「故郷」展で書いた極めて個人的な内容のステイトメント
撮影:水津拓海(@rhythmsift)
2021年2月26日(金)~3月10日(水)に新宿眼科画廊にて行われたグループ展にて、堀江たくみが提出した個人ステイトメントを記録がてら置いておくことにします。以下ステイトメントのコピペ。
「故郷」展から「陶芸」を少し考えてみたことについてのよもやま話。
今日では電気窯が一般的に普及し、様々な粘土や原料など制作に必要な道具も一通りインターネットで購入できるようになった。作家が住む場所を移動しても、(電気窯やガス窯といった同じ焼成結果を比較的得やすい窯を使用するという条件のもとでは)同じ表現を続けることがかなり容易になっているといえる。しかしそれは「作品の見た目=作風」という表面的な視点で見た場合である。細かい要素で見ていくと、その土地で主に普及している(とどのつまり他の土地と比べて安い値段で買える)土や道具は場所によって違うし、新しく知り合う人たちが扱っている技術や教えてくれる知識もその土地ならではの技法に由来していることが多い。僕が今住んでいるところは石川県の金沢市だが、たとえばバイト先の陶芸教室に通われている方々は普段は主婦やサラリーマンとして暮らしているが、皆当たり前のように九谷焼の上絵付けを知っているし、その技術を自身の制作物にも利用している。僕の作るものたちの作風が、大阪から金沢に場所を移しても相変わらずキャラクターを扱っているものであっても、その形に至るまでの過程の端々に金沢のニオイは付着している。
産業的な視点で見た陶芸の場合、日本における中心地というとまずは岐阜県の美濃があげられるだろう。他にも同じくらい有名なところで伊万里、備前、信楽、九谷など(産地の選択は堀江が適当に思いついた順番であり、重要度の順位を示していたりはしない)があり、東京などの都市部はそういう意味でいうと「地方」になる。もちろんこれは産業的な面での場合であり、「陶芸を近代以降の美術運動の流れにあてはめて制作発表していく技術」のための教育、でいうと東京や京都といった都市部の方が影響力としてはやはり強い。中心/地方の関係性が作品の発表形態によって変わっていくなかで、陶芸作家は自身の作品がどういう立場で発表されていくべきかをその時々で考える必要がある(と、堀江は勝手ながら思っている…)。東京はこの国の首都だが、例えばこの街で作品が「バズった」としても、それが作品にとって本当に良いことかどうかというのは、また別の話だ。とある地方でその名が広がることこそが、その作品にとって最も良い場合になることもたくさんある。
撮影:水津拓海(@rhythmsift)
僕の作品の大きな要素である、キャラクターや落書きを特にザラザラの質感の表面に取り入れる表現自体は、大阪の母校で大学助手をやっている期間に研究していたものなので、この技術自体に今住んでいる場所の「地方性」は無い。しかし、金沢に移り暮らしていくなかで新しく出会ったシェアハウスの同居人や金沢美大に関係する知り合いといった人間関係、陶芸教室で働くなかで新しく発見した道具や技法(陶芸教室ではスタッフによって教える内容が違うことによる客の混乱を防ぐために、教える技法の細かい所作を統一している。なので同じ技法でも大阪の大学で習った体の動きと違うことが多々ある)は、作品の細部を緩やかに、しかし明らかに変えていった。これは環境による身体性の変化であり、「特定の地方性の獲得」といえる。
そういった考えの流れで、今回出品しているものの一つに「バイト先の陶芸教室での人間関係から得た素材や技法」という、きわめて個人的な体験を「地方性」と捉え、陶芸教室内で教えるなかでサンプルとして作ったものや、余った土を貰って作ったものなどをまとめて展示することにした。陶芸本来の地方性はあくまで土の種類と焼き方(装飾)の違いから始まるが、「僕が金沢で暮らすなかで自然と生んだ作品たち」を東京で展示することで発生する(かもしれない)鑑賞者との感想や感情のズレ、ぼんやりと感じられる違和のようなものを「都市/地方」の関係における価値観の違いとして考えることができないかと思っている。
2021. 堀江
撮影:水津拓海(@rhythmsift)