見出し画像

流儀という言葉を使いたい

善悪ではなく損得で考える


何か規模の大きいものごとを決める際にはまず損得を最優先にするべきだと思う。その後に善悪という感情的な要素を利用する。


善悪というのはあくまで価値観の問題でどこまでいっても個人のモノだ。それを最優先にしてしまうと決まるものも決まらなくなってしまう。


一方で損得は多少の好みの差はあるが善悪に比べると意志統一をしやすい。


善悪を無視すればいいわけではなく、それを話し合うことは重要だが結論は出ずに妥協案を決める程度のものだと思う。だからこそ最優先にすべきではないのだ。


・「不幸になる人が生まれるかもしれないが自分は得をするかも」
・「不幸な人を見過ごすと自分が精神的にダメージを受けて損をするかも」


これらから分かるように善悪というのも損得の上で成り立っている。



まずは損得、その次に善悪

その優先順位を見失ってはいけない。




政治問題や経営方針などでっかいものを語りたいのではなく日常レベルの個人に当てはめていきたい。

私自身に落とし込むにはどうすればいいか。


先ほど述べたように個人は善悪を無視できない、だから善悪と損得を自身の中で使い分けることが重要だと思う。




そこで考えたものが私の流儀を作るということだ。


自分ルールのほうが伝わりやすいだろうが響きがカッコいいので私の流儀でいく。


みんなで同じ価値観を育みましょう、という現代の風潮のせいで自身の流儀を決められない、もしくは見失いがちな人がいると思う。


私自身がそうだ、だからこそ自分の流儀を意識的に作る。


現代の風潮に反対するも賛成するもそれぞれの流儀である、大事なのは意志が入っていることだ。どうでもいいから気にしない、これも一つの流儀だ。



世界がどうなのかではなく自分がどう思うのかを大事にしたい。

そうすれば結果として個人から集団、そして世界に影響していくのでないだろうか。




流儀って言葉が使いたかっただけという話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?