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むかえに来る


 

 むかえに来る

 テレビに知らない女が映っている。美女だ。どうやら女性俳優のようだった。
 黒く長い髪はサテン生地のようにひと束になり、強く輝いている。美麗に整えられたその艶の束は、左肩前方へ流されている。その流れの先端はこちらの視線を導くかのように胸元へと続いていた。
 女は胸元の広く開いた真っ赤なドレスを着ており、そこから覗かせるその胸もまた美しく、丁寧な弧を描いている。まるで微笑みのように穏やかで優しげな弧だった。白く、艶やか。そしてなめらか。吸い込まれそうだ。思わず「これか」と口から出た程に。透明感というのはこれか、の、これか、だけが実際に口から出てしまった形だ。出てしまったその形、だ。

 俺はその女を見て「いつか迎えに来てくれるのはお前か?」と頭の中で唱えていた。ほとんど無意識の内に。
 これは今回だけに限った事では無い。毎回そうだ。無意識の内にいつも。いつも唱えている。
 俺はテレビや雑誌、インターネットなどで美しい女を発見すると、こういう女がいつか微笑みながら自分を迎えに来てくれるのだ、という思いが湧き上がり、気がついたら勝手に脳内で「迎えに来てくれるのか?」と、唱えている。勝手に脳内で、というより、脳内が勝手に、という言い方の方がしっくりくるくらいに色んな美女を見ては自動的に「お前が迎えにきてくれるのか?」「迎えに来てくれるのはお前?」「さては……お前が?」と、これまで幾度も幾度も唱えて来た。「あれ? お前なのか?」と。幾度も幾度も。「あんたか?」という時もある。

 何故この様な思いが湧き上がり脳内で唱える事になるのかは自分でも全く説明がつかない。というより、迎えに来てくれる、というのがどういう事なのか。まずそれがイマイチよく分からないのだが、いつも必ず迎えに来てくれそうな気がしてならなくなるので、これは女の方が俺を迎えに来ようとしている念を俺のところまで飛ばしてるのだろうな、とも思うわけだが、未だ誰一人として迎えには来てくれていないので謎だ。本当謎。全然来ない。謎。

 だが、その謎を解くべく考えてみる。えらいからね。暇じゃないんだよ俺だって。
 さて、迎えに来てくれる、とはどういう事なのか。考えてみる。みんな大好き考察だ。

 迎えに来てくれた後に一緒に住む、という事なのだろうか。否。美人と一緒に住むビジョンは(これも不思議な事だが)これっぽっちも浮かばない。
 じゃあ迎えに来てくれた時に、お付き合いをして下さい、と言い交際に発展しデートから始めるのだろうか。これも否。美人とは言っても素性の知れない人間だ。急に男女交際を申し込むのは馬鹿のようだし感覚的にも付き合いたいとは思わない。というか単純に違う。不思議だが何かが絶対に違うのは完全に分かる。不思議な事ばかりだ。否。不思議ではない。自分を迎えに来た女、その女に唐突に男女の交際を申し込む。という流れは単純に意味不明だ。やはり単純に違う。単純違う。じゃあ何だ。

 迎えに来てくれた後のビジョンとして一番しっくりくるのは?と、目を瞑り考えてみると、次第にあるビジョンがフワと浮かび上がって来た。フワフワフワフワと。否。フワ一個だけ。一個フワ。フワと浮かび上がったビジョン、それは——

 添い寝

 添い寝だ。なにそれ。じゃなくて。添い寝です。完璧にこのビジョンが感覚的に完全にしっくり来る。完全。完ッ全。

 女は俺を迎えに来た後、真新しいシーツの敷かれたベッドの上で俺とふたり寝そべり、寝るでもなく起きるでもなくふわふわとしたまどろみの中で手を触れ合ったり背中や腰をさすったり髪を撫で合ったりして、そして終わって行く。生きるでも死ぬでもなく。終わって行く。ふわふわとしたまどろみそのものにとけてしだいにおわっていく。とおいしらないまちのおおきなかねのねのように、やわらかいひかりのまくがとじていくあいまいなにおいときおくのあいまとあいまのようにやわらかいひかりのまくがとじていくとおくたゆたううたうたううたうたいのうたごえのようにやわらかいひかりのまくがとじていくんだやわらかいひかりのまくがとじていくやわらかいひかりのまくがとじていくよやわらかいひかりのまくがとじていくやわらかいひかりのまくがとじてそしておわっていく

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