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邪馬臺国は「朱の王国」だった@蒲池氏

「青玉真珠其山丹有
魏志倭人伝の有名な記述ですね。
邪馬臺国には丹(「朱」=硫化水銀)があった。とされています。
著者は「朱」から邪馬臺国の比定を目指しています。

しかし、結論から言うと、著者は邪馬臺国はここだ!と結論付けてはいません。

「朱」で見ると言う着眼点が素晴らしいと思いますが、昔からその地域(朱の産出地)では結構研究がなされていてそのまとめと言った感じです。


日本4大鉱床

4大鉱床と古代史

日本で水銀が多く産出した地域は大きく4箇所になります。それを4大鉱床と呼び、場所や特徴は下記になります。

大和鉱床群(奈良・三重) 一箇所集中
阿波鉱床群(四国 中央構造線、阿讃山脈) 国産み最初
九州南部鉱床群(大分・熊本・鹿児島)鉱床多い
九州西部鉱床群(佐賀・長崎)鉱床多い

とあり、古代史の重要地と「朱」産地が重なっています。

また邪馬臺国の有力地である奈良九州伊勢(伊勢神宮)、丹後は朱(硫化水銀)の産地だったことを教えてくれます。

現在邪馬臺国論争2トップの一角の奈良は日本最大の朱の産地
もう一角の九州だとどこからも満遍なく調達でき大陸への輸出が容易で交易しやすいとしています。

奈良の火山活動

世界的「朱」産地 日本

日本の「朱」は基本的に古代に掘り尽くしていたようです。
しかし、技術革新や掘り返してみたところ第2次世界大戦当時は世界7位だったようです。

資源の少ない国と言われていますが、火山国としての面目躍如と言ったところでしょうか。

しかし、水俣病の関係などで産出が増えることはないでしょう。

伊都国東遷説

「朱」鉱床と「イト」

自身が丹生氏であり、丹生津姫神社の宮司をされていた丹生廣良さんの言葉です。

伊都国の王族は一部は豊前の丹生郷に行き、第2の故郷とした。
主流は畿内へ東遷して紀伊の丹生氏となり、移住地が伊都郡である。

邪馬臺国は「朱の王国」だった

伊都国東遷に関してはまだ書いておりませんが、鍛冶将一先生や先日紹介した播田先生が述べています。

伊都郡には高野山があり、高野山に丹生明神が祀られている。
真言密教では丹生津姫信仰がある。
真言密教の神秘的な医療や化学は朱・水銀とも関係あるとされている

共通する「イト
東洋一の水銀鉱山は北海道の「イトムカ鉱山」
魏志倭人伝の「伊都」国
高野山と丹生津姫神社の「伊都」郡

※スロベニアの世界遺産登録されている水銀鉱山は「イドリア」

歴史書で見る「朱」

・魏
魏の領有地は中国東北部なので「朱」の産地がない。
⇨日本に「朱」を求める動機があったので張政は報告し、陳寿は記録を残した。

・神武天皇
神武東征ルートは「金山・朱」産地と重なる

朱の鉱脈を探し、採掘しながら移動したから18年もかかったのではないか。
そして「朱」を輸出することで途方もない財力を手に入れて奈良盆地を支配したのではないか。
事実、神武天皇は武力を使っていない。

・神功皇后
ニホツ姫から赤土をもらい、船と鎧を赤くそめた。
船に朱を塗るのは腐敗防止のため。
その後新羅に渡るが、戦闘をした記述がないのは不可解。
(日本側にも朝鮮側にもない)
そして、戦利品だけやけにくわしい。

出産を遅らせるために石を腹に当てていた。
⇨その石が朱石。
その石がある鎮懐石八幡宮は糸島市(伊都国)にある。

おそらく、神功皇后も神武天皇同様戦わずに朱の輸出をしていた。

新羅侵攻前に滞在した豊浦宮は阿川鉱山がある。

・宇佐
神武も神功皇后も寄っている。
ここも鉱山あり。

・八幡信仰で朱の産地「丹生」を「たんじょう」と読む箇所がある。
それは神功皇后が赤ちゃんを産む「誕生」と朱の採掘を掛け合わせたものではないかと言う著者の意見。
すなわち、八幡信仰は「朱」信仰ではないか

・「土蜘蛛」とは既存の朱の採掘集団

「血」血原など 
「入」入部など
「丹」丹原など
上記の漢字のつく土地は「朱」の産地の可能性が高い。

土蜘蛛が出る場所は「朱」の産地ばかり。
※朱の出ない出雲は土蜘蛛が出ない。

何度も土蜘蛛成敗が行われるのは技術革新等での再活用の意味。

・ヤマトタケル伝説と草薙剣

朱の鉱床であるかどうか調べるためには草を刈ったり火をつけたりして、地表を見ないといけない。
それが草薙剣であり、火打ち石(やまとたけるが祖母にもらったもの)

そしてヤマトタケルは「脚が三重に折れた」と言う伝説があるがそれは水銀の影響を表している。

・天智天皇の相続地

忍坂(神武天皇の話でも出てくるが土蜘蛛の拠点)
入部(丹生=にゅう)

・アメノヒボコ
アメノヒボコが追いかけた赤玉は「朱」の話では?

「朱」バブル

前方後円墳は国家予算の1/3

ゼネコン大林組の試算で仁徳陵古墳は800億円(1985年当時)と推定されたそうです。

当時の国家予算は「世界経済2000年史」アンガスマディソン氏の資料を参考に20億ドル(農業生産)とする。
レートを1ドル=100円とすると、国家予算の1/3以上必要となります。
そうなった時にお金が必要です。

ヤマト国家の金策

そこで著者が考えた2つの金策が
1「朱」の輸出
あくまでアンガスマディソンの資料は農業生産によるもの。
朱を輸出することで対価を得ていた。

2 傭兵ビジネス
朝鮮半島は争乱期だったため、傭兵として兵を派遣し、技術や文物、金銭を得ていた。

しかし、「朱」の採掘が枯渇などで終わったり、朝鮮半島を新羅が統一したりで長く続かなかった可能性が高い。
纏向はすぐに消え、仁徳陵古墳のあと前方後円墳の製造が終わっている

東大寺の水取り

お水取りとは名前に反して火を使う祭り。
創建の2年前から現在まで断続的に続いている。

おそらくアマルガム(水銀と金の化合物)を熱して、水銀を取り除き金を大仏に吹き付けていたことの由来する。
水銀取り⇨水取り

東大寺の大仏作成に宇佐、鯖江や小浜からの「水銀」の提供があった。
そして鯖街道を通っている。
東大寺関連には鯖の逸話が多い。
(詳しくは本を)
解明できていない。

東大寺 お水取りるーと

ちなみにお水取りの道は「継体天皇」の伝承地とも重なる

伊勢神宮はなぜ伊勢にある

2番目の「朱」産地だった伊勢

伊勢神宮は中央構造線上(地形の影響大)
伊勢は全国2番目の朱の産地だった

伊勢神宮の立地

外宮の祀神が豊受大神の理由

「丹」波王国も「朱」の産地だった。
丹波王国の採掘集団が伊勢にやってきたのではないか?

※丹後地方には最大級の前方後円墳あり
 日本海交易により経済力や鉄の分布も多い。

豊受大神がアマテラスの住居を探す旅も鉱床を探すのに似ている。

不弥国~投馬国~邪馬臺国が「日」な理由

魏志倭人伝において最初は「里」を使用し、距離を伝えていたが日本に上陸してからは「日」に変わっている。そしてやたらと日数がかかっている。
筆者の推測ではおそらく、鉱床を調べていたからではないか?とのこと。
調べた結果が冒頭の「其山丹有」と言う報告につながる。
魏としても大事なところなのできちんと調べ、それを報告したとする。

メモ

朱はマンガンと一緒に出る。
水銀そのものも出ることも。

金山でも出る。原子番号は1つちがい。

愛媛の「朱」産地

①「丹」原・壬生(丹生)川
 ここは実際に出ていた記録あり
②豊受山(豊受大神を祀る神社あり)と「赤」星山
 名前的に間違いないかな
 近くに金生川、金砂湖、金見山という地名あり。
 新居浜市別子銅山もある。金の産出もあった。
 「金」と「水銀」は原子番号で1番違いなので濃厚。
 
 伊勢鉱床群との配置が同じ
 伊勢:豊受神社(外宮) −  伊勢神宮(内宮) −   中央構造線
 赤星:豊受神社(豊受山)−   赤星山 − 中央構造線 

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