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記号化の悪用

マンガは記号だ。

このような言葉を聞いたことがある。漫画の神様手塚治虫が唱えたとかなんとか。

その記号とはどういう意味なのか、などの話をしたいわけではない。マンガ記号論はおもしろくて納得のいくものだ。今回私が言いたいのは記号化することで起こる勘違いやすれ違いについて話していきたい。


そもそも記号ってどういうこと?という人もいるかもしれない。

例えば、人の似顔絵を描くときにすごく精密に写実的にまったくの別人を描いて渡すと、「これ誰?」となるだろう。しかし、〇描いてちょんちょんと点を描いて「あなたの似顔絵です」と渡すと下手だなと思われることはあっても「これは私ではない」とは言われないだろう。

このように簡略化すると描かれていない部分を脳内で勝手に補完するようにできている。単純化することで最小の手数で相手に伝えることができるものだ。文字みたいなものでそれが記号だ。

だからこそ伝わりやすい、そして脳内で補完するから感情移入しやすいのだとも思う。


そこでマンガを読み慣れてない人や記号をあまり知らない人が記号を勘違いしたり理解できなかったりすることがある

それは文化によるところが大きいのだと思う。国や言語圏、年代の差、これらは積み重ねによって進化や変化していくからだ。


子供がマンガやゲームの主人公を自分だと思い込むのはよくあると思う、作品がそう感じるように描いてるからだ。そこからさまざまな作品に触れて、これはマンガの中の表現なんだと理解するだろう。

しかしネットには記号を勘違いして拡大解釈する人がいる。意図してやってるのか無知なのかは分からないが迷惑なものだ。

理解せずにマンガやアニメ・ゲームに勝手にズレた解釈をしてさらに文句やツッコミを入れてなぜか規制しろと喚き散らす人がネットの一部で群れているのが目に付く。

この活動は理解していない人に偏った印象を植え付けるやり方でただの洗脳だ。


記号や特殊な単語というのは便利がゆえに悪用もできてしまうということだ。

それは記号が強力だということの証明でもある。また、特定のマークなども記号に当たるだろう。




最後に

結論、間違った解釈や意味を記号に植え付けさせるのはどうかと思う。ほったらかしにすると間違ったイメージが先行する可能性もある、ネットの力は恐ろしい。


群れている小さな集団を消すことはできないだろうが、機能させなくすることは可能だと思う。目には目を。

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