名馬紹介 カツラギエース
【名馬紹介 カツラギエース】
カツラギエース(1980年生 牡)は、同期のミスターシービーや、一つ後輩のシンボリルドルフのような華やかさはありません。しかし、ジャパンCを最初に制した日本馬という輝かしい記録を持ち、オールドファンの記憶にも残っています。
彼もまた、日本近代競馬を語る上で欠かせない名馬の1頭です。
◆ 3歳まで
デビュー前の評価はさほど高くなく、実際、新馬戦は6番人気でした。その新馬戦を快勝し、その後もNHK杯と京都新聞杯の2つの重賞で優勝と、3歳時も優秀な戦績を収めています。
しかし、三冠クラシックは、皐月賞11着、ダービー6着、菊花賞20着と掲示板に一度も載れませんでした。3歳時は、ミスターシービーの三冠達成で盛り上がるなか、脇役の一頭でしか過ぎませんでした。
◆ 4歳
カツラギエースは典型的な大器晩成タイプで、4歳になると本格化します。
4歳時は9戦5勝、うち宝塚記念とジャパンカップの2つのG1に勝利し、1984年の最優秀4歳以上牡馬(現呼称)に選ばれています。
春先から重賞を連勝し、上半期の最後には宝塚記念にも勝利します。
そして迎えた秋シーズン。秋の古馬三冠である天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念でのシンボリルドルフとミスターシービーとの熱戦には、数多くの珠玉のストーリーが詰まっています。
◆ 天皇賞(秋) (秋天)
前哨戦の毎日王冠では、カツラギエースが勝利し、ミスターシービーは4着に敗れました。しかし、秋天では定位置の最後方から進んだミスターシービーが鋭い末脚で、レコード勝ちを収めます。
一方、カツラギエースは5着に終わり、「やはりミスターシービーには勝てない」と評判になりました。
◆ ジャパンカップ
レース前、2年連続で誕生した三冠馬、ミスターシービーとシンボリルドルフの初対決で、大変な盛り上がりになったレースです。過去3回のジャパンカップでは、日本馬は海外馬に敵わなかったことから、彼らにジャパンカップ日本馬初優勝の期待が込められました。
レースはカツラギエースがハナを切り、そのままスローペースに落とし込みます。有力馬は後方で牽制し合ってペースを上げてこないため、カツラギエースは後続を大きく離します。4コーナー手前で後続も「このままでは拙いぞ」と差を詰めてきて、残り200mでカツラギエースは馬群に飲み込まれていくように見えました。
しかし、スローペースで逃げられたので余力があります。ここから気合いを入れられると二の脚を繰り出して誰にも抜かされることなく、ゴール板を最初に駆け抜けました。日本馬悲願のジャパンカップ初優勝の瞬間が訪れました。
ただ誠に失礼な話なのですが、三冠両馬のいずれかが外国馬をやっつけるというレースを期待していた中、伏兵のカツラギエースが勝った瞬間、喜びよりも、ちょっと気が抜けた感じを覚えたのが記憶にあります。
いま思うと、カツラギエースの関係者の方々には本当に申し訳ないです。
◆ 有馬記念
さて、最終決戦となる有馬記念です。個人的に、1977年のTTGによる伝説の有馬記念以来の「ガチな3強対決だなぁ」と、とても楽しみにしていました。そして、結果も内容も味わい深かったです。
レース展開はジャパンカップと同じくカツラギエースが逃げます。しかし、今回は同じ轍は踏まないとばかりに、シンボリルドルフは向正面から早くもカツラギエースに競りかけます。そのまま直線半ばでトップに立ったシンボリルドルフは、レコードタイムで勝ち切りました。カツラギエースは粘って2着、ミスターシービーは追い込むも3着でした。
3強は3つのタイトルを分け合い、ラストファイトでは1〜3着を独占しました。2レースがレコードタイム、残りの1レースは歴史的なジャパンカップでの日本馬の初優勝。時代が一つ先に進んだ印象がありました。
そして、有馬記念を最後に、カツラギエースは引退しました。この1984年の秋は、TTG時代の1977年に並ぶ熱さがありました。
◆ ミスターシービーとの関係
結果を見ると、3歳時は1勝3敗、4歳時は3勝1敗、通算成績は五分です。同期の最大のライバルと呼んで良いと思います。
粘り強い先行力を持つカツラギエースが3歳クラシックの時から覚醒していたらと、想いを馳せることがおります。
そうなると、ミスターシービーも最後方からの追い上げ一辺倒とはいかず、道中前目にポジションを取るようになっていたかもしれません。実際、最後の有馬記念では中団に位置しました。
そして、シンボリルドルフとの勝敗にも、影響があったかもしれません。競馬のタラ・レバは、個人的な妄想に使う限りはロマン満載です。
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