8月26日

泊まりに来てた友人と話してて、おたくをやる上で推しに売れてほしいという感情、自分、皆無だなーと思って。だってグッズもチケットも手に入りにくくなるし大味な企画が多くなるしコンサートに行けば距離だって遠いわけだし、自分にとってなんも利がなくない?と思う。売れたら推し本人はうれしいだろうって言ってもさ、昔のスター様が東京ドームのコンサート前に嫌すぎてトイレでしくしく泣いてたみたいなエピソード聞くと、売れてうれしいのって別に担がれてる御輿本人じゃないんじゃないの、とか思うことあるし。
推しが売れたらうれしい派の友人は、売れたらうれしいの正体について「権威主義的」と称したのでそれは正しいかもと思った。ブランド品が好きなのと同じ。で、そう言われると私って徹底的な実利主義なのかも……という気付きがあった。質が良いものには納得して金を払えるけど、それと名前は関係ないなと思ってるし。だからちいこ紙とかアクリルとかいらないし、プラスチックの円盤なんかもっといらんし。
いやもちろんそこに乗ってる文脈を理解できないわけじゃないですよ。推しの絵や写真が印刷されてるちいこ紙はただの紙じゃないことはもちろんわかってるけど、その文脈に自分を組み込めないっていうはなし。大量生産されたアクリルに印刷された推しと私の間に、思い入れられるほどの物語は作れないなー。

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