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森の女


森の女

 これは、ある夕暮れ迫るいつかの物語
 
「あ、あなたは……?」
「あたし?」
「は、はい」
「あたし森の女」
「森の……」
「女」
「女……」
「そうよ、森の、女よ」
「森の、女」
「茂っているの」
「え……しげ……」
「あら、おかしい?」
「い、いや……!」
「女だって茂るのよ、茂ったっていいじゃない、なによ、茂るだけ茂らせてもらうわよ、茂らせて茂らせて、これでもかってくらいに。女だってね、こんなに茂らせられるんだ! ってところ、見せてやるんだから」
「や、え……」
「あらなに、あなた」
「え……」
「興奮しているの?」
「いや……!」
「え? じゃあ何しているの?」
「あ……えっと!」
「興奮しているんじゃない、エキサイティングエキサイティング!」
「いや……」
「わかるわよ。ふふふっ、こんなに茂らせられたら、ふっ、無理もないってものよね。わかるわかる。ふふっ、こぉんなに茂らせてちゃね。一方的に、茂っちゃって。あはは、いやだもう、うふふふふふふ……あなた誰?」
「え、うお、あああ、あ! あ! あのッ、え! えの、あの!」
「あたしは森の女」
「あ! はい! あ! あのすみませんススムと申します! 名前です! 奨! です! あ、はい!」
「エキサイティングエキサイティング!」
「あ……あ……エキ、エキサイティング!」
「どうも、森の女です」
「あ、はい……す、奨です」
「すすむ? いい名前じゃない」
「あ、ありがとうございます。はい」
「ゴーゴー! って感じ」
「え? あ、あー。……『進む』の方じゃなくて」
「え? 何が? 何? わかんない! ゴーゴー! でしょ? 行け行けー! 行くぞー! 茂るぞー! 行きます行きますー! ね? 好きよ、そういう感じ。進め進めー!」
「あ……はい」
「違うの? 行かないの? 何? どっち? あたしは行こうかなって、進んで行こうかなって、そういう森の女なんだけど、そうやって茂ってきたんだけど。違うの?」
「あ、あ。ウフ、お、おんなじです。ウフ……ウフフフフフフ」
「え、なあにあなた……ちょっと」
 森の女が何かに気づく。ちらつく違和感、力む眉間、さざめく茂み。
「ちょっと待ちなさいよあなた……あなたもしかして」
「え? は? え……何ですか」
「あたしの眼は騙せないって言ってんのよ! 何よ、何しに来たのよ! 何何何! 怖い怖い怖い!」
 はてな、という面持ちで呆然と佇む奨の口から、フッ、と勢い良くひと塊の息が漏れる。と同時に、奨の表情は急に何か吹っ切れたように様相を変えた。
「フフフフフ、ウフフフフフフ……。まさか気づかれるなんてね。アハハ! ウッフフフフフ!」
「やはりその笑い方……あなた、あなた! 火曜日のサザエさんね!」
「あら、違うわよ。それはあなた。あなたがサザエさんなのよ」
「あ、あたしは森の女よ! 茂っているの! わっさわさなのよ!」
「いいえ、あなたはサザエさん」
「やめてやめてやめて! サザエさんはあなた! あなたよ!」
「ええ。まあそうね、私はサザエさん。というより、私もサザエさん、あなたもサザエさんなの」火曜日のサザエさんの真顔が、森の女の鼻先まで迫る。
「ひいいい!」
「ほら、笑う声までおんなじじゃない」
「ひいいいいいい!」
「おーんーなじーねー」
「ち、違う! あたしは森の女なの! 森の——」
「森のサザエさん」
「森の……サザエさん」
「そうよ、私もサザエさん、あなたもサザエさんなの」
「あたしも、サザエさん……?」
「うちとおんなじ。仲良しなのよ」
「仲、良し……?」
 
 おいおいおいおい、しっかりしな。お前さんは森の女なんだろ?
 
 誰? と二人が声の方を見やると木の上にそれはいた。
 コアラのように木の幹をしっかりと強く抱きしめている。よく見ると周囲と比べてその木だけが物憂げな様子で、葉ひとつ無く枯れ果てている。
「あなた何者よ」
「俺かい、俺はうーちゃん。もっとも本当の名前はもう忘れちまった心もとない存在さ。だからうーちゃんと、そう呼んでくれ。そしてお前は森の女、そうなんだろ?」
「あたしは、森の、女」
「茂らせていくんだろ、これからも。わっさわっさと、茂っていってほしいなと、うーちゃんもそう思うよ」
「……あたしは、森の、女。そうよ……う、うーちゃん、ありが——」
「いいえ、あなたもサザエさんよ。あなたもあなたもサザエさん」
「いいや、俺はうーちゃんだ。もっとも本当の名前はもう忘れちまったがな。いわゆる記憶にございません状態突入の、しがなくちんけな存在だ。そんなうーちゃんだ。うーちゃんです、どうも」
「あたしは森の女、茂っているの。見て、この辺なんて凄いのよ」
「くっくっく、そうだ、あんたあ森の女だ。何だか俺も茂ってきちまったよ。あんがとよ。エキサイティング」
「あら、あなたも茂られるのね? そうよね、誰にだって茂る権利はあるんだものね」
「権利? 茂りたいやつが茂られるタイミングで茂っていけばいいだけさ。何も難しいことじゃねえ」
「あはは。あらやだ。そうね、そうよね。あたしとしたことが、いつの間にやら何かに縛られていたみたい。うふふ、うふふふふふふ……あら、あなた誰だっけ?」
「わ、私は火曜日のサザエさん。私もサザエさん、あなたもサザエさんなのよ。笑う声までおんなじだし、仲良しなのよ……」
「なあ、火曜日のサザエさんよお。もうヤメにしねえか。時には失敗るときもあり、ちょっぴり悲しいときもある。そうだよな? 確かにみんなその点では一緒かもしれねえ。だけど、ううん……だけど——」
 夕焼けが三人の姿を穏やかに染めていた。火曜日のサザエさんが、私の負けね、という表情で口を開く。
「明るい私は……」
「明るいあんたは」
「サザエさん」
「ああ」
「あたしは森の女、絶賛茂り中!」
「そう、それでいいんじゃねえか? 俺はうーちゃんで、そいつは森の女、あんたはあんたでサザエさん」
「私は私で、サザエさん」
「ねえ、あなたもここで茂っていく? あたしは森の女、もうちょっとこの辺を上手く茂らせたいと思っているの。絶賛そういう感じなの」
「くっくっく、欲深いね。俺ゃ好きだねお前さんのそういうところ。くっくっく」
 赤い空に五時を知らせる音楽が鳴り響く。
「チィちゃーん? おまたせー! ごめんねえ、ちょっと遅くなっちゃった。帰ろうか。あ、ケイちゃん、いつもありがとうねー遊んでくれて」
「森の女です」
「わあ。あんたらまた森の女やってるのお? ママそれよくわかんないけど、楽しいのそれ? ケイちゃんもいつもごめんね、変な遊びに付き合わせて」
「ケイちゃんは今日、火曜日のサザエさんだったんだよ」
「は? やば! あんた何で火曜日のサザエさん知ってんの」
「パパと動画サイトで見た。いほーあっぷろーどだよ」
「あいつ、また動画ばっかり……」
「ケイも知ってるよー。歌がねー、違うんだよー。あとねー、うーちゃんも火曜日のサザエさん知ってるぽかったよー?」
「うーちゃん? 誰?」
「あの子だよ」
 枯れ木が佇んでいる。
「あれー? さっきまで一緒に森の女ごっこしてたんだよー。ね、チィちゃん」
「うん、あの木の上にいたんだよ」
「えー、ちょっとお、怖いのやめてよお」
「ケイちゃーん、お父さんむかえに来ましたよー。あ、チィちゃんママもおかえりなさーい」
「あ、園長先生、こんばんは。あの、園長先生、うーちゃんっていう子はもう帰っちゃいました?」
「うーちゃん?」
「あの木にいたんだよー! ねー!」
「うん、あの木にがっしりしがみついてたの!」
 佇む木を見て、園長の頬に涙が伝う。
「海美子……ちゃん? あなたなの? あなたそこにいるの?」
 沈みゆく太陽に真っ赤に染められた一本の枯れ木。その枝の先からは、小さくも真新しい緑が芽吹いていた。
 
 
 
 
 
「くっくっく。茂って、茂っていこうじゃないの。くっくっく。海美子、そう思うよ」
 
 春が来る。

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