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たそがれ商店街ブルース 第6話 薬局

 河童はまるで、子供の頃に遊んだロールプレイングゲームのフィールド画面のように、ぴったりと私の後ろに張りついて歩いていた。河童を引き連れて歩くという行為自体に慣れていないせいもあってか、それはあまり気持ちのよいものではなかった。
 足に水掻きがついているせいで、歩くたびにペタペタと変な音がするし、風が吹くたびに磯の香りがふわりと漂ってきた。ただ、これらは後ろに河童が居るとわかっているからいちいち気になってしまうものなのか、そうではないのかが、いまいちよくわからなかった。
 神社から雨宮ドラッグへ向かっている道のりでは、人とすれ違うことはなかった。すれ違ったのは1匹の三毛猫くらいなもので、線路を挟んだあちら側の商店街が人で賑わっているなんて、なんだか嘘のように思えた。
 しかし、実際に雨宮ドラッグの前、つまり、踏切の前からあちら側に目をやると、商店街はたくさんの人で賑わっていた。しかし、誰一人として私が河童を連れていることに気が付いている様子はない。というよりも、むしろ、私の存在に気がついていないという方が正解だろう。
 そして、やはりあちら側の商店街にいる大勢の人たちは、誰1人として踏切を渡ってこちら側に入ってこようとはしていなかった。誰も彼もがピンボールゲームのバーに弾き返されるように、踏切の前までやってきたとしても、そこで踵を返してUターンしていくのだ。
 やはり、この踏切が天国と地獄の境目だからなのだろうか。もし仮にそうだとしたならば、あちら側の商店街にいる人たちはきっと、今自分たちがいる方が天国であって、私が居るこちら側が地獄だと思っているに違いない。

「いらっしゃいませ」
雨宮ドラッグの自動ドアが開くと、普段よりもワントーン高い、ミヤ姉さんのよそ行き声が店内に響いた。しかし、私と目が合うなり「なんだ山ちゃんか。なんの用」と、すぐに地声に戻った。
 店内は暖房が効き過ぎていて、オルゴールが奏でるクリスマスソングが小さな音で流れていた。季節感を意識しているのだろうか、ミヤ姉さんは真っ赤な口紅をつけて、白衣の襟元から緑色のセーターをちらつかせていた。
「ちょっと、薬を探してまして」
 ミヤ姉さんの眉間に皺がよった。
「そりゃあそうでしょうよ、ここは薬局なんだから。それよりなんでそんな薄着なわけ。今、12月なのよ。冬よ。わかってんの。それになんなのその頭。ブルドーザーが通った後みたいにぺちゃんこじゃない」
 ミヤ姉さんは私の背後にぴったりと張り付いている河童の存在に、まだ気が付いていないようだった。いつも通りのミヤ姉さんに私は少しだけホッとした。
「それより山ちゃん、ちょっと聞いてよ、あそこの薬局、来週から年末セールやるんですって。こっちはただでさえお客が来なくて困ってるっていうのに、ほんと感じ悪いわよね。いったいどういう神経してんのかしら。きっとあそこの社長、すっごく強欲なのよ。それでもって、その社長の奥さんってのがまた、もっと強欲なのよきっと。ああ恐ろしいったらありゃしない。いくらお金が欲しいからって言ったってね、私は人の心まで無くしたいとは思わないわよ。ああ、恐ろしい恐ろしい。なんまいだぶ、なんまいだぶ」
 ミヤ姉さんはそう言って、右手の親指と人差し指にボールペンを挟んだまま、両掌をすりすりと擦り合わせていた。
 すると、河童が背後から私の袖を引っ張った。私が体を反らせるようにして耳を後ろに向けると、河童は手袋をはめた手で口元を隠しながら「あのポスターの薬です」と小声で言って、ミヤ姉さんの背後に貼ってあるポスターを目で指し示した。
「えっ、誰かいるの」
 ミヤ姉さんがびっくりした様子で私の背後を覗き込んだ。
 河童はその視線から逃げるように私の背後に再びすっぽりと隠れた。
「あっ、これは、ええっと、実は甥っ子が遊びに来ていまして。でも、ちょっと風邪をひいてしまったみたいだったんで、風邪薬をねえ、ええっと、はい、買いに来たんです」
ミヤ姉さんは「へえ、甥っ子ねえ」と、再び眉間に皺を寄せて私を睨みつけた。
「それで、何の薬が欲しいんだっけ」
 私は反射的に「あの薬です」と、ミヤ姉さんの後ろに貼ってあるポスターを指差した。そして、すぐに後悔した。

 そのポスターには現在、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍している清純派女優、モッチーこと持田もちだ彩花さいかちゃんが写っていた。モッチーは右手で薬のパッケージをこちらに向けて持ち、左手は何かを呼びかける時にやるように口の横に添えられていた。そして、そこには魂のような形をした吹き出しが描かれていて、その中には手書き風の字体で「女の子の味方だよ!!」と書かれていた。
 ミヤ姉さんは後ろのポスターを確認するなり、これでもかというくらい眉間に深い皺を寄せて、ものすごい勢いでボールペンをカチカチしていた。その姿は閻魔様そのものだった。
「ねえ、これ生理痛の薬よ」
 私はしどろもどろになりながらも、なんとかこの場を凌ごうと、とってつけたような嘘を並べた。
「あっ、そうそう、そうなんですよね。それはこの子のお母さんに頼まれたもので、それとは別に、この子にも風邪薬を貰えないかなあって、そういうことなんですよ」
 私は藁にもすがる思いで、後ろにいる河童の顔を覗き込み「ねっ、そうだよね」と同意を求めた。すると河童は私の背後にしっかりと隠れたまま「はい、その通りです、おじさん」と同調した。

 ミヤ姉さんは私を疑っているようで、胸の前で腕を組んだまま、ボールペンをカチカチカチカチとひっきりなしに出したりしまったりしていた。
 BGMのオルゴールが、ワム!の「ラストクリスマス」を奏でている。そのキラキラした音色と今の私の状況がアンマッチすぎて、なんともいえず居心地が悪かった。

 私は一旦話題を逸らすしかないと思い、苦し紛れにビッグドラッグの悪態をついてみた。
「それにしても、あの向かいの薬局ひどいですね。人の心ってもんがないんですかね、まったく」
 ミヤ姉さんの眉間が少し緩んだのを私は見逃さなかった。
「それに、こっち側から見てると薬局らしさが足りないっていうか、チャラチャラしてるっていうか、なんかこうビシッとしてないんですよね」
 私はさらにたたみかける。
「それにあの店先に置いてあるパンダのゆるいキャラクター、アレなんですかね。薬局なら黙ってオレンジの象を置けって感じですよね」

 ミヤ姉さんの眉間から完全に皺が消えた。
「やっぱり山ちゃんもそう思う。私もずっと気になってたのよ、あの腐れパンダ。なんか顔がムカつくのよね。なんかこうダラーッとしちゃってさ。オレンジの象置けっつーの」
 ミヤ姉さんはもう薬のことも河童のことも、もはやどうでもよいといった調子で、ビッグドラッグの愚痴を壊れた蛇口のように垂れ流し続けていた。

 その時、私の頭の中に原青果店と青木果物店が浮かんだ。この2つの八百屋さんは商売敵にならずにうまくやっていけているのに、なぜ雨宮ドラッグとビッグドラッグはそうできないのだろうか。ミヤ姉さんが言うように、本当にビッグドラッグの社長が強欲なのだろうか。私にはその辺のことはわからないが、今のミヤ姉さんを見る限りでは、ミヤ姉さんの性格にも一因があるんじゃないかと思わずにはいられなかった。
 それともう1つ原因があるとすれば、やはり踏切を挟んでしまっているということだろう。あの踏切にはそう思わせるような何かが、確かにあった。

 私はミヤ姉さんの話には取り合わず、財布から1,000円札を2枚取り出し、会計トレイの上に乗せた。
「私はいつだって雨宮ドラッグを応援しています。お釣りはいりません。これで暖かいコーヒーでも買ってください」と伝え、風邪薬と生理痛の薬を受け取り、店を後にした。


第7話へ続く

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