日清戦争はなぜ起きたのか?

先日、本屋にて

この本を見ました(表紙と目次だけ)。
そしてなぜ日清戦争って起こったんだっけ、、、となったときに答えが出てこなかったです。そして少し勉強しました。

日清戦争は植民地獲得戦争?

日清戦争のスタートはよくわからない。
歴史の授業では「東学党の乱」が朝鮮で発生。それを鎮圧するために日本と清が動いた。
そしてその両国が武力衝突をしたという曖昧な表現で教えられる。

その日清戦争に関して司馬遼太郎は以下のように書いている。

「日清戦争とは天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得運動である」という定義が、第2次世界大戦のあと、この国のいわゆる進歩学者
たちの間で相当の市民権をもって通用した。
あるいは
「朝鮮と中国に対し、長期に準備さされた天皇制国家の侵略政策の結末である」
とも言われる。
逆に日本を擁護するヒトは
「清国は長年朝鮮を属国視していた。さらに北方のロシアは、朝鮮に対して野心を示しつつあった。
日本は自国の安全という立場から朝鮮の中立を保ち、朝鮮における日清の勢力均衡をはかろうとした。
清国は朝鮮に対する宗主権に固執したために、日本は武力に訴えて見事に排除した。」
という意見もある。
前者にあっては日本はあくまで奸悪な、悪のみに宣言する犯罪者の姿であり、後者にあってはこれとは打って変わり英姿颯爽白馬にまたがる正義の騎士のようである。国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないというのは、今の歴史科学の抜き差しならぬ不自由さであり、その点のみから言えば歴史科学は近代精神をより少なくしかもっていないか、持とうに持ち得ない重要な欠陥が宿命としてあるように思える。

他の科学に善玉か悪玉かというような分け方はない。例えば水素は悪玉で酸素は善玉というような分け方はないであろう。そういうものが絶対にないという場所で初めて科学は成立するのだが、ある種の歴史科学の不幸は、むしろ逆に悪玉と善玉とをわける地点から成立していくというところにある。

(中略)

やがて日本は徳川家というただの一軒の家の権力を永久に守るために対外関係を切り捨て、鎖国をしたころ、ヨーロッパにあっては30年戦争が続いている。以後、日本は奇跡のような平和が続いたが、しかしヨーロッパはそのまま戦争の歴史であり、更には国府の増大のための植民地獲得の歴史である。この間、ヨーロッパではあらゆる方向に「人智」が発達した。例えば国家が君主の持ち物であるという性格が変質し、君主権が後退し、国民国家というものに変わっていく。とはいえあいかわらずの帝国主義は続くがそういう国家的利己主義も、国際法的にも思想的にも多くの制約を受けるようになり、いわばおとなの利己心というところまで老熟した時期、「明治日本」が仲間に入ってくるのである。

司馬遼太郎/坂の上の雲 2巻 P28

なるほど。
司馬遼太郎曰くそもそも二元論で語るのがおかしいと。
歴史はもっと複雑だよ。ということですね。

そして個人的な違和感として後者のあくまで日本を擁護する目線の立場からみたとしてもである、、、

朝鮮の世論を日清の勢力を均衡にしたいというのはわかる。
だけどそれを戦争でしてもいいのか?という疑問が湧いてくるのではないだろうか。

勝手に主権を持っている国の世論を変えるなんて、朝鮮からすれば余計なお世話なのではないのだろうか
※朝鮮は清国の属国なので主権はないかもしれないが

そして、私のこの意見を後押しすうるような話が井沢元彦氏の「逆説の日本史」に書かれていた。

不平等条約改正のための日清戦争

司馬遼太郎は歴史は複雑だと言った(勝手な事故解釈)
そして井沢元彦氏が日清戦争における複雑さをほぼ明かしてくれたのではないだろうか。

井沢元彦がいうにはイギリスとの不平等条約を改正するために日清戦争を起こしたというのだ。
当時は伊藤博文内閣である。彼はいうまでもなく維新志士である。
その維新志士が人生をかけてやろうとしたのが、幕府の置き土産である「不平等条約」の改正だったのだ。

しかし、当時の伊藤内閣は議会にそっぽを向かれていた。
議題を出しても通らない。そういう状態だったのだ。

イギリスが議会の国。議会の承認なしでは不平等条約は改正できない。
そこで出てきたのが「非常事態」をつくるということである。
非常事態であれば、議会の承認なしにお上の裁可でことは決まる。

コロナ等で非常事態の作り方をみてきましたが、130年前にも同じような考え方があったのですね。

そして名目上は「居留民保護」のため、朝鮮に出兵
そして軍事衝突。

ここで疑問なのは植民地獲得のための戦争だったという意見に対して、戦力分析が全くできていないのではないか?という点

特に海軍だ。

当時世界最強クラスであった清国の艦隊、なかでも李鴻章が手がけた北洋艦隊は最強部隊とされる。特に定遠は世界最強の艦船だった。
それに比べて日本はできたばかりの貧弱の海軍だった。

しかし奇跡的に勝ってしまった。
※15.4ノットしか出ない定遠に対し、日本の船は22ノット出たので定遠の砲台が当たらなかった、日本海軍は豆粒みたいな玉をひたすら当て続けて定遠を戦闘停止にまで追い込んだらしい

陸地では清国軍は朝鮮という地でモチベーションも上がらず仲間割れ。

そして日清戦争は日本の勝利という形で終わる。
そしてその間に天皇の裁可で不平等条約に向けて進み出したのである。

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