見出し画像

クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡を読んだ

アレグザンダーという人物

ウィーン出身の都市計画家・建築家であるクリストファー・アレグザンダー。彼が提唱したパタン・ランゲージや著作群はソフトウェア開発の分野に大きな影響を与えている。

きょん( @kyon_mm )さんなどは、影響元にアレグザンダーの著作があることをTwitter上でも表明しているくらいだ。

先日のRSGT2020でも、「A Scrum Book」について話す原田騎郎さんから「アレグザンダー読んでほしいけど、あれは分厚くて鈍器」という言及があった。

そんなこんなで、自分の中でアレグザンダーの考えに触れなければという熱量が沸々と高まっていた。そんなとき、青山ブックセンターで見つけたのがこちらの一冊だ。

アレグザンダー自身の著作であるネイチャー・オブ・オーダーなども並べられていたが、騎郎さんがおっしゃるとおり鈍器だ。それに比べて、いかにもこの本はとっつきやすそうだ。そして、アレグザンダーが著した複数の著作が時系列で並べられ、思考の変遷とともに解説されているという構成も刺さった。よし、これにしよう、と手にとり、レジに向かった。

結論からいうと、素晴らしい書籍だった。アレグザンダー氏の思考やそのプロセスについて多いに学ぶことが多く、ソフトウェア業界においてある種の神格化がなされているのもうなずける。

この記事の前半は、本書の中で特に印象深かった部分の自分のための備忘録的なものだ。後半では、あらためて本書に対する感想をしたためる。

デザインへのアプローチと、現実世界へのこだわり。

本書は「デザインの見方」から始まる。デザインを行うためにはニーズを知る必要があること、ニーズはコンテクストから生まれるものであることが解説されたのちに、下記のような3つの段階が提示される。

画像1

建築に限らず、ものごとの規模が大きくなるほどに現実の世界でコンテクストを読み解くことはコストが大きくなってゆく。そのため抽象度の高い世界でコンテクストを読み取っていくことになる。

都市構造がセミラティス構造であることを見出し、正しい都市・建物を生成するルール・システムとして「パターン・ランゲージ」を生み出していく。

座り続けていると身体が痛くなる、しかし作業をするためには座り続けなければいけない…そういった状況を解消するには、適切にデザインされた椅子が必要となる。このように「ユーザーの努力だけでは得られない状況をユーザーに提供すること」がデザイナーの仕事である、と定義されている。

「放っておくとそうなる」傾向、「フォース(力)」とコンテクストが衝突(コンフリクト)しているときに、このコンフリクトを解消するものがパターンである。そしてパターン・ランゲージはそのパターンがいかにして組み合わされるを示したシステムであるという。

こういった考え方が、GoFの「デザインパターン」に影響を及ぼしていったとのことだ。

パターン・ランゲージは建築の世界においては成功をおさめたとは言い難く、本人の後の著作でもその誤りを認めていったという点は大変興味深い。

「ネイチャー・オブ・オーダー」では調和や全体性、そして神性への傾倒がみられる。

そしてその名も「バトル」。ここでは既存の建築の方法、さきほどの図でいうと「イメージの世界」「形式的操作の世界」でのコンテクスト変換ではなく、あくまで現実世界から直接コンテクストを読み取ることにこだわった、まさに「戦った」エピソードを読むと、ただ偏屈にやりたいことを押し通したのではなく、コスト計算などやるべきことはやったうえで変革を起こそうとしていたということがよくわかる。

画像2

美しさへの憧憬

本書を読んで感じたのは、アレグザンダーという人はとにかく美しさにこだわっていたのだということだ。
都市や建築を数学的に解き明かそうとしていくわけだが、その中で見出した「サブシンメトリー」は美しさ、我々がものごとを「美しい」と思う感性の源泉なのかもしれない。

ソフトウェア開発者に限らず、学びの多い書籍

デザインパターンの源流となったパターン・ランゲージについて概要をおさえることができる(詳細に知るなら、やはり「パターン・ランゲージ」の書籍をあたるべきだろう)。
またデザインがなすべきこととして定義される「ユーザーの努力だけでは得られない状況をユーザーに提供すること」は、ソフトウェア開発が目指すところは何なのか?を端的に示唆している。
なるほどこれはソフトウェア開発に影響を及ぼす考え方だ、と膝を打つと同時に、ソフトウェア開発者に限らずとも学びが多い一冊だと感じた(そもそもソフトウェア開発者向けの本でもなんでもないが)。

ものごとを探求しながら、必要とあらば過去の自分の否定も厭わない姿勢は見習いたいものだし、自分の主張に対しては実験や実践で裏付けてゆくというのも踏襲するべきスタンスだ。

この入門書を経て、いよいよ鈍器と評される著作へも興味が湧いてきたところだ。そういった意味でも、この本は入門書としてはこれ以上ないくらいその役割を果たしているのではないか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?