なんでも人に聞く人の気持ちを頑張って想像してみる
友人との会話の一部。「わからないことがあった時、どうするか」
自分は、ギリギリまで自分で調べてしまう。持っている情報を舐めるように確認し、それでもわからないという状態にならないと人に聞く、という段階に移行することができない。
白状するとGoogle先生にはかなりすぐ聞きまくる。そこにPCやスマホがあるから不可避、なのだ。が、それでも多分、ヒットした記事を全部とはいかないまでもかなりの数を見る。ひとつの記事だけで安心できない。要は疑り深いのか、他人に頼るのが下手なのか、自分のプライドによるものなのか、わからないが、自分の手で出来る限り調べ尽くさないと気が済まないタイプなのは自覚している。
しかし、世の中には、わたしとは真反対に、「すぐ人に何でも聞く」タイプの人間が存在する。「それ、こないだ貰った説明書に書いてあったじゃないか・・・」「昨日その話出たよね?」という言葉をぐっと飲みこむこともしばしば。
いや、「わからないことを聞く」、これ自体はむしろ良い事だと思う。頻度や質問の質が気になるのだと思う。少しは「自分でどうにかする」的な気概を持つべきではないのか、と考えるのはわたしがオバさんになってきたからなのか。
こういう面倒くさい人間にとって、SNSというものは非常に便利だ。SNSでは表情は伝わらない。文字さえ聖母マリアってれば良い。何度も同じ事を聞いてくるひとにはもしかしたら聖母マリアってる返答をコピペで返信してもありがたがられるのかもしれない。(や、もう、そうなったらチャットボットでいいじゃないか、ね。)
そんな意地悪な事を言ってみたものの、そういう「なんでもすぐ人に聞く人」に「たまには自分で調べろ」と冷たく言い放っても、彼らは調べる事に慣れていないから、その調査結果をわたしみたいな「調べ魔タイプの人」が信用することは殆ど考えられない。その結果、結局「なんでもすぐ人に聞く人」が「調べ魔タイプの人」にすぐ聞くのは、理に適ってるとも考えられる。
つまり、自分の調べ魔気質が、周りの「なんでもすぐ聞く人」を呼んでいる可能性もある、ということになる。お互いがお互いの属性を先鋭化しているのかもしれないとさえ思う。
ということは、自分より「調べ魔タイプ」の人間に出会ったときには、自分は「すぐその人になんでも聞く」人間になれるのかもしれない。
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