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「隠せない弱さ。それでも小さく歩いていく。」蝟集一同-それぞれが抱える形-:執筆感想
※「いしゅういちどう」と読みます。
難解になってしまって失礼。
タイトル選びが内容よりも難しいと改めて実感。
この物語を書いたのは三年前の秋です。
様々な事情で友人関係が消滅し、仕事も慣れなくて逃げ場がありませんでした。
「父性のある女性主人公。」
はポリコレ等関係なく昔から挑戦したかった題材で、
「自分がもしこのような環境だったら?」
そして「縛られず生きていくには? 」
ここが今読むと予想だにしなかったそきゅうポイントだったのかもしれません。
孤独も集団も対してダメージの量が変わらないのならどうしたらよいのか?
阿藤さんは自由そうなポジションなのに敢えて茨の道を歩み、無情な現実に立ち向かって彼氏への愛情を捨てずに生きているかるこそ、野邉さんの優柔不断さに姉を重ねてしまっていた…とも受け取れます。
それとも単に二番手が嫌だったから?
ある意味我儘な彼女が物語では主人公達をかき乱している気はします。
強そうに見えても、スキがなくても、思春期でもそうでなくても…本当は何処かで分かり合えないと現実を知りながら、彼彼女らは逞しさだけではない生き方を経験して行きそうではあります。
蝟集の意味を引用致します。
【蝟集】
《名・ス自》
一か所に群がり集まること。
寂しかったのかもしれません。
唯一の友を自分が病んで失ってしまったのだから。
物語でマイノリティを抱える一人一人の少年少女が一ヶ所に集まる理由や過程も描いて見てシンプルではない事情がフィクションを創っていて、投稿してそれほど経っていないのに完結させられたのは奇跡的です。
本当は未来に希望を持てる生き方を目指していて、それこそが自分の現実を当時は受け入れられなかったあの時の厳しさを思い出す。
やっぱり執筆…タイピングとも言えるのでしょうか?
止められないですね。
義務教育時代から植え付けられた
「得か損か?」
それらの方が役に立たない綺麗事。
そのような固定概念から抜け出したい。
蝟集一同のキャラクター達があがいてももがいて集まる過程を思い出していたら少し元気を貰えた気がします。
こういう助けられ方とか。
ほんの少しだけでよかった。
弱さとはついてまわるから。
否定も肯定も…いや、それすら塗られた固定概念かもしれません。
この生きづらさの継続を観察していると。
※最後までご拝読頂き誠にありがとうございます。
蝟集一同-それぞれが抱える形-感想でした。
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