ハリーポッター映画版本編全部視聴感想
※個人の感想です。
2023年から組み分け帽子のことが気になったので映画版アズカバンの囚人から観れていなかったストーリーをアマプラで視聴しておりました。
※本編後の感想なのでネタバレ注意。
誰にも肩を持つわけではないのですが、組み分け帽子がハリーをスリザリンにすれば(※ハリーのスリザリン要素がイレギュラーとはいえ)トム・リドルを超 える可能性とグリフィンドールでのハリーの活躍が スリザリンも求める可能性が充分ありましたし、トム・リドルの反省も込めて四寮の意見を持つからこそ悔しかったのかもしれません。
ただあのままだったらトム・リドルの二の舞になっていたかもしれないとは思ってしまう。
ハーマイオニー、ロン・ウィーズリー達や良くも悪くも壁となっていたセブルス・スネイプ先生のようななるべく特別扱いをしない存在がいたからハリーポッターは実力を身につけられた。
組み分け帽子の話になりますがイレギュラーも含めてハリーをスリザリンに入れたかったのが歴史の闇と人間らしさを感じるのがなんとも。
こればかりは失礼かもしれませんがピーター・ペティグリーさんは個人的にスリザリンやレイブンクロー、ハッフルパフっぽくない。
グリフィンドールの負の側面かつ良くも悪くも等身大の人間だった。
グリフィンドールでほぼ下に見られていて、自分より力のあるものに崇拝しやすいが崇拝者のために使う勇気は悪い意味で怖い。
寮関係なく誰かに利用される未来が避けられず同情の余地がないのがヴォルデモートにすら疎まれている感じが生々しい。
アンブリッジと共に美化されていたり実はいい人だとか別の道があったかもしれないとは示唆はされているらしいですがそれはトム・リドルにも言えることで・・・。
ダンブルドア校長は出来た方でトム・リドルの才覚をホグワーツを居場所として発揮できないかシンプルに彼を人としてみていたはずが段々歯車が狂ってしまい物語が始まった。
シンプルにトム・リドルが優秀すぎた。
孤独の善し悪しがどうという話ではなく、周囲の期 待も敵も多くて本編のような出来事が起きたのは対等な関係が出来なかった悲しさはハリーを巡る仲間達の物語とは対照的。
ハリーにとっては嫌な人でもブレーキ役であったセ ブルス・スネイプ先生の愛憎と葛藤による功績を観て「何でも持っていることが首を絞めることもあり、何もなくても進めることはあるのかな。」と考えられるようになりました。
結果論も多すぎるから参考にはならないのは物語だからツッコミません。
・トム・リドルは「ゼロから全部一人でやらざるを得なかったから下駄を履かせてもらった記憶がない」
・ハリーは「0や1から挫けた時も良かった時の思い出も大切にしているかもしれない」かもしれなくて、ロン達やマルフォイやセブルス・スネイプ先生のような出会いがなかったらトムのような過ちを繰り返していた可能性はあった。
一見壮大な世界で制限のある人生で多種多様な人間や種族や動植物と少年時代から過ごしたことをただの想い出にしなかったハリー達は応援したくなります。
映画版を観てよかったけれど役者さん達が演じてく ださったキャラは原作と見た目も描写もだいぶ違うらしいので原作をしっかり読んでみたい。
長さに圧倒されてしまうけれどKindleだと英語版しかなかったりで検索能力に手こずる。
ダレン・シャンとデルトラクエストもハリーポッターに挫折したからハマったっけ。
もうほぼ覚えていない。
また読みたい作品が増えたのでやっぱり映像って素晴らしい。
PS.
プラス思考すぎて騎士道精神がある気風のグリフィンドールと厳格かつ手段を選ばない選択肢も取って しまうスリザリンの気風は対等な瞬間があっても長続きしそうなビジョンがない。
両者とも譲ってくれそうにない。
レイブンクローも「俺(私)なら入れる」って感想をよく見た事がありますが
・ずば抜けて変わってる。
・近くのことが分かりにくいから自分達だけだと諍いも多いけれど客観性はあるので納得できないことがあるのなら他寮とも協力を結べる発展性と寛容さがある。
・知性、賢さ、勉学意欲がある。
マクゴナガル先生やハーマイオニーが組み分け困難者になっている事実が忘れられがちなのもレイブンクローらしいというか。
ことが協調性のなさや劇中キャラの少なさで誤解されている気がします。
その辺りは優遇されているハッフルパフでも共通点はあるのでグリフィンドールとスリザリンの物語に なってしまうハリーポッター世界では必然的に影が 薄くなるのは仕方がないとレイブンクローとハッフルパフの存在に安堵する私のマニアックな感想でした。
原作を読んでないと分からないことばかりなので原語と日本語も読破目標を設けます。
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