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note始めて3日、あからさまな変化あり

こんにちは、名前を非力のかたまりからお肉のかたまりに変更させていただきました、改めましてお肉のかたまりです。よろしくお願いします。
なぜ名前を変えたかというのもタイトルにある変化と関係しています。

変化のきざし

note始めて間もないので、自分の書いた記事は何度も見直したり、他の方の記事を読んだりと、ここのところ文章を通して考える時間が増えた。文豪多しなnoteのなかでは投稿に不安もあるし、拙い文章でうぉぉぉって恥ずかしくなったりもする。でも楽しい。まず先にそれ。今はほかの人のド直球な意見を知って、刺激を受けながら自分の中に目を向けている。
深く考えることは日常を切り取った感じのfacebookには無かったし、視覚的に訴えてくるインスタにも無かったし、情報収集には便利すぎるけど断片的なtwitterともまた違う。一人の人がどんな意見をもってどう伝えているのか、そういうのを追えるのがとても楽しい。温度とともに人を知っていく感じ。そして伝え方がみんなうまーい。神様。

自分の無能さを思い知るときに前に踏み出せる

私は春からネガティブになっていた。自営を始めたけど思うように営業できない。誰も自分のところになんて来ないんじゃないか。このまま孤独なのだろうか。嘲笑されているだろうか。
コロナの影響も多少あるが、なくても同じように考えていたはず。私はコロナでむしろ救われていたのかもしれない。逃げ口上があるんだから。
とにかくnoteはネガティブスタート。これじゃいけないと思いながら何か行動したいと思ってnoteを始めた。誰かに聞いてもらいたい、聞いてもらえなくても、形としてそっと置いておきたいと思って。

書く時にとても残念なことに気付いた。あ、2000字書いたの学生の頃のレポートぶり、と。お恥ずかしながら、最近は全く自分の意見を持っていなかった。小論文とかは書いてる。でもそれって、ほぼ型と正解があって、ここを一般論でまとめてちょっと反論書いて、さらにひっくり返せば、それっぽい!!と最短をくぐってきた。「解答」として。内容はすべて借り物だった。浅はか!だめだよそんなんじゃ!

たまたま解決策を考えていたのがSEO対策だったことがまた不思議。発信したいことをどう深めるか、系統づけて提供できるか。小手先でなく、自分の持ち味と魅力を土台にプレゼンしていかないといけない。それを実感したとき頭を殴られたみたいだった。私自身の浅はかさを人に曝け出すしか道はないのだ。

こういう気持ちは今までも何度か経験した覚えがある。すごい出来る奴がいる前で研究授業をしたとき、今の業種ではない教室をつくったとき、未熟だった私は度々身悶えしてきた。でもその後には違う景色も見えた。やって良かった。そのときもらった厳しい意見も全部宝物だ。

今も同じ。知ってもらうためには自分の価値を高めなければならない。そしてそれは自分の頭の中を人にさらけ出すことでしか達成されない。
最低ラインに落ちた時、やらなくちゃというポジティブさが帰ってきた。
noteは自分を奮い立たせてくれた。

アウトプットするには前向きにならざるを得ない

どうせ自分の文章なんて誰も読んでくれないよ、と思っていたら書けない。
どうせ馬鹿なやつって思われるだけだよ、と思っていたら投稿できない。
「どうせこうなる」は自分を殺すだけだった。私はネガティブに支配されて「しなくていい」の楽な道を選びたがっていた。
恥ずかしいけど、育児でごちゃごちゃな5年ほどを過ごしていた中で私は全然崖っぷちには立っていなかった。言い訳だけど、崖っぷちにたっていたら子ども守れなかったかもしれない。
まぁそれはこれから挽回していけばいい。
noteはとても適したリハビリになった。

勇気を出して、自分の伝えたいことを書いていこうと思う。
そしたらもう、自分のこと「非力」と言ってはいけないような気がした。誰かに言われるのは全然構わない。でも自分では言っちゃだめだ。ちゃんと持ってる資源を使う努力をしないと。

だから私はもう非力のかたまりではない。「お肉のかたまり」になった。

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