日清戦争はなぜ起きたのか?
先日、本屋にて
この本を見ました(表紙と目次だけ)。
そしてなぜ日清戦争って起こったんだっけ、、、となったときに答えが出てこなかったです。そして少し勉強しました。
日清戦争は植民地獲得戦争?
日清戦争のスタートはよくわからない。
歴史の授業では「東学党の乱」が朝鮮で発生。それを鎮圧するために日本と清が動いた。
そしてその両国が武力衝突をしたという曖昧な表現で教えられる。
その日清戦争に関して司馬遼太郎は以下のように書いている。
なるほど。
司馬遼太郎曰くそもそも二元論で語るのがおかしいと。
歴史はもっと複雑だよ。ということですね。
そして個人的な違和感として後者のあくまで日本を擁護する目線の立場からみたとしてもである、、、
朝鮮の世論を日清の勢力を均衡にしたいというのはわかる。
だけどそれを戦争でしてもいいのか?という疑問が湧いてくるのではないだろうか。
勝手に主権を持っている国の世論を変えるなんて、朝鮮からすれば余計なお世話なのではないのだろうか
※朝鮮は清国の属国なので主権はないかもしれないが
そして、私のこの意見を後押しすうるような話が井沢元彦氏の「逆説の日本史」に書かれていた。
不平等条約改正のための日清戦争
司馬遼太郎は歴史は複雑だと言った(勝手な事故解釈)
そして井沢元彦氏が日清戦争における複雑さをほぼ明かしてくれたのではないだろうか。
井沢元彦がいうにはイギリスとの不平等条約を改正するために日清戦争を起こしたというのだ。
当時は伊藤博文内閣である。彼はいうまでもなく維新志士である。
その維新志士が人生をかけてやろうとしたのが、幕府の置き土産である「不平等条約」の改正だったのだ。
しかし、当時の伊藤内閣は議会にそっぽを向かれていた。
議題を出しても通らない。そういう状態だったのだ。
イギリスが議会の国。議会の承認なしでは不平等条約は改正できない。
そこで出てきたのが「非常事態」をつくるということである。
非常事態であれば、議会の承認なしにお上の裁可でことは決まる。
コロナ等で非常事態の作り方をみてきましたが、130年前にも同じような考え方があったのですね。
そして名目上は「居留民保護」のため、朝鮮に出兵
そして軍事衝突。
ここで疑問なのは植民地獲得のための戦争だったという意見に対して、戦力分析が全くできていないのではないか?という点
特に海軍だ。
当時世界最強クラスであった清国の艦隊、なかでも李鴻章が手がけた北洋艦隊は最強部隊とされる。特に定遠は世界最強の艦船だった。
それに比べて日本はできたばかりの貧弱の海軍だった。
しかし奇跡的に勝ってしまった。
※15.4ノットしか出ない定遠に対し、日本の船は22ノット出たので定遠の砲台が当たらなかった、日本海軍は豆粒みたいな玉をひたすら当て続けて定遠を戦闘停止にまで追い込んだらしい
陸地では清国軍は朝鮮という地でモチベーションも上がらず仲間割れ。
そして日清戦争は日本の勝利という形で終わる。
そしてその間に天皇の裁可で不平等条約に向けて進み出したのである。
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