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お膳立てのしあわせ

ポーリッシュポタリーに鯵の干物がイケるなんて、青天の霹靂。
ジョージズの丸取り皿、我が家での通称は《エース》。

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どちらも結婚祝いにいただいたもの。

結婚のお祝いに、色んな方から色んな食器を頂戴した。
有難いことに、食器を贈ってくれた方たち皆さま、実用性含む審美眼の確かな方ばかり。

食器によって使う頻度は様々ながら、食卓に彼らが並ぶ度に、私たち夫婦から思わず感嘆の声が上がる。

食器が食事に与える影響の話はそりゃね、高級料理店や意識高い系の読み物なんかで聞いてはいたし、そりゃそうだろうなぁとか思ってはいたんですが、自分たちにそんなに拘れる気がしていなかったのです、独身時代は。基本的には100円均一の食器で事足りると思っていた。

ところが。

自分たちでは揃えようなどと思いもしていないものが、お祝いという形でやってきてくれて使い始めたら。
日々のなんでもないような食事でも、こんなに違うのか。
こんなに胸が躍るのか。こんなに食事が楽しくなるものなのか。

目から鱗、とはまさにこのこと。

安い食器が良くない、ということではないのだよね。
現にこの写真のご飯茶碗は100円均一で購入したものだし、猫柄の色違い箸は5色セットでスリーコインズで購入したもの。
でもなんか気に入ってるから、いいのだ。

敬愛している平松洋子さんのエッセイに、お膳立てを任せた娘さんとのやり取りを記したものがある。
初めて読んだとき思わずくすりとし、そんな“親から子へ伝わっていくもの”に大いに憧れもしながら、反抗して部屋に閉じこもってしまったという娘さんに大いに共感した。

だけどいざ自分の食卓にお膳立ての妙が顕れはじめると、初めてそのエッセイを読んだときよりも、どうも腑に落ちるものがどすんとする。

日々のこと。
豊かな生活って、贅沢とかじゃなく、こういう毎日のことにさらりと気を配ることのできる日々、なんだろうな。

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