見出し画像

名馬紹介 ミスターシービー

【名馬紹介 ミスターシービー】

シンザン以降三冠馬は現れず、もはや三冠は達成不可能なのかと思われていた時、突然登場し、史上3頭目の三冠馬となったのがミスターシービー(1980年生 牡)です。

彼は後年JRAのテレビCMで「才能はいつも非常識」「タブーはいつも人が作るもの」というコピーと共に紹介されています。
それほどダービーや菊花賞での走りは常識外れです。それだけに、本当に魅力的で、ハイセイコー以来のアイドルホースだったと思います。

◆ 生まれ
彼の父は「天馬」トウショウボーイ、母は小気味良い逃げ脚で重賞3勝のシービークインです。父母は同級生、且つ3歳1月の同じ新馬戦でデビューした仲です。
なお、この新馬戦では、TTG世代の代表馬グリーングラスもデビューしており、「伝説の新馬戦」と呼ばれます。
また、シービークインはミスターシービーを産んだ翌年に繁殖能力を失い、生涯にわたり子どもはミスターシービーだけです。なので、ミスターシービーは、この初恋同士カップル(?)の一粒種です。

◆ 彼の特徴
500kgを超す大型馬の父に対し、ミスターシービーは約470kgと一回り小さいです。しかし、その体形は均整がとれ、とても美しい馬体です。
また、レースっぷりに大きな特徴があります。彼はスタートが苦手なため、後方待機からの豪快なまくりを得意としています。
彼はそのドラマティックな生まれ、美しい馬体、常識はずれの豪快なレースっぷり(当時、天衣無縫と言われていました)から、とても高い人気を博していました。

◆ 戦績 三冠達成まで
(1) 皐月賞
5戦4勝2着1回の好成績を引っ提げて、皐月賞に出走しました。激しい雨で不良馬場となった皐月賞は、父トウショウボーイが敗れた菊花賞を彷彿させますが、直線で他を寄せ付けない末脚を披露して完勝しました。

(2) ダービー
続くダービーでは、ファンの度肝を抜きます。当時のダービーは出走馬が20頭以上となりごった返すため、1コーナーを10番手以内で回らないと勝てないと言われていました。
ところが、彼はスタートで後手を踏み、最後方からの発進となりました。3コーナーあたりから上位に進出するも、直線入口では未だ中団です。しかし、直線で大外に進路をとると、1頭ずつかわしていき優勝しました。
同じ舞台で父はダービー2着、母はオークス3着、その無念を子どもが破天荒な走りで晴らしました。

(3) 菊花賞
夏場に体調を崩した影響もあり、前哨戦で4着に敗れてから迎える菊花賞で、彼は再びファンの度肝を抜きます。
京都競馬場の3コーナーの坂は、ゆっくりとロスなく上り下りするのが定石と言われていました。しかし、彼は最後方のポジションから、上り坂でロングスパートを開始、下り坂ではさらに加速し、4コーナーでは早くも先頭に立ちました。そして、そのままゴールまで押し切りました。
彼はダービーに続き、菊花賞でも定説を覆す快走をしました。

なお、彼が三冠を達成した翌年からグレード制が導入されました。彼は八大競争時代の最終年に生まれた三冠馬です。

◆ 戦績 その後
三冠達成後、年内いっぱいは休みを取り、翌春から戦線復帰する考えでした。しかし、蹄に故障を発症し、春は全休となりました。

秋は毎日王冠で復帰し、この年から2000mに変わった秋天に出走します。私はこの秋天での彼の走りが、とても強く印象に残っています。

いつも通り最後方から道中進んだ彼は、同じくいつも通りに3コーナーから上位に進出します。4コーナーを回るとエンジン全開、先行馬を抜き去り、レコードタイムで快勝しました。美しい勝利劇です。
この時の3コーナーからゴールまでのスムーズな運び、並ぶ間もなく抜き去る末脚を見ると、この先負けることなど想像できず、遅かれ早かれシンザンに次ぐ五冠馬になることは間違いないと思っていました。

しかし、実際その後の4戦は未勝利、一つ年下の三冠馬シンボリルドルフに3連敗となりました。体調が悪かったのか、精神的にいっぱいになったのか、この4戦は本当に彼らしくない走りでした。
そして、5歳の秋に引退しました。

◆ 彼の評価
シンボリルドルフに3連敗したことから、評価を下げました。しかし、三冠達成から秋天に勝つまでの彼は、とても強く、また紛れもなくトップスターでした。
実際彼の同期は、G1馬が目白押しの競合揃いです。彼らを相手に三冠全てを快勝した彼の功績は、晩年の3連敗で価値が落ちるわけではありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?