の読者もこういう気分だったようだ。自分達の言うに言われぬ苦悩や痛みや哀楽について語ってくれる小説だから、強い共感を呼んで注目されたのだ。
 講義によれば、その後南米では似たようなテーマと手法の作品が多くの作家たちによって世に出され、一つの文学群を形成しているという。そしてマジック・リアリズムの手法はその後世界に波及し、身近な所では日本の村上春樹、そこから更に派生して韓国文学などにまで及んでいるという。そうだったのか。宇宙人は村上春樹を好まないし、韓国の価値観にもあまり共感しないのだが、どうやらマジック・リアリズムとの相性の悪さはその表れであるようだ。そういやマジック自体も好きではないな。手品とか全然興味ないし、手先の技術はすごいと思うが、エンタメとしての感動には至らない。
 え、それで結局『百年の孤独』はどうなのか? 秋の夜長に読むにはお勧めしますよ。世界の名著だし。でも宇宙人はロシアの現代SF小説『サハリン島』を読んで秋を過ごすよ。明らかなフィクションなのに凄まじいリアリズムを感じるよ。マジックなんかどこにもない本物の地獄が、二段組み400ページに亘って延々描かれているよ。助けてくれなのだ。

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