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あいはゲンキですによろしく

    作風の幅を広げようと何気なく外出。
   でも正直な話、そこまでガッツリインプレッションを稼ぐ目的で創作をやりたかったんじゃなくて、気楽にやるにも規制が厳しいから収益化しゅうえきか前提の作風を目指さざるを得なくなってから

「自分の好き」ってなんだろう?

   それは書店に行って今流行りの本を知るために権威の象徴ばかりみて読む気が失せること?

   ひょっこり入った銭湯のサウナで地上波にウェブ投稿から評価された誰かの作品を上から目線で強者から評価されること?

   交流のためといいながら自分の作品には敏感では他人には鈍感な作家気取りの人間から罵声ばせいを浴びせられること?

    そして好きなものを書いてじっくり上達することやもしかしたら劣化することも楽しもうと育てている最中に何度も「現実」を突きつけられて否定された世間の顔色を伺うこと?

    手段と目的を逆転させてまでここまで継続させてきたのに、モチベーションがないなかやり続けるのなら労働と変わらないじゃないか。

    正直ここまで疲れるとは思わなかった。
    だがそれらを経験して書いてきた自作品を見るとまた書き続けたり、振り返ったり、改善点を探す。
ひとりよがりだからこそ出来た表現も、今では誰かに読んでもらえるように少しずつ努力をしてる・・・はずなんだけれど反応が分からない。

    インターネットでの表現とそう出ない場での表現は分けているけれど、もう少し活動を広げるしかないか。
   テーマが行き当たりばったりなのかなあ。

    そんなに明るい作品が周りが好きなのか分からない。
    それともウェブ投稿も過渡期なのだろうか。

    それでも小説などを書くのは好きなのでまた悩み繰り返す。
    嘘でも愛は元気ですと伝えながら。
    それが辛いからnoteに書いているわけで。

                       

                    The・賽の河原。


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