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私は定時制に通っていた。
当時、いや現在もそうかもしれませんが不登校や中退生に厳しくて一度友と一緒に通っていた前学校を辞めて、定時制に受験し直しました。

そこで一緒に受験し、合格した友とは話すことは少なくなり、三年後に別の友が出来ました。

彼にとっては「同年代と青春が送れなかったからここでの生活は苦でしかない。」

と言っていた。
自分としては不登校を半年経験しただけで周りから助けてくれもしないのに後ろ指を指す地元の同年代にいつか報復するつもりで現在も経済的事情で、実家暮らしとはいえマニアック趣味を持つことで同年代に対しては威嚇し続けていた。

そんな中、定時制ではそれほど年齢が変わらないのに様々な生き辛さを抱えながらも、私のような根暗も友まではいかなくても受け入れてもらえて良くも悪くもかけがえの無い経験を出来たと捉えています。

ですが、上記の苦悩を自分に話してくれた彼の本音が現実の反応で自分が変わってるだけだとは自覚していたつもりでした。
だから出来るだけ彼と一緒に居ようと思っていました。
それも、考えの違いや自分が距離感を間違えた事もあって過去の記憶になります。

でも、彼がある子との恋愛について話してくれていた中で彼の胸の内で葛藤していた言葉を掻い摘んでお伝えしますが

「何で人から誰かを幸せにしろって言われなければいけないの?と思うじゃん?
その子にはその子の思いや境遇があって、幸せは一人一人違うのに!

そして、誰も助けてくれないという現実と無責任な人間の綺麗事の狭間で苦しんでいた一人の武道青年の嘆きは私の脳に今でも響いています。

私は彼に言えなかったけれど、団塊の身内や排他的な地元の同年代から腫れ物のように触られた私の恨みとは違うけれど似たような経験を、この学校で生活している内に彼は抱いていたという部分に対して、孤独を恐れる友である彼に当時の私は惹かれたのでしょう。

私が『幸せ』に疑問を抱くのはこの経験からかも知れません。

ま、それに関しては言及は避けます。

話を変えますが、

五年前に那須川天心選手の自伝やAbemaTVで、頂点を極める為に昼間定時制に通う時、絶望していた眼差しを今でも思い出します。
自分の経験でしたか語れないので間違いはあるかも知れませんが、良くも悪くもタイプに偏りがあるのが定時制の性質(※現在や今、一部は違いますが)明らかに那須川天心選手のタイプや生き様、境遇とは違う場で『学歴』の為の学習をせざるを得ない上、対等な友人が出来たかもしれない可能性が現在もあるらしいという御本人による言及もあって、彼の高校生活に対する姿勢はかつての友を彷彿とさせていました。
(※一時期あったSNSによる対立もそれで黙って目を瞑る事で対処。)

その一点に置いては他人事では無かった気もしたので、彼を始めキックボクサーに自分は改めてのめり込んだ記憶があります。

多分ギークの自分が言うのもアレなのですが、私は彼らの事や自分の認識の差と本来求めている人間関係に対する理想と現実のギャップにいつも苦しんでいます。

ONEPIECEやドラゴンボールを今でも好きでいられるのは世界観の表と裏との戦いに挟まれる仲間意識を感じるからだと思います。
その手の主人公が身内だけ助ける事を批難する方はいますが、自分を救う事も難しいという現実を踏まえるとそれも偉大な選択という別の見方が出来るかもしれないから。

けれど人間関係において私は

「自分ってすぐ決めつけてしまうなあ。」

と凹む毎日を送っています。

少し纏まらなくなりましたが、本当は誰も恨みたくないのが自分の本音でそれでも戦わなければならない現実と折り合いを付ける事に慣れてしまう過程の中、出逢って来た人達との思い出を忘れないように『彼』を始めとして学び過ごした経験を軽視しないよう、改めて肝に銘じて生きている。

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