創作と承認欲求についての殴り書きメモ

一ヶ月に一回は承認欲求をこじらせてめんどくさい人間になってしまう。
慰めの言葉を聞いても嘘臭く、褒められても
小説のことだけを褒めやがってと悪態をつきたくなり、じゃあお前はダメだよとなじられれば引きこもりたくなり、誰も反応しなければ孤独だ孤独だといい、非常にめんどくさい。自分でも思う。
そうなる原因をまとめて、どう開き直るか模索するために書き残しておく。
と思ったが、やはり全て整理して書くのはとても難しいらしい。胸の内を語るのはちょっとやそっとじゃできないことのようだ。

思えば僕は僕自身に対して何者かでありたいという欲求を字書きに求めているのだろうと思う。
しかし、心の裏側では字書きとしてのアイデンティティなんてどうでもいい。
そんなこと気にしなくても、小説楽しいだろうと、思っている部分もある。
ただ、仕事や生活に疲れて独りになった時間にアイデンティティの無さのおぼつかなさが
心を支配する。できることなら、真夜中の深い川に身投げして命を投げ出したくなる。
そのときに、どうしても小説でさえ突出するような何者かになれなかったななどと思ってしまうのだ。悲しい。自分の思考が悲しくてたまらなくなる。この思考をどうにか脱したくなる。
「小説良かったです!」「癒されました。」「抜きました!」と言われるのは非常に嬉しいし、励みになる上、「続きを書いてほしい」「続き楽しみにしてます…」と言われれば、頭の中に構想のみある状態で続き書きます~と言っていたし、実際書けると思っていた。自分自身のいつものスタイルで書けばいいと思っていたので。
だが、実際は「思ってたのと違う」と言われるのが頭の中に渦巻いて、全く書けなくなってしまう。その不快感から脱するために新しいシチュと性癖の短編執筆にハマり、だんだん記憶から抜けていく。
時間が過ぎて出しにくくなって、さらに時間が過ぎていく。負のスパイラル。
「みずのもとは駄目だ。口だけだ。」
と言われているような気分になる。
言っているのは自分自身なことが多い。
実際には読者は何も思ってないし、こいつ定期的に勝手に落ち込んでは勝手に復活するなあ…としか思ってないだろうと思う。

で、結局僕はどうすればいいのかと考えたところ、いつもの考え方になるのだが、「字書きのアイデンティティなんて多分一生到達しないのだから。
僕の、みずのもとの、上位互換なんて星の数ほど存在するのだから、こだわっても仕方がないのだ。他人の期待に応える前にやはり自分のことを自分で癒すほうを真っ先に考えなさい。」と、自分に言い聞かせることになる。目標の否定。恐らく字書きとしての地位?を手に入れたところですぐ追い抜かれて手からこぼれ落ちると考えると無茶苦茶どうでもよくなるのだ。どうでもよくなるのに、
あわよくば欲しいというのはアンビバレントな感情。もうどっちかにしてほしい。死にたくなるので。

おそらく、創作から一旦離れればいいという意見もありそうだが、創作以外に鬱屈を発散できる場所がないので、日常が戦場である限りは離れるという選択肢もほぼない。

振り返ってみるとかなり支離滅裂な文章だと思う。順番に説明したいところだが、出来ない。
こういう自分の思いを言語化できないから、
履歴書の文章が不得意なのかもしれない。
見直して整理できるかなと思っていても
多分一生整理しない。
したい。できるように努力しよう。
という繰り返しが良いか悪いかは分からないが、考えるしかないのだろうと思う。

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