エンタメって難しい
自分である程度作品を書いてみたり、noteに何かを投稿する時に気が付きました。
『エンタメって難しい!』
私がリアリティ路線を好むきっかけ。
だいぶ昔の頃は
『明るいやつ以外クソ』
『陽キャ最高!』
と最高に陰湿な上辺だけ体育会系の連中が提唱するノリが苦手でした。
今は相手によって自衛する為に使い分けているかどうかは伝わってくるので無視していますが。
逆に
『将来なんて誰もどうなるか分からないのにあんたらは勝手に都合の良い未来を決めつけてそう。』
とカウンターしたくなる。
そういう付き合いを強制されるのが嫌だから粛々と出来ることをやっているわけですが。
けれどあの人達の発言も一理あって
『薄暗くてグロい話が果たして深くて物語として最良なのか?』
という題の答えの一つでもあるかもしれません。
つまり自分の思う通りに話が作ることも難しいのに、相手の要求に完全に答えるのは不可能かもしれません。
そんな情けない事を言いたいのではなく、簡単に言えば家庭料理も同じ味を出すことは不可能じゃないですか?
だから飽きない。
プライオリティとクオリティはイコールというわけではなくて、
『それを書いて欲しかった。』
や
『そういう話を聞きたかった。』
という発見が無いと自分のエンタメがよくあるエンタメになってしまうなぁと考える。
ただ、物事には限度があるのでクオリティだけが全ての時代ではとっくになく、かと言って必要のない攻撃的な描写は今も昔も受けてるわけではない。
女王の教室を観ているとその辺り、制作陣は苦労していたのが伝わってくる。
阿久津真矢を最終的にどういう教師に描くつもりだったかは今も分かりませんが神田和美の
『私はどっちだっていい。』
というセリフが想像の余地があってプロって凄いなあと改めて感動しました。
その後の家政婦のミタや純と愛、弥生、三月を観ていると結末を描くのが難しいテーマである上にハッピーとは遥かに縁遠い (※良い意味で)というのも少しずつ伝わってきているので。
『長いクールを観て最後はバッドでした。』
という作品に対して賛の評価は付きにくい。
ただ!
私の場合は
『誰かの目線で結末を押し付けられてその通りに動かされるなんて生きていると言えるの?』
というテーマに対してどう答えを出していくのかを悩んでいるわけです。
人間は弱い生き物であり、差程頭だって良くは無い。
制限が多く、追い詰められた時にろくな夢しか見ることが出来ず人間も他動植物や無機物などを傷付けながら
『自分だけは万能だ。』
だなどといつまでも宣う醜くて哀れで惨めで、それでいて欲だらけだが改善しようと現実の中でもがき苦しむ人生を孤独や不公平と戦いながら多方向を見ようと考え動く生命体であるから憎めない。
けれど!
それをどうにか万人向けに出来ないか葛藤する日々も大事だと気が付いた。
エンタメを学ぶか?
サスペンス的要素として現代にメスを入れるのか?
または第三、第四の選択紙を見つけるか?
こう考えていると自分に出来ることは結構あるのかもしれません。
やっと選択肢の多さという大事さを実感したのだから、時に悩み、また何かをする事の繰り返しに見いだせる発見を綴りたいと思います。
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