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誰も歩きたくない道を歩いているのかもしれない

※個人の感想です。

今までの記事を振り返って押し問答を続けているからこそ「自分はこう思う」気持ちを記事にします。

  パンクって他者からすれば『誰も歩きたくないマイノリティの道』

の一つとして捉えているのか?
そう考える事が増えました。

(※タイヤに穴が空く方ではない)パンクとは?
以下引用。

一九七〇年代に流行した、攻撃的で強烈な服装・髪型・音楽などのスタイル。
 「―ロック」

Oxford Languages


  安易にパンクを理解したいと言いたくないから自分の仮説をお伝えします。

  優等生にもなれず、落ちこぼれとも言えず、通常のやり取りさえ人間関係が不得意な自分は憎しみ以外何が残る?

  特に愛着がない家庭や奴隷体質からどうしても降りたくて生きていた。

  ある人を信じて辛い出来事を乗り越えた先は月給一万未満のバイト。

  それから私は誰も信じられなくなるロードへと向かっていた。

  敢えて言葉にはしなかったが許せない人間が増えていくだけでした。

  それだけ打ちのめされ、五年前に自分はミソシタさんの曲である、

地下二階のレジスタンス」に出会ってまたリピートしている。

  初めてVtuberのCDを買った記憶と共に「このままくたばりたくねえ!」
と恨みがあったとしても何か力に変えられないか?
或いはそう考えているから拗れたのか?

  葛藤は続いた。

  パンクな世界は他の方の話を聞いていると『私は。人の嫌がることを進んでやるの。』
の極みだ。

  だからカッコイイ。
その世界は現実的でもないし、理想的でもない。
淡々とした現実に淡い希望をそっと背中を押すのではなく見守るように佇んでいる。

  見たくもなかった事を知る生きづらさのスタートでもあったのかもしれない。
それでも

「かっこ悪いと後ろ指を刺されながらも他者を縛らない渋さ」

  簡単に言葉では出来ない世界観が

「自分は狭い中で生きているだけなのかもしれない。」

と少しずつ実感のスタートが始まる。

  そして、パンクは決して嘲笑うことはない。
もしかしたら側で佇んでいる誰かも嘲笑われて生きているかもしれないから。

  逃げたいからパンクなのかもしれない。

  ずっと憧れから抜けられていないといつも悩む。

  けれど、私はパンクをまだ少しも知らないのかもしれない。
逆に型にハマっている可能性もある。

  奥深いだけでなく引き出しが広いからパンクがいい。
それはインターネットや文学、仕事や趣味には無いのかもしれない。

  ここまで書いてみて、「そもそも好みと決め付けを分けられていないなあ…」
と不安にもなる。

  生き切るまで時間はない。
なら、充分だなと諦められる強さが自分には必要もしれない。

  例えダサくても記録は続ける。

  この不条理から降りられるかもしれない。
淡くても色があるのなら…救われる為ではない形で信じていきたい。

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