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私の家の「ドラえもん」

 岸田奈美さんの「キナリ杯」についてのツイートを見て、私は勝手に背中を押された気がした。

「書くなら今なんじゃないの」と。

ずっと、形にしたいことがあった。書きたい、と思うことがあった。

でも、いざ「書こう!」とすると、できなかった。

そんな、なかなか進めない私の背中に温かい手を添えて、

「今書きたいことを書けばいいんだよ。」と「キナリ杯」は言ってくれた気がして、私は今、この記事を書いている。

 他の人にとって面白い話なのかは、正直わからないけれど。
 でも、「書くんなら今なんじゃないの」という、運命のような直感に従うことにした。

 きっと、それって大事なことだ。


私の家の「ドラえもん」


 私の家には、ドラえもんがいた。

正確には、ドラえもんのような猫、だ。

タイムマシンも、四次元ポケットも持っていないければ、もちろん体も青くない。宿題は手伝うモノではなく、積極的に邪魔をするモノだと思っていて、パソコンは炬燵とストーブの次に暖をとれるものだと思っている。

頭ふさふさ、なでてふかふか 

それがどうした、ぼくは「くろ」

そう、我が家のドラえもんの名前は「くろ」              白黒はちわれの男の子。白いきれいな毛と、長い尻尾が自慢だったりする。

くろは、生まれてすぐに捨てられてしまった捨て猫だった。

もう何年も前の話だが、その頃通わされていた塾の先生が拾ってきて、生徒の中で里親探しをしていたのを、今でもよく覚えている。

当時、名犬ラッシーにあこがれていた私は、毎年七夕の短冊に「犬が飼いたい」と書くくらいの犬派だったが、初めて子猫の可愛さを目の当たりにして、すぐにシフトチェンジすることにした。(犬猫、両方好きです)

「この子、飼いたい」と同じ塾に通っていた姉二人と意見が一致するや否や、私たちは茶色い紙袋に子猫を入れてもらい、母の車が迎えにくるのをドキドキしながら待った。

 静かな夜の車道。「絶対世話するから!」とありがちな守れない発言をする小さな娘三人はともかく、もっともっと小さい、茶色い紙袋に入った子猫を見たら、とても断れなかったと、母は以前話してくれた。

 その日から、くろと私たちの生活は始まった。

くろは押入で寝るのが好きで、どらやきが大好物だった。ドラえもんとの共通点は実はこの2点だけなのだが、それだけでもう我が家では「くろはドラえもんなんじゃないか」ということになった。


 くろが正真正銘、我が家の「ドラえもん」になったのは、くろが4歳になる年だった。

 くろの日課は庭の散歩だ。

決まって午後4時頃になると、普段は全くといって鳴かないくせに、散歩に行きたくて「にゃーにゃー」甘えたような声を出す。
 母はパート。姉二人も出かけて家にはおらず、くろの面倒を見るのは、当時小学5年生だった私ひとりきりだった。

 例にもれず「にゃーにゃー」と甘えたような声で鳴き始めるくろに、かわいいなぁ、とうるさいなぁ、の両方の感想を抱きつつ、「ついでに洗濯物を取り込もうじゃないか」と、くろを庭に出してやった。

 親ばかを自負しているが、くろは「賢い猫」の部類に入ると思っている。名前を呼べば庭の隅から駆け寄ってくるし、家に帰る時間だよ、というと、機嫌がいいときはすぐに従ってくれるからだ。

 ただ、その日は機嫌の悪い日だった。

 洗濯物はとっくに回収し、残りはくろの散歩終了を待つばかり。最初こそ、ぐるぐるぐるぐる、庭を歩くくろの後ろを歩いていたが、小学生の集中力はたかがしれている。

 もうすぐ見たいアニメが始まるじゃん、という事実に気づいてしまうと、もう一目散に家に戻りたくなった。日も暮れてきたし、母ももうじき帰ってくる。

 たいして期待はせず、しかし私はもう散歩を切り上げたいんだ、という意思表示のつもりで、「もう帰るよ」とくろに話しかける。

 しかし、くろはまったく家に戻る気になれないらしく、名前を呼んでもうんともすんとも、にゃーとも言わない。

 こうなったら最終手段だ。

 餌でつってやろう。あげる気もないくせに、実にひどい行為な気がするが、そんなことは言っていられない。

 私はさっそく餌を家に取りに行くことにした。時間にして数分。玄関をあけてキッチンへ。棚から餌の入った袋を取り出し、ダッシュで庭にでる。

 ガサガサ大げさに音を立て、「ごはんだぞー!」と叫ぶつもりでいた。

 しかし、私は叫ぶどころか一言も発せなかった。

 くろは、いなくなっていた。

 さっきまであの、庭の隅の木のあたりにいたのに、いない。

 いや、待て、待て。
 こういうときは、家の裏手にいるんだよ、そうそう、そうだ。そうだった。くろは歩くのが早いもんな、と家の裏手に回る。

 いない。

 そう言えば、この前は隣の畑(私の家は田圃やら畑やらに囲まれている)の真ん中まで進入してたっけ。
 内心焦りつつ「くろーくろー」と名前を呼びながら、庭の生け垣をぬけ、隣の畑をみる。

ぽっと顔を出すくろを想像していた。

現実は、そう甘くはなかった。くろは、正真正銘姿を消してしまったのだ。

 そこからは半分パニックになり、半べそをかきながら名前を呼び続け、庭の周りを探し回る。
 家の前の、田圃やら畑やらに囲まれた一本道の道路をとぼとぼと歩いた。
 だんだんと日が沈んでいき、くろがいたとしても、草の影なのくろなのか、暗すぎてとうとう判別が着かなくなった。夕日が沈み、空が紫色に染まっていた。


 くろがいなくなってしまったという実感が湧くにつれ、「散歩をさせるならちゃんと見張っていること」という母との約束を守れなかった自分が、たまらなく情けなくなった。だが、無責任なポジティブ部分が私にはあり、この時はまだ、心のどこかでくろはすぐに帰ってくるんじゃないかと思っていた。 

 猫は必ず一週間は姿を消すもの、という迷信のようなものを、母から教えられていたからだった。

 しかし、くろは次の日も帰ってこなかった。

 学校に行くのは気が重く、くろを探しに行きたくてたまらなかった。加えてその日の朝礼中、友達の飼っていた犬が交通事故でなくなるというショッキングな話を聞き、私はいてもたってもいられなくなった。

 くろがどこか知らない場所で、事故にあっていたらどうしよう。

 それからは、学校から帰ると、すぐに自転車で近所中を走り回った。田圃や野原をみる度に、くろがひょっこり顔を出す光景を、性懲りもなく想像してはがっかりした。

 家族の力だけでは限界があるため、とうとうビラを作ることになった。電柱や近所のスーパーに時折張ってある、「この子見かけませんか」を、まさか自分の家でやることになるなんて思いも寄らなかった。
 どうか無事でいてほしい。くろはビビリだから、道路なんて出てないよね。大丈夫だよね。そんな会話を何度しただろうか。
 
 ビラが完成し、明日は電柱やご近所さんにビラを配るぞ、という段階にきた夜だった。

 当時放送していた、お気に入りの番組の一つに、お笑い芸人の爆笑問題が司会を務めるバラエティ番組がある。毎週、いろんなお題のランキングを放送する番組で、よく、女性が選ぶアニメランキング、とか、かっこいいヒーローランキングというものをやっていたと思う。

 いよいよ明日は最終手段のビラ配りだという、心ここにあらずの状態で、私たちはそのバラエティ番組を見ていた。

 秋の入り口。残暑で少しじっとりとした夜。

その日のランキングは、「泣けるアニメランキング」だった。

バラエティ番組を見ているときの我が家は、笑い声でとてつもなくうるさいのだが、放送内容に加えて、皆一様に「くろがいない」寂しさのせいで、じっと黙ってランキングを見届けていた。
 
 番組は進んでいき、第一位の発表。
 一位は「帰ってきたドラえもん」
 番組は一位の作品を丁寧に紹介していった。のび太とジャイアンの夜の決闘、のび太の決意と覚悟、ドラえもんとの別れ。

 もう何度も見た短編映画だが、私も家族もぼろぼろ泣いていた。正直、映画のラストを思い出してぼろぼろ泣いていた。


 この後、ドラえもんは帰ってくるのだ。


 ウソ800という、なんともすばらしい道具のおかげで。
 のび太が言う。
「ドラえもんが帰ってくるわけないよ。二度と帰れないって言ってたもんね」
 のび太が部屋をあけると、そこにはーー

 そのときだ。
 私は空耳かな、と思った。
 家族も、いぶかしげな顔で見合っていた。
「聞こえた?」
 誰かが口を開いた。
 私にはもう、ドラえもんとのび太の、二人が再会を果たす一番感動する場面が見えていなかった。


 確かに、のび太が部屋をあけた瞬間、聞いたのだ。
「にゃー」
 という声を。
 みんな黙って、きっと同じようにに心臓をどきどきさせて、耳をすませていたに違いない。


「にゃー」


 聞こえた!聞こえた!聞こえた!


「くろだっ」
 誰とも知れず、叫んで窓の外を見た。


 くろ以外の猫の可能性など、考えなかった。
 外を見たときには、もうみんな泣いていた。
 くろが、我が家のドラえもんが、帰ってきたのだ。

自慢の白い毛を真っ黒なことも、長い尻尾の毛がぼさぼさに乱れているのも気にせず、家族全員、うれし涙で顔をいっぱいにしながら、くろを撫でまわした。

 家族みんな「くろ」しか言えない呪いにかかったみたいに、「くろ、くろ」とずっと名前を呼び続けた。

その日から、くろは我が家の正真正銘の「ドラえもん」になった。

冗談みたいな話だが、本当に「帰ってきたドラえもん」を見ていたら帰ってきたのだから、これはもう、間違いないはずだ。

 その後、くろはぶくぶくの一歩手前のぽよんぽよん体型まで成長し、「親子喧嘩かけこみ病院事件」や、「深夜の便秘解消事件」など、いろんな面白いこと、奇跡みたいなことを、私に体験させてくれた。

 そして、2018年4月、20歳11ヶ月と1日という長い歴史の幕を閉じた。最後まで、女の子と間違われ、年齢も若くみられるナイスガイだった。


 私がランドセルを背負い始めてから成人し、三十路になるまで、ずっと、ずっとそばにいてくれた。


 この「我が家版 帰ってきたドラえもん」の話は、いつか書きたい、書きたいと思っていたのだが、くろとのありすぎる思い出が蘇ってきて、今まで形にすることができなかった。
 この機会に、本当に、形に出来てよかった。

 願わくば、くろがいなくなったあの一週間、どこを冒険していたのか知りたくてたまらない。
 


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