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どこまでが自分自身の言語化なのだろう

※個人の感想です。

    自分が重視している要素を言語化することに疲れているということは、それが本当に伝えたい自分自身の言葉ではなく誰かの引用だったりするのだろうか。

    かがむと痛い臓器の痛みはまぎれもない自分自身の痛覚つうかく
    それなのに痛まなければ他人事のようになってしまう。

   ここ数年間でどれだけ泣けたのだろう。
   どれだけ笑えたのだろう。
   そして、いくつ信じられなかったのだろう。

    好きで間違ってしまった選択なのかなあ。
   とりつくろえない現実に今日もまた相手の前ではなかったふりして大地を歩む。

   いつもらいでいることの証拠に音楽プレイヤーの選曲が安定していない。

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