制限のある自由について
制限のある自由が私は好きです。
たとえばnoteも、フォーマットが決まっていて自由度が低いからつまらなく感じてしまうという意見を以前聞いたことがあって、
そのときは私も、言われてみればそうかも?と思ったものの、私はnoteにストレスを感じていないのはなんでだろう?と考えたところ、
私にはこの自由度が低い、制限のあるところがむしろ肌に合ってるんだな、と思いました。
私が中高生の頃すごく好きだったテレビCMの世界も、15秒か30秒という枠の中で勝負しているところがかっこいいなといつも思っていたし、制限があるからこそアイディアやクリエイティブがシャープになって、強く美しいものが生まれるんだろうなと、子どもながら考えていました。
私がずっと携わっていた雑誌の世界も同様で、総ページ数や1ページあたりの面積があらかじめ決まっているため、その中でできることや込められることを取捨選択して作るスタイルが、私には合っていたんだと感じます。
インスタグラムの投稿にURLのリンクが貼れないところも、不便に感じることももちろんあるけれど、リンクが貼れない不自由さによって宣伝色の強い世界になることを回避しているのではないか?とどこかで読んでから納得しました。
好きにしていいよ、という何も縛りのない状態は、一見優しく見えるけれど私にはとても難しくて、
私は少し不自由のある、どうにもできない制限の中で生まれたものにこそ美しさを感じます。
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