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カンゼンタイではないと思い、まだ足りないと求め続ける。

何で付き合ってないの?
何で結婚してないの?
子供は?
家は?
昇格しないの?

人は自分がもっていて、人がもっていない何かを「もったほうがよい」とすすめがちだ。

また、自分がもっているけど、他の人がもっていないことが羨ましいとさえ思う。

回りの言葉にふりまわされ、人に影響を受けて、行き着く先は何か?

全部自分の考え方次第で、良くも、悪くもなる。

意識して、行動することで、現象が起こる。

意識して、行動しなければ、何も起こらないが、自分の中に行動しようとした何かが残る。

「発言しようとするが、発言しない。」
「衝動的に動こうとするが、なにもしない。」

そんなことを続けるとモヤモヤが溜まり続ける。

そのモヤモヤは運動することで、発散されるというよりも、モヤモヤの存在が忘却される。

何かをため込むシーンは様々で、とにかくアウトプットしたいけど、空気を読んだり、タイミングを計ったりと、考えを巡らせることで、時間はながれて、無表情のまま、妄想の世界へと入っていく。

「思うこと」が、あればあるほど、悩み、ためこむ。

それに耐えきれなくなると、身体に異常を来す。

それが嫌ならば、貪欲に鈍感になることに全てをかける。

まわりに気をつかい、話を合わせ、言いたくない言葉をかけ、顔色を伺い、人の感情に左右され、言葉に一喜一憂し、、、

そんなことを全てやめて、鈍感になることに邁進する。

私はこういう人間です!そんな存在であることをみんなに認めてもらえたら、それで良い。

存在を認められなかったり、自分自身のことを認めることができなければ、苦しむ。

集団が求める削りに削られた、真ん丸の人間が完成される。

それは本当に自分がなりたかったものなのか?

常に自問自答しながら、生きる。
時は流れ、いつの間にか、自分の異変に気づけなくなってしまう。

成長するとか、しないとか、そういうことに意味はあるのか?

そもそもその人の何を評価して成長しているとおもうのか?

評価するひとの基準は曖昧で、主観が入り、漠然としたものだ。

そうやって、人との関係のことに全てが支配されていくと、爆発する。

花鳥風月に関わらない、世界で生きる人は異常を来す。

だから、私は用もなく畑に行き、可能な限り山を走り、暇を見つけて鳥や花を撮る。寝る前には月を見る。

そんな習慣を続けることに、自信を持っている。

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